【コミカライズ】隣国皇帝は平凡な『額縁』令嬢を乞い願う
アン・イルドゥースは長女だった。
嫡男であり家を背負う弟が何より優先されるのは自明の理で、
愛らしい末っ子であり美貌の金髪の妹が愛されるのは当然だった。
──貧乏男爵家の長女。
即ち、それは家の為の供物である。
供物、それすなわち世界の主人公にはなりえない存在。
誰かの幸福の脇役であり、添え物であり、世界が円滑に進むための歯車の一つだ。
◇◇◇
アン・イルドゥースは周囲の誰よりも平凡でパッとしない存在だった。
妹よりもくすんだ赤毛に、ぱっとしない良くも悪くも普通の顔立ち。
とんでもない個性的な容姿ならば、逆に誰かの気を引いたかも知れない。
しかしいかんせんアンは地味だ。
人並みの愛情と常識を持つ両親は彼女が女性らしく映えるよう、華やかなドレスを着せてみた。
しかし、『初めての女児』に舞い上がった両親が買い揃えた花のようなドレスが似合わない。
高位の殿方を射止められるように、一芸に秀でた才媛に育てようとした。
しかし、音楽も絵画も詩作もセンスも、何もかも平凡の域を出ない。
結局アンはシンプルなどこにでもある平凡なドレスを着て、女学校で平凡な成績を収め、特に誰かにみそめられることもなく、平凡に女学校を卒業するような娘となった。
それに比べて妹は、金髪で長い髪、丸い額の愛らしい美少女で、微笑むだけで精霊が恋に落ちると言われるほどの美少女だった。
当初アンに与えられたようなドレスを着こなし、華奢な喉と唇で奏でる歌声はまるで天使の調べ。
妹は社交界に出る前から遠回しに婚約を打診する声が届くほどの存在となった。
勿論、弟は立派なイルドゥース家の嫡男だ。鮮やかな赤毛で精悍な顔立ち、まさに待望の嫡男として望まれるべくして生まれたような利発な少年だった。
男爵家が持ちうるコネクションと財を注ぎ込んだ教育を受けた弟は期待に応えるように文武両道の素晴らしい青年へと成長。貧乏男爵家に似合わない将来すら期待されるほどの存在となった。
アンは取り立てた魅力のない長女だった。
貧乏男爵家の長女即ち、それは家の為の供物である。
女学校卒業後、アンは成績と縁故を頼り、国王陛下の愛娘、第一王女付きの女官として王宮に住み込んで仕えることにした。
王女付きの女官はただの女官とは少し違う。
王女の傍で社交界や文通といった補助に携わるため、読み書きや貴族社会の教養がなければ務まらない。しかし頭が良い女は野心家であることも多く、選定には慎重を要する。
また適度な空気を読める才女だとしても、その容姿が王女を引き立てるものでなければ務まらない。
ありていに言えば、王女の優秀な脇役、を求められているのだ。
王家を波乱を巻き込むような才女でも駄目で、貴婦人たちを霞ませるような美女でもいけない。
アンは適任だった。
アンが住み込み女官となることで、妹は無事に持参金を携えて結婚することが出来た。
アンが用意した似合いのウエディングドレスを身にまとい、妹は結婚式で世界一の花嫁になった。
「お姉ちゃんありがとう。大好きよ」
涙ぐんで感謝の抱擁を求める妹を、アンは優しく抱き止めた。
「私も愛してるわ。幸せになってね」
妹というヒロインの脇役として役目を果たすことができて、アンはとても満足だった。
そして働いて数年。アンは18歳の春を迎えた。
◇◇◇
18歳になっても特に人生に代わり映えはない。
毎日王女の傍で手紙を処理し、社交界のスケジュール管理を行い、公務で笑顔を振りまく王女を映させる、目立たない脇役として粛々と過ごす。
趣味と言える趣味もなく、食事入浴睡眠仕事、それがアンの人生の全て。
他の女官達が嫌がる仕事や面倒な仕事を肩代わりすることも多く、気づけばあらゆる女官職の業務もこなせるようになってしまっていた。家柄と年功序列で決まる肩書きもないので、給料は特に増えることはないけれど。そもそもアンはほとんどの給金を仕送りしているのであまり意味はない。
給料は上がらずとも、長く働けば城の内部事情には自然と精通できる。
アンは得た情報で実家の社交の融通を取り計らったり、妹の嫁ぎ先に有益な話をもたらすなどした。
剣術の苦手な弟のために、指導者として評判の老騎士と弟の縁を繋いだこともあった。
そんな多忙な日々の中、嬉しいことがあった。
実家からの便りで妹が無事に二人目の子供をもうけたことを知ったのだ。
「もう、あの子は大丈夫ね。きっと幸せになるわ」
窓辺で手紙を読んで頬を綻ばせるアン。
しかしすぐに、次の懸念を思い出す。
弟の話だ。
