第59話 迷宮都市ドリフターズレック
受刑者の精神を閉じ込める目的でグンルが送り込まれた非現実の世界は、カーヴドソードをもう少し薄汚くしたような迷宮都市〈ドリフターズレック〉だった。最初は、ここから出るにはどうすればいいのだろうか、とグンルは考えたが、一週間か二週間、あるいは一か月ほどそこで生活して、別に出る必要がないのではないか、と思うようになった。相変わらず、この場所をも〈途路〉として進んでいけばいいだけだ。そもそも、あのヴィンク領の森や、聖域と称された地下の迷宮市場や牢獄などのほうが、幻術師グレゴリー・ソーンが対〈砂一揆〉として作った幻影迷宮なので、むしろ自分がこの実在の世界に回帰したとも解釈できる。結局グレゴリーなる人物も見ないままだったので、それを含めて幻覚だった気もしてくる。
フィアスは相変わらず理不尽に強かったが、魔物を結晶化し粉々に粉砕してしまうので、魔石や素材を採取することは叶わず、彼の次に強力なアスフォデルに戦ってもらっていた。だがやはり、迷宮病が進行しているためか、彼を引っ張り出すことも徐々に困難になってきている。その姿は度々ぐにゃりと歪んでおり、口を利かないことも増え始めた。彼の人格は既になく、グンルが自分で動かしている傀儡に過ぎないと自覚したためだろうか。いずれ他の座員も、有象無象の幻影の群衆に埋没していくに違いない。グンル本人も、最後にはそうなってしまうのではないだろうか。幻視している主体者が幻影に埋没し、世界そのものに還る。それが行く末――〈最果て〉ではないのか。グンルはそう夢想した。
他の迷宮守りに対して、あなたも幻牢刑を科せられてヴィンクの官憲に送り込まれたのか? と尋ねたところ、ああ、とか、おお、という曖昧な返事が返ってきただけだった。
この都市はどうやら帝国自由都市のひとつであり、君主ではなく選挙によってえらばれた代表者が統治している、迷宮守りの都であるらしかった。〈漂流者の破滅〉という意味深な街の名は、ここが成立した際の故事に由来しているというが、面倒なので話したくないと人々は教えてはくれなかった。帝国西方に位置しており、ここの外にも世界が広がっている。ここがヴィンク当局の用意した牢獄であろうと、元いたエノーウェンと重なり合う異世界の一つであろうと、放浪を続けることはできそうだ。
屋台で買った焼き菓子を食べていると、いきなり目の前に例の灰色の影が出現し、あなたは忘れている使命があるから早く北へ向かった方が良い、という意味のことを言い、珍しくグンルは驚き、動揺した。やはりどうも聞き覚えがある声だし、あらゆる出来事から現実感が喪失しつつあるが、この影だけが例外だ。
と思いきや、判然としない〈座長〉の声も聞こえてきた。【北へ向かってはならない】【それは罠】【放浪の終わりを意味する】【苦しんで死ぬ】【行ってはならない】【陥穽】【闇】と、狂ったようにネガティブな言葉を連発するのだった。
「もはや、自らの判断に従うべきだ」
アーロンの声がしたので前を見ると、巨人がいた。白磁でできた雪だるまのような
体をした、雲を突かんばかりの体躯。それが、グンルを見下ろし喋っている。「北へ向かうか、あるいは他へ行くか。いずれにしろあなたの放浪は続く」
やがて灰色の影も座長も、その巨像も沈黙し、都市の喧騒だけが響く。




