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あの日見た大きな白い鳥に。

作者: タナボタ

 電車の中では、車輪の立てる音から逃れるためにイヤホンをする。スマホの画面には余所行きなエヴァンスがこちらを向いているジャケットが映し出されていて、軽快なピアノの音がこころを軽やかにしていく。音楽のことはからっきしだが、ふとした瞬間のエモーショナルな感情からジャズというものに興味がわいて、それからいろいろな音楽家に手を出すようになった。中でも王道と言えるようなビル・エヴァンスの音楽が一番のお気に入りで、通勤の時は毎日聞いている。軽やかな旋律が奏でる音楽は自分の心を落ち着かせる。

 僕は社会という陽に当たらなければいけない。もともとインドア派の自分には陽に当たることがとても苦しく感じる。それに比べて同期はすごい。みんなそれぞれ長所があって、リーダーシップもある。そのうえ仕事に向かうのが億劫には感じないと、この前飲みに行ったときにそれぞれが口にした。それに比べて僕はこの会社に勤務してもう十数年になるにもかかわらず、まだ会社の隅でワラワラしている。演奏が終わり、聴衆者たちの拍手が鳴り響く。それと同時に、電車は目的の駅に着く。僕はこれから社会に照らされる。その陽を遮ることもできないまま、多分一生を終えることになる。

 会社の上司は口うるさくいってくる。「いつになったらそのはっきりしない態度を改めるんだ。」と。自分自身わかってはいる。どれだけ社会に出て、仕事をする事がつまらなくても、みんなそれに愚痴一つこぼさず、取り組んでいる。子供のころは大人になったらそんな感情は自分の中から消え去って、社会の歯車の一部になって、自分で回るわけでもなく、ただ周りに合わせて滑稽に踊るのだと考えていた。でも実際、そんなことはなかった。子供のころ持っていた大きな荷物は風化するでもなく、自分の重荷へとなり替わり、自分にのしかかってきた。つまりは仕事はつまらない。でもそれは僕にとっての話で、みんなはそうではないという。「社会に貢献できることはこの上ない幸せなんだよ。君もそのことを自覚したほうがいい。そういう考えになれば、自然と仕事が面白くなってくる。」僕の周りだけがどんどん大人になっていって、僕だけがあの頃着ていたワイシャツの袖にすがりついて生きている。僕一人だけが取り残されていく感覚が、空気を伝って伝わってくる。まるで車窓から見える景色のように、ゆっくりと、見えなくなっていく。

 今日も仕事が終わって、暗い道の一つもない都会の道を、駅に向かって歩いていく。都会の喧騒は僕が思っているよりも僕の耳を刺激した。僕の故郷はとんだ田舎で、あぜ道一つに誘蛾灯がついているような過疎地域。そんなところに若者が好むような仕事はなかった。だから、この都会に越してきたのだが、この喧騒と、明るさには相も変わらずどぎまぎする。まるで僕の現状をどやしているようだった。そうして乗り込んだ電車の中で、またイヤホンをし、エヴァンスの音楽を聴く。鼻先をかすめるような繊細な音楽が僕の心に染み込んでいく。心地いい響きとともに眠る。これが僕の一日のルーティーン。

 電車の中で寝ていた僕は、眠っているうちに誰かに肩を揺さぶられていることに気が付いて目を覚ました。ぱっと車内の電子モニターに目を移したが、モニターに映っている駅名は、終点より数駅前だ。僕の家は終点の駅周辺にあるため、車内で寝ても車掌が起こしてくれるので心配はいらない。でもそうではないということは、これは車掌ではないのだということに気が付き、顔を覗く。すると、自分の肩を揺らしていたのは高校で同級生だった友達だということに気が付いた。比較的ラフな格好をしていて、肩にはギターを背負い、金色の髪が、都会に馴染んだことの象徴として輝いている。

「久しぶり。」

と言われたので、自分も久しぶり、と返した。まさかこんな都会で高校の同級生に出会うことになるとは思わなかったから、少し狼狽した。どうやら相手もこっちに出てきてから今まで地元の人にあったことが無かったらしい。話が盛り上がった僕らは、終点で降りて、二人で飲むことにした。