アンの仕送りが正しく使われ、無事に最難関の王立貴族学院への入学が決まった。
それは喜ばしいことなのだが、予想以上に弟が才能を発揮して司法科に合格してしまったため、彼の学資が足りなくなったのだ。必須課題の剣術で不合格になるかと思いきや、指導者の特訓のおかげでなんとかなったらしい。
喜ばしいことだ。けれど頭痛の種だ。
司法科は普通なら貧乏男爵家の嫡男が入学できるような場所ではない。
特待生として奨学金は出るものの、制服や教科書といった最低限必要なものを揃えるには足りない。それに貴族学院への入学は暗黙の了解で多額の寄付金が求められる。
アンは弟の未来に必要な額を計算し、暗く重い気持ちになっていた。
とても一介の女官では仕送りできない金額だ。
「どうしよう……」
そんなアンに、国王からの呼び出しが入ったのは突然だった。
アンは不安を覚えながら、謁見の間へと向かう。
──弟の身分不相応な入学を辞めさせるように言われるのかしら。
──私がとんでもない失敗を犯してしまったのかしら。
青ざめながら膝を折り挨拶をしたアンを玉座から見下ろしながら、国王はアンに告げた。
「額縁姫という肩書の女を、お前は知らぬか?」
そう口にする国王さえ、言いながら困惑している様子だった。
◇◇◇
隣国皇帝ユェルード。それは大陸唯一にして絶対の君臨者。
大陸の旧き獣人の血を今に残し、皇帝は漆黒の狼耳を有する存在だという。皇帝だけでなく帝国民全て獣の魔力を持ち、魔物の森より生まれ出る魔物を使役しているらしい。そんな芸当ができるのは、大陸では帝国だけだ。
アンの住む王国くらい、簡単に呑み込むことができると恐れられている恐ろしい国だ。
そんな隣国皇帝が、政略結婚の妃として『額縁姫』を所望したらしい。
実質的な、貢物だ。
国王は玉座からアンを見下ろして溜息をついた。
「知っているか」
「いえ……存じ上げません」
「そうか。我が第一王女のことかと尋ねても、それは違うと返されたのだ」
王国では「姫」という敬称は用いない。額縁姫、という風に、二つ名を持つ貴族令嬢も存在しない。第一王女が違うなら、姫の名が相応しい令嬢など、全く見当がつかない。
「姫と呼ばれるからにはある程度の家柄の娘だろう。ならば第一王女付きの女官であるお前なら、目星がつく娘がいるはずだ。誰か知らぬか」
アンは考えた。まるでこれは魔女狩りではないか、と。
ここで自分が誰かを指名してしまえば、その彼女が額縁姫として嫁がされることとなる。
恐ろしいと言われる帝国に嫁ぐなど、貴族令嬢はみな嫌がる。
そして国王は、アンに残酷な提案をした。
「アンよ。一つお前が、女官として帝国に赴き『額縁姫』の仔細を聞いてきてはくれまいか」
「私……ですか」
「そうだ。お前は女官として、貴族令嬢に精通している。そのお前が直接、皇帝陛下のお望みの『額縁姫』が具体的に、どの娘か尋ねてくるのが早いだろう」
「……確かに、おっしゃる通りですね」
それならば少なくとも、アン自身の憶測で誰かを一方的に指名する危険性は消える。
アンの言葉に国王と宰相はどこか安堵したような顔で顔を見合わせた。
「そなたの実家には規定通り報奨金を出す。他に望むことがあるならば、なんでも言うが良い」
「はい、私は──」
アンが望んだのは、弟の学業の支援。そして実家の安寧と、妹と嫁ぎ先の幸福。
国王は二つ返事でそれを了承してくれた。
帝国への出立まで一週間の時間を与えられた。一週間あれば大丈夫だと、アンは安堵した。
仕事の引き継ぎと実家への別れの挨拶、弟への今後の申し送りまで、全てつつがなく終わるだろう、と。
◇◇◇
アンはそれから早速身辺整理に入った。
「姉さん。僕のためにごめん……ごめん……」
アンが実家で荷物をまとめていると、息を切らして走ってきた弟が駆け寄り、深く頭を下げて謝罪した。
「髪まで切って、家にお金を入れてくれたんだね」
「いいのよ。帝国までは長い旅だわ。傷む前にお金に換えた方がいいわ」
首を横に振っても、アンの頭は軽い。彼女は長く伸ばしていた髪を売り払っていた。
「父上も母上も毎日何度でも訴えてる。姉さんが身代わりの貢物になるのはおかしいって」
「貢物じゃないわ」
「ほとんど貢物だろう!? 額縁姫が誰かわからないまま、姉さんが一人で女官として帝国へ行くって」
「違うわ。落ち着いて」
アンははっきりと否定した。
「いいこと。あなたはこれから司法の道を進む人でしょう? 正式な取引であちらに向かう私を可哀想なものとして扱うのは良くないわ。それに私が帝国に行くのは、王命よ。国王陛下に対する反逆罪と受け取られてもおかしくないのよ?」
