第60話 忘却の使徒エビングハウス
路地裏には血痕や吐瀉物、肉片骨片、それらに集る虫やネズミばかりだ。そこいらに横たわる人もいるが死んでいるのか寝ているのか、動く気がないだけなのかは判然としない。
抑制器が反応し警報が鳴った。ただちに警備隊が駆け付ける。迷宮都市には大抵備わっている防衛機構だ。街の中である一定以上の魔力を放出したり、許可されていない魔術を用いるとそれは阻害され、即座に通報される。今回はテロリストなどではなく、迷宮病によって意図せずして暴発したものらしいと後で新聞で知った。
基本的に攻撃用の魔術は、近距離における護衛用のもの以外は都市内では違法だが、警備隊は犯人を制圧するために多少威力の高いものも許可されている。他にもフルオート射撃の可能な銃や拘束用の魔法具、屍術を応用した〈賦活術〉など、警備隊と国軍のみに備わっている装備は多く、時折盗賊ギルドなどを通して闇市場に出回ったりする。
ドリフターズレックは見るからに治安は悪かった。迷宮都市と一口に言っても、どこでも安全というわけではなく迷宮の魔物が暴走して溢れ出る、流出とかスタンピードとかいう現象が、当たり前のように発生している場所もある。また、ヴェントによくある傾向だが、帝国の〈砂一揆〉よろしく武装した迷宮人が溢れ出てきて狼藉を働くという、有事以外の何物でもない現象がこの都市でも頻発しているらしかった。それらは武装した軍隊というわけではなく、ごろつき、コソ泥といった程度で、ここでは警備兵の手が回らないので、住民が結成した自警団が幅を利かせていた。
今もどこかの金持ちの私兵が、打ち取った悪党集団を引き回し、奴隷として売るなどと息巻いている。その行列を見ていると、グンルに話しかける者がいた。
「おれを覚えているか?」
すぐには思い出せず、彼をじっと見た。またぞろ、どこかですれ違った人物が座員に勝手に加わっておりその幻か、と思ったが、もしかすると違うのかも知れない、判断する方法が思いつかないので、ひとまず今回は幻覚ではないと判断した。
グンルは、自分は迷宮病によって幻覚・幻聴・幻味があり、現実を正しく認識できておらず、あなたも非現実的存在かも知れないが、今は現実の存在と仮定して対応する、と直截に言った。
「そうか、幻覚なんてのは迷宮病にはよくある症状だ。だが、おれはあんたの幻覚じゃない。いや待て、そういうことを自称する幻覚ってのもよくあるのか? 自分は無罪と叫ぶ犯罪者みたいにだ」
グンルはそうだと答え、しかしあなたはきっと実在の人物なのだと重ねて言う。
「そうか。ならそういうことにしておこうか。ところでおれの名はエビングハウス、あんたがおれを覚えているだろうと今しがた思い出した者だ」