 僕らの会話は高校のころ話した時より滑らかだった。どちらも未開の地であった都会に出てきて思うところがたくさんあったのに、そんなことを話す友人がいなかった。皆都会で生まれ、都会に墓を建てるのだ。だからこそ話題に尽きなかった。都会の駅は構造が複雑だとか、都会は空気がおいしくないとか、逆に僕らの故郷はコンビニに行くのにも自転車で1時間近くかかり、どれだけ最高な土地だったろうと、皮肉を込めて語りあった。夜も更けてきたころに、僕らも酔いが回り、今の仕事についての話になった。彼は見た目の通り、東京に出てきてバンドマンをやっているらしい。町田や下北沢のライブハウスを借りて、ライブをするのだという。今はまだ知名度こそ低いが、有名なラジオ番組で紹介されるくらいにはなったらしい。youtubeにもMVを出して、最近総再生回数が10万を突破したそうだ。生活こそ苦しいが、アルバイトもして、楽しく生活しているそうだ。僕はそれを聞いて、なんだか心細く感じた。僕は今まで、社会に出たら、大人になったら、人に喜ばれるような職について、社会に貢献するものだろうと考えていた。でも彼はそうではない。彼は僕と違って頭もいい。大学に進学するときに、地元の近くには大した大学がないので、東京の有名な国立の大学に進学して、東京で一人暮らしを始めた。そんな彼が、自分のしたいことに熱中する姿をみて、僕は自分がみじめになったのだ。僕は子供のころ、鳥になってみたかった大きな翼をはためかせて、大空を飛んでいる姿が、自由に見えた。かっこよく見えた。そんな夢を、今になって思い出した。

 僕はそんな話をそのまま彼に伝えた。君がうらやましい、と。その時、酔いのまわって朦朧といていた頭が急に明瞭になった。彼の表情は強張っていた。というより、明らかな嫌悪を僕に向かって向けた。まるで彼のことを「うらやましい。」といった自分を責め立てるようなそんな目で。その表情を、目の前に現れた夢を追う大きなエネルギーを見て、僕は本当に自分がちっぽけな存在なのだと自覚した。僕ははっきりとした頭でこの表情はきっと、僕の軽はずみな言葉に向けたものだろうと思った。彼にだって苦悩や挫折があったはずだ。それに、夢を持とうとも、それを追おうとしなかった自分を、彼はきっと軽蔑したんだろうと思う。それをこんな軽はずみにうらやましいと思う自分が、とても恥ずかしい。僕は話題を変えようと考え、

「音楽と言えばさ、最近エヴァンスって人のジャズを聴いているんだ。この曲を聞いているとなんだか落ち着く。自分がこの世界から乖離しているというか、浮遊感があるというか、自分の中の疲れや悩みが、この曲を聞いていると溶けて消えていくような感覚になるんだ。」

それを聞いた彼はまた不服そうな顔をして、

「君のそれは音楽を聴いているんじゃない。()()()()()だけだよ。」

といった。僕はノーガードの顎に重い一撃を食らってよろけた。そんな感覚に襲われた。音楽に真摯に取り組んでいる人の言葉は重い。自分の重荷よりはるかに重い。けどそれは彼が夢を追うことをあきらめてないからこその重さであって、僕みたいな人間には到底ない、人間としての重さなんだと思った。

 店を後にした僕らは、ほとんど何も会話を交わさずに帰路に就いた。彼は、「じゃあ、また連絡するから。」とおなじみの文句を残して背を向けて歩いて行った。きっと彼自身、酔いに流され言いすぎてしまったと思ってくれているんだろうが、そのパンチの威力は壮絶で、自分の足取りが覚束ないのが、酔いのせいなのか、その言葉のせいなのか、わからないほどだった。

   

 その夜、夢を見た。子供のころの夢だ。家の近くには川が通っていて、よくそこに、サワガニを取りに遊びに行っていた。夏は特に、川の冷たさが心地よくて、毎日のように通っては、服をびしょびしょに濡らして帰ってきた。僕は川に向かって歩いた。あぜ道を歩き、金色に光る稲穂に揺られながら歩数を一歩ずつ数えた。少しすると川にかかる橋が見えた。橋を渡って奥に川に降りるための階段がある。やっと橋にたどり着いたとき、川には一匹の白く大きな鳥がいた。体はほとんど動かさず、ただその顔をきょろきょろと動かすだけで、その周りにはキーンと冷たい空気が張っている。そうしてこちらをぎょろりと挑発的な目でみて、大きな翼で飛び立っていく。僕はその姿になりたいと思った。目を輝かせた。かっこいいと思った。

 僕は、ビルの屋上に立っていた。耳元のイヤホンからはエヴァンスのジャズが聞こえている。軽やかな旋律に乗せて体を動かす。花弁が舞うように、軽やかに。そうして目を閉じ、僕はこの大空に翼を広げて、飛んでいく決心をする。僕はずっと、あの日見た白い鳥になりたかったんだ。

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