「……でも……」
弟の目が潤み、大粒の涙がこぼれた。
アンは知っていた。弟を「姉を身売りして成り上がる汚い男爵令息」だと詰る声があることを。けれどアンは信じていた。弟ならば、そんな声をはねつけるほどの立派な司法官になると。
それに彼は、これから男爵令息として恐ろしい政治の世界に入ることになる。たかが悪評の謗りくらい、乗り越えていかなければ。
──アンは、弟が立派になる未来のためなら、帝国に行くのも怖くなかった。
彼女は弟の頬を撫でて、まだ幼さの残る顔に笑いかけた。
「私が可哀想になるかどうかは、あなたの行動次第なのよ? あなたが立派になってくれたら、私は嬉しい。それに周りもあなたは黙らせることができるわ」
「姉さん……」
涙で掠れた声はいつの間にか声変わりしている。
弟も大人になるのだと、アンはより一層実感した。
「僕は、姉さんこそ幸せになるべき人だと思っていた。それなのに、何もできなくて……ごめん」
「妹にはくれぐれも、私のことは伝えないでね。身重の彼女に、危険があってはいけないわ」
アンは心から、自分のことを幸福だと思った。
アンは優しい家族が大好きだった。
◇◇◇
「……なんですって」
出立となって、アンは初めて知らされることになる。
国王はなんとアンを『額縁姫』として嫁がせるつもりだという。
アンを馬車に乗せた後になって、官吏が冷酷に告げた。
「他の貴族から猛反発が出たのだ。野蛮な帝国などに娘を嫁がせてしまえば、娘は殺されてしまうと。貴殿が額縁姫として帝国に嫁いでくれ」
「でもそれでは、皇帝陛下を騙すことになります。不興を買うのでは」
「そこをなんとかできるだろうと、国王陛下は貴殿を買っているのだ」
「な……」
「両国の平和のために、貢献したまえ。アン・イルドゥース」
一方的な宣告だった。
アンはそのまま馬車に乗せられ国境を越え、帝国の馬車に乗せられた。
そして獣耳の生えた黒い軍装姿の軍人に警護され、城へと運ばれる。
雨の降りしきる街道を進む馬車。
車内では、帝国でつけられた護衛も侍女も無言だった。きっと私が額縁姫ではないことは露呈している──そう、アンは感じた。
アンが感じるのも当然だ。
なぜなら彼女は短髪で化粧気もなく、ただの地味な女官にしか見えない。
帝国を謀って女官を差し出した王国が、一体どういう扱いを受けるのか想像もできない。自分もきっと、ただでは済まないはずだと、アンは固唾を呑んだ。おそらく城に到着してすぐ、両親と妹弟のいる王国を庇うために、私は皇帝陛下に必死で交渉することになるのだろう、と。
──もう二度と、母国の土を踏むことはないだろう。
アンは絶望的な思いで悟った。
(……私は、長女)
アンは己に言い聞かせた。
アン・イルドゥースは長女だった。
嫡男であり家を背負う弟が何より優先されるのは自明の理で、
愛らしい末っ子であり美貌の金髪の妹が愛されるのは当然だった。
──貧乏男爵家の長女。
即ち、それは国家の為の供物である。
供物、それすなわち世界の主人公にはなりえない存在。
誰かの幸福の脇役であり、添え物であり、世界が円滑に進むための歯車の一つだ。
(望まれるなら、どこかの『額縁姫』の代わりにも、王国のための貢物にもなってみせる)
覚悟を決めたアンの双眸は強い輝きに満ちていた。
◇◇◇
そうしてついに。
アンは、玉座の間で皇帝に拝謁した。
皇帝の前に出るからだろう、入城した途端に彼女は丁重なもてなしを受け、髪の毛から爪先まで、綺麗に整えられていた。
玉座の間は、気が遠くなるような天井の高さ。壁にも床にも一面に美しい調度品が施され、それだけでアンはもう、母国は帝国にとって塵芥と同じ存在だと悟らされてしまった。
促されるまま、アンは玉座の皇帝に辞儀をする。
モノトーンに銀糸で刺繍が施された荘厳な装束に、肩を滑る艶やかな長い黒髪。見下ろす瞳は金色で、彼の顔立ちはアンにとって、今まで見たどんな絵画にもいないと思うほどの美貌だった。
そんな彼の頭上。冠を挟んで、ふさふさとした黒い大きな耳が立っている。
ユェルード・ザルティスガル・ソラ・ヴァンテ・ミオルカティス皇帝陛下。
ユェルードはかしずくアンを立たせた。
そして唐突に、玉座から降りて逆に目の前に跪いた。
アンにとっても、周りの臣下にとっても前代未聞の行動だった。
しかしユェルードは清々しい笑顔で、アンを見上げて微笑んだ。
「会いたかったぞ、世界を彩る聡明な額縁姫」
──え?
