第57話 ヴィンク防衛線
巨体のオーク、フィアスが先に坂を下って行く。グンルの体は、その異様な影とは違い小柄なドヴェルのままだ。奇怪な第三者が乱入することはしょっちゅうだが、自分が変化するような幻覚は未だ見ていない。
窪地の底に到達するが、乾いた土以外は何もない――と思ったところで、足元が崩落した。真っ逆さまに穴の中へ落ちていくが、グンルは慌ててはいない。単純な落下では死なないからだ。
幸い、固い地面ではなく水中に落下した。水面に浮上し、辺りを窺う。下水道のような迷宮に入り込んでしまったらしい。
「あのオークが何を守護していたのかは知りませぬが、もはや森林の幻覚を見ている人物なぞ捨て置けばよいのではないでしょうか」
「このまま北へ向かって進めばいいだけの話だしな」
「いや、ところがそうは問屋が卸さないんですわ」
「〈グレゴリー・ソーン〉は森林の幻覚を常に見ているわけではない。この〈ヴィンク太守国〉の防衛のために異なる迷宮層を形成していたに過ぎない」
「この下水道もまた防衛のために彼が作り出した城壁や濠といった設備だ」
「グレゴリーを見つけ出して討伐するか、説得するか、別の脱出ルートを見つけ出せばいい」
「あるいはここに住むか」
手にした新聞で顔を隠した群衆が口々にそう言った。グンルはひとまずこの迷宮における拠点を確保することに決めた。現れた魔物は〈首無しマンティコア〉や〈血狂い〉といった強敵ばかりだったが、フィアスが全て瞬殺した。具体的には、眼前に敵が現れた瞬間に、細かいガラスか水晶のような、透明な断片に砕けてしまった。
卓抜した強さを手にしても、それはこの世界で何かを支配し、より多くを獲得できるということにはつながらない。力を効果的に運用することは、また別の才能だからだ。もちろん、下級迷宮守りよりも賃金、プライドや選択肢は保証されるだろうが、ただ迷宮で魔物を倒し、獲得物を換金するだけならば、そう違いはない。この傑士たるフィアスは、グンルがその強さのみをテーマにして見た幻想にすぎず、文化的な情緒や知識などは持ち合わせていない。地位や賞賛は、得られない。
「グレゴリーはこのヴィンクに攻め寄せる〈砂一揆〉より中枢を死守するために防衛拠点を築き、この迷宮化した聖地へ籠っているのだ。迷宮自体は、我らが体験したように別段、難度が高くはない。むしろ、各人にとって得意な任務が自動的に供給されるために、快適ですらあるはずだ」
「だが、寄せ手はそこを越えることはできないのですね」
前にコンスタンスフェアの居酒屋かどこかで出会ったはずの人間の老爺とエルフの工員が現れてそう話す。この二名のオリジナルは、これほど穏やかではなかった。つかみ合いの喧嘩をしていて流血沙汰になり、市衛兵に連行された。
良さそうな場所を見つけた。市神アシュウの神像と泉がある、清浄な空気に包まれた広場だ。迷宮内ではあるが露店市が開かれている。




