第77話 検閲官マイヨルガ
凄まじい数の人々が、机に顔を近づけ、紙に鉛筆で何らかの数式を書いている。広い一室で、向こう側が霞んで見えるほどだ。部屋には何か柑橘系の匂いが充満している。グンルは机の間を進んでいく。後ろから付いてくるのは、〈三つ目のヤズデギルド〉の仮面をかぶった人物だ。背が高くて白衣を着ている、どうやら人間の女性らしい。彼女とはフォグブレイクの下層街、血のついた商品ばかり売る古着屋の前で出会った。最初はヤズデギルドを名乗っていたが、同一人物には見えず、何かの事情で姿が変わったのか、あるいは詐称せざるを得ない理由があるのかとグンルが尋ねると、
「いや、やっぱり嘘、自分はヤズデギルドではありませんでした」
そう言ったので、では、その仮面はどうしたのかと聞くと、
「彼を殺害し強奪したものです。でも、同意の上で■■■はしていないので」
彼女の声が一部、割れるような雑音に塗り潰された。
「自分は今、自己検閲をしました。あるいは、世界をも検閲します。手を、墨を入れます。自分は、マイヨルガ。■■よりの使者にして■■■を殉ずるもの。そして今はフュルギアの座員でもある」
この場所の人々が何を書いているのか知っているか、とグンルは尋ねた。
「それについては知らないほうがよいと思われます。■■■を作り出すために必要なもの、とだけ言っておきますが。この世界には知らない方がよいことが多すぎる。すべてこの前のパン屋さんのように、誰かが察知し、アウル島や他の隔絶迷宮へ放り込んでくれると思ったら大間違いなので」
忌むべき呪詛がむき出しになっているということか。
「■■■■もそれを暴いたためにあのような非業の死を――いや、やめておきましょう。自分が余計なことを言ってもあなたの旅の助けにはならない」
確かにそうだ。マイヨルガとグンルは黙ったまま、柑橘の香りと筆記音に満ちた部屋を横切る。
ある程度行ったところでマイヨルガがまた口を開く。
「自分の考えとして、エノーウェンはそう、無数のページが重なり合っているのだと考えられます。ちょうどレームさんの顔のように、数えきれないほどの紙が組み合わさって、一つの世界が出来上がっていると。それにはまさにこの瞬間の、誰かが認識した彼の世界が書かれていて、同じ場所にいる他者であっても同じ内容ではない。それが一秒にも満たない次の瞬間には書き換わっていて、それが、時間が進むということかと。ドルシネア嬢がしているのもそういうことですが、速度が違う、世界は極めつけの速記者というわけです」
雑音が入り込まない内容を喋ったので、バランスを取ろうと思ったのか、数秒後、次に口を開いたマイヨルガはかなり盛大な自己検閲をした。
「■■■■■■は■■で、■■■るを■■■な■■■■で■■■分■蟲■■」
これを受け、それまで黙々と計算をしていた人々は、ついに彼女をじろりと見て、「あんた、うるさいよ」と苦言を呈したり舌打ちをしたりした。