──私が、額縁姫?
アンは動揺した。
しかし動揺する彼女の周りには帝国臣下の人々しかいない。
そして、彼女がただの身代わりの女官だと説明する人もいない。こわばっている彼女の顔を、ユェルードは下から見上げ、首を傾げて微笑んでみせた。
「どうした? 申してみよ。このままで構わぬ」
「……恐れながら陛下。私は陛下の望まれた額縁姫ではございません。ただの女官でございます」
「そんなことはない。そなたは額縁姫だ」
はっきりと断言して、微笑んでみせる皇帝ユェルード。
アンは緊張と何を言えばいいのかわからないあまり、そこから気を失ってしまった。
◇◇◇
「そなたはまごうことなく、額縁姫だよ。アン」
皇帝ユェルードはそれから北宮──皇妃が暮らす宮殿にアンを連れて行き、大きなソファの片隅に座り、うっとりと手を握ったまま言葉を続けた。
「私は黒狼神の血を引く。私の望んだ額縁姫が来ることは、ずっと匂いでわかっていた。当然だろう?」
「匂い……ですか」
「……もしや、他国の者は『匂い』を感じられないのか」
そこからユェルードに説明された『匂い』というものは、アンにとって全く未知のものだった。いわば獣が人間の匂いを嗅ぎ分けるように、獣の血を引く帝国民はほとんどが、物についた人の『匂い』を嗅ぎ分けられるのだと聞かされることになった。
「そうか。ならば『額縁姫』と伝えても、国王はわからなかっただろう」
「どのようにお伝えになったのですか?」
「『そなたの王国の貴婦人たちを飾る『額縁』の姫君がいるはずだ。彼女の細やかな気遣いと配慮、素晴らしい。どうか我が帝国に迎えたい』……と伝えたのだ」
もしかして、とアンは思う。
「私が女官だから……女官として、外交にお出になる王妃様や王女様、そのほか高級女官や令嬢たちの支度の準備をしていた時に、私の『匂い』がまとわりついていた、ということでしょうか」
「そういうことになるな。匂いだけでわかった。そなたがとても働き者で、目が行き届き──それでいて、目立たぬよう、人を引き立てるように生きていたことも」
思い出して反芻するように、遠い目をして皇帝ユェルードは微笑む。
「その振る舞いの気品がまるで、絵画を美しく彩る額縁のようだった。……そなたも淑女なら、『髪型は額縁』という喩えも知るだろう?」
「はい」
「人は顔を見て会話する。しかしその人物の雰囲気を作っているのは髪型という意味だ。そしてその髪型……額縁で、人は如何様にも見えると」
「私はただの女官です。それに……所詮、『額縁』でしかない身分のものです。才能も、色も、秀でたものはございません」
「何を申すか」
ユェルードは首を横に振る。
さらさらと揺れる黒髪が、まるで夜空のようだとアンは思った。
「違う。そなたという額縁があってこそ、世界が引き立ち、輝いてきたのだ」
ユェルードは掬い上げるように、アンの頬を両手で包んだ。
ユェルードの掌という額縁に包まれたアンの頬が、みるみる紅潮していく。
「そなたの周りには、そなたが羨むほどの才と色が溢れていたのかもしれない。けれどそなたは、誰にもない、最高の額縁としての技量で、皆をいっそう美しくかざり立てていたのだ」
「皇帝陛下……」
──舞台というものは舞台の中心人物だけが作っているものではない。
──誰だって主役になりたい。主役が最も秀でていると感じる。
けれど。
「周りの人々を尊重し、夢を支えるお前が、脇役で平凡なだけ……そんなわけがないだろう? 私が願った番の妃は間違いなくそなただ、額縁姫──いや、名を知った今はアンと呼ばせてくれ。アン」
アンの手を取り、髪を撫で、ユェルードは乞い願った。
「そなたが望むのなら、そなたを『額縁』で飾ってやろう。そなたの美しさや才能をどこまでも引き立てて、地の果てまで届く妃にしてやろう。そなたはそれを望むか?」
「いえ、私は……」
美しく幸せな花嫁になった、妹を思い出す。
立派に成長し、将来に向かって進み始めた弟を思い出す。
期待に沿えなかったアンを、優しく見守ってくれた、無理な結婚を強いることもなかった、優しい両親を思い出す。
側仕えした王女の美しさを思い出す。数々の、身の回りの人々を思い出す。
みんなを輝かせるのが好きだった。それは無理をしていたのか?
