第30話 密輸人コアーズカルフ
放浪、というと風吹き荒ぶ平原を想起するかも知れないが、都市の内部でもそれは叶う。とりわけこの世界の迷宮都市は広大なものが多いため、意図せずとも可能だ――それにしても広すぎる、人族のサイズには不釣り合いなほどに。なぜだろうか。迷宮都市とは、迷宮自身が生み出したものであり、その過程で何らかのエラーが発生した結果ともいわれるし、神々が人族に与えた試練ともされる。
多くの都市は一つの巨大な建物の形式をとっており、内部にはいくつもの階層が存在する。グンルもまた現在、カーヴドソードの上から十五か十六番目の階層の、北から数えて四つか五つ、あるいは七つ目の区画にいた――六つ目の区画は崩落して久しく、ない。場所が曖昧なのは、グンルの見る幻覚と、彼女の酒量が増えてきたためだ。それぞれが相互作用でより深く、現実離れを起こしている。
迷宮病に罹患してから、酒の味は変わってきている。幻覚幻聴に続いて幻味が現れたのだ。それは甘みと酸味、そして苦みをともなう、瑞々しい果物を思わせる風味だが、これまでに口にしたどの食品とも大きく異なる。大きく現実からずれているように、爽快さとともに違和感と、酒が回る前からの酩酊感をもたらしている。
自分の行動は綴り手たるドルシネアが記録してくれているので、後からいつでも思い出すことができるはずだ。とはいえ、大した行動はしておらず、どこぞの路上で風景と幻影を見て過ごしているだけだ。
「『コアーズカルフと約束、〈ねじれ顔〉を通してメモのやりとり、〈酔いどれ猪〉亭で明日正午』……今日の予定それだけ」
コアーズカルフとは誰かと尋ねると〈密輸人〉をやってるベンシック――蜥蜴人――だとドルシネアが答えた。彼女が頼りになるのは、ぼそぼそとした声でだが、常に質問に確実に即答してくれるところだ。それが間違っているかどうかは大した問題ではなかった。今もまた、その魔術の宿った左目が、明るくオレンジ色に輝いている。
密輸人か――実際ざらついた脹脛の持ち主かどうかは分からないが、脛に傷のある人物ではあるようだ。いったい、昨日の自分は、そんな相手と何を約束したのだろう。そう問うと、もちろん綴り手は即座に答えてくれる――ちょっとした現金と、最果てへの同行、すなわち一座への加入だ。
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「本当にいい贋作っていうのは……」紫煙の漂う酒場で密輸人は低い声で言う。「本物と寸分たがわぬ代物か? あるいは……本物を差し置いて、こいつが真作だ、と太鼓判を押され、逆に本物の方が贋物、と濡れ衣を着せられるような奴か……? あんたは、どう思うかね?」
コアーズカルフはバカン風の、原色を排した正装を纏っている。彼の緑がかった灰色の鱗は傷一つすらなく、その顔は彫像じみている。グンルの隣には一人の座員が姿を現している――胡散臭い悪党とのやり取りには相応しい、〈白波のカルネアデス〉が。




