第19話 規範的盗賊
グンルは下の階層に移動した。最初に彼女がやって来たカーヴドソードの地区は、橋桁の上部に築かれた街だったが、その内部にも無数の階層と居住区、迷宮が存在している。
不確かな素性の黒騎士〈日ざらしのレーム〉はあれからも呼べばいつでも出現したが、その姿は他の誰にも見えはしない。アーロン・アンダースと同じ存在になったのだ。〈フュルギア一座〉について質問しても彼らは曖昧にしか答えてはくれなかったが、それはグンルが〈最果てへの途路〉を辿るための手助けとなるものだという。
迷宮病の症状が進行しているとも言える。この二人以外にも、視界にちらつく何かを見るようになった。それはどうやら人型をしているようだが、集中すると消え失せてしまう。囁き声を聞くこともあったが、それらは迷宮内に入り込むと発生しないので、戦闘には支障をきたすことはない。つまり、気にする必要がないということだった。あるいは、無意識に思考が変質しているかも知れないが、グンル本人はそれに気づくことはできない。
【君が望んでいるものは〈最果て〉にある。潜界存在を視るのだ】雑踏のざわめきの中、いきなりそんな台詞が囁かれた。幻聴か。レームが言っていた〈座長〉か? 意味深にして不明瞭なアドバイスは魔人たちが好むものだ。だが彼らは常に堂々と姿を見せる。やはりこれは自分の幻聴だろう。
この市場は看板だらけだ。恐らくは迷宮が勝手に作り出したものだろう。読めない文字で書かれたものも数多く混じっている。ここに来る前にいたコンスタンスフェアを思い起こさせる。グンルはそこで騒乱に巻き込まれた――いつも蝶が舞っている戦士〈ネロ〉。最高議会の手駒〈血濯ぎ〉。妄執の帝国人。
別れ際にあの生意気な風生まれ、〈烏の勇者〉からもらった〈墓荒らしのケペシュ〉は今も助けになっているが、あのようなトラブルがまたいつ舞い込んでくることか。
酒場で飲んでいると見知らぬ人物が話しかけてきた。
「おう、ドヴェルの嬢ちゃん、隣に腰掛けても構わねぇかい?」
グンルがその相手を見ると、とたんに、確固たる印象を受けた――この男は典型的な〈盗賊〉だ。細身だが筋肉のついた体躯。ぼろぼろの外套。闇に溶け込む黒染めの装束。頭に巻いたバンダナ。鋭く油断ならない目付き。顔の傷。短剣とロープ。錠前破りの七つ道具が入っているであろう荷物入れ。勝手に、彼が仕事をする場面が脳裏に浮かんでくる。バカン王都ブランハイムの路地裏を、音もなく駆ける姿。盗賊ギルドの酒場で声を潜めて符丁を囁く。帝国の大砂漠で四十人からなる盗賊団を率いる雄姿。
戯画化したかのような、まさしく盗賊と断言できる相手がそこにいた。
「……違う、おれは善良な市民だ。盗みなんざ、生まれてこの方したことがねぇ」
見た者に規範的盗賊だという印象を与えるこの人物は、グンルの内心を読んだように、首を振って否定した。