──いいえ。本当は。心から。
アンは微笑んだ。
「陛下。私は本当に、心から、脇役である自分に誇りを持っていたのです」
「……ほう」
「私が力を貸して、才能ある妹や弟を送り出して、国の顔となっていく王女様を輝かせて。みんながいきいきとして。そんな世界の潤滑油となれる、理想的な歯車となれる……そんな自分が、大好きだったんです。だから私は……きっと、脇役として、生きていくのが幸福なんです」
皇帝ユェルードはそんなアンの心を否定しなかった。
彼は、そのうっとりと微笑んだ頬を撫で、優しく口付けた。
「アン。そなたがそれが幸福というのなら、私はそなたに額縁として輝ける場所を与えよう。国中の才能を輝かせてほしい。どうだ?」
「……光栄にございます、陛下」
そうして皇帝ユェルードは、アンを第一にして唯一の皇妃とした。
その話は王国に書簡で届けられ、国王も、貴族令嬢たちも、実家の者たちも大いに驚いた。
アンは幸福な妃となり、この世で最も美しく強い、黒狼王の番として傍にいることになったのだ。
◇◇◇
そして彼女は縁の下の力持ちとして、引き立て上手な力を発揮して外交や内政に携わり続けた。
最初は国内外で地味で脇役だと思われていた皇妃だが、彼女の引き立てを得た者たちが次々と才能を発揮して幸福になっていく姿に、次第に崇敬の念を集められるようになった。
祖国の国王は失った有能な女官の価値に気づき、その後彼女が『額縁姫』を騙ったと訴え連れ戻そうとしたが、その訴えも番の「匂い」で決着がついた。
そもそも、才気あふれる彼女のことは、女官仲間、世話になった貴族令嬢ら、皆が周知のことだった。彼女が幸福な身の上になったことを、古くから知る人々は心から祝福した。恥をかいたのは国王だけだった。
彼女の実家、イルドゥース男爵家は繁栄した。
額縁姫の実家としての名誉はもとより、彼女が出世を支えた弟はついに男爵位初の宰相にまで上り詰めた。妹の嫁ぎ先は額縁姫の支援を受け、貿易・外交の面で権威ある一族となった。妹はずっと、額縁姫に手紙をつけた故郷の郷土食を仕送りし続けていたという。
このように額縁姫アンの栄光は、嫁いだその時──一時的なものに収まらなかった。
美姫は年老えばいずれは過去の栄光ばかりをもてはやされるようになる。
しかし『額縁姫』アンの名声は子を産み、母として円熟した四十過ぎから頭角を表した。彼女が引き立てた若者たちや彼女が提案した制度が、次々と才能を開花させたのだ。
──額縁姫。
そう呼ばれ、皇帝に寵愛されたたった一人の皇妃は、いつの間にか敬意をこめて『帝国の気高き額縁妃』と呼ばれるようになった。
額縁妃──アンの肖像画は残されていない。
しかし世界最大級の肖像画と言われる、皇帝の肖像画を眩く引き立てる金の額縁は、両腕を広げて皇帝を包み込む、額縁妃を象ったレリーフが嵌め込まれていた。
帝国4000年の繁栄の基盤を築いたと言われる皇帝の治世は、女性史研究者には『額縁妃の時代』とも評されている。
「愛してるよ、アン」
「……私もです。皇帝陛下」
愛する者たちに愛を与え、輝かせ続けた。
彼女の人生は、とても幸福だったそうだ。
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