食事と騒動
こうやって気まぐれにあげることが多々あります。ストックはまだあるので。
寮に戻る。
男子専用は青寮。安直なまま女子寮は赤寮という。王族も同じ寮に住んでいるので、警備は厳重だ。俺たちも恩恵にあずかることができる。
使用人の寮もあるが、俺は第一に生徒として入学しているので、青寮に入寮することとなった。
そんな俺はエーファ様とは勿論、違う宿舎だ。それにお互いの宿舎に異性が入るのは仮令、使用人と謂えども御法度だ。治療のためなど、正当な理由があれば許されるが、基本的には禁止されている。
仕方のないこととはいえ、毎朝、エーファ様に紅茶を出していたのでその日課が失われるのは悲しい。体に染みついてきたのに、忘れてしまいそうだ。それに紅茶を入れる機会が、これからどれほどあるのかもわからない。
「はー。……前途多難だな」
ベッドの上でそう独り言ちる。
俺の部屋は三階にある。四年制のこの学校では、四年間同じ部屋を使う。そのため、去年まで四年生の使っていた三階が次の一年生の階となる。一つ下の階は四年生。上は二年生。最上階が三年生だ。一階は共同の食堂などのスペースとなっている。造りは男女一緒らしい。
そしてこの寮での食事は時間が決められている。その時間に遅れれば、自分で作らなくてはならない。だが、何を使ったか事後申告すれば、材料は好きに使っていいので、俺は困ることはない。料理も執事の教養として覚えておいたので。
今、夕食を知らせる鐘が鳴っている。初日なので、一度食べてみようと重い腰を上げる。初日でなければ一人で食べたい派なので、絶対に行かないのだが。
「焼き魚定食で」
注文時も端的にしか話せなかった。邸の外だとリヒトの影響が強くなっているように感じられる。エーファ様たちにはどうにか根気強く頑張って、今の口調を得たが、ここではそうも言ってられない。やはり前途多難だ。
出来上がった定食を受け取り、端の方の席に座る。顔見知りと鉢合わせないためにも遅めに行ったので、人も少なかった。仲の良い者もいないので、ひっそりと食しようと思ったのだが、意外な人物と目があってしまう。
その人は勝手に俺の前に座ると機嫌の悪そうな顔で口火を切る。
「お前、気に食わない」
「何故」
何故も何も思い当たる節がある。絡まれないようにしようと思った矢先、捕まった。
「は? 僕は上級生。敬語を使えよ」
「俺は今食事中だ。話は後からにしろ」
「……さっさと食え。そして僕の気に障ったこと後悔させてやる」
そんなものは後にしろと言われるかと思ったが、食事はいいらしいのでそのまま食べ進める。きちんと完食すると、すぐさま引きずられるように寮外に連れていかれる。ちゃんと食器は返しておいた。引きずられつつだったけど。
「ハイドとか言ったな。それで何の話だ?」
「お前、リックに気遣われたからって調子に乗っているのか? リックは誰にだって優しいし、誰とでも仲良くなる」
「ちょっと待て。何か勘違いしてないか?」
「どうせお前だって、リックを好きになる。勘違いでも何でもない」
やっぱり勘違いされている。なるということは未来の話なのに、対応が早くないかという疑問はこの際、通じないのだろう。
なる予定なんてないのにな。誤解は早く払拭するに越したことはない。徹底的に応戦しよう。
「俺はリチャードを好きにはならない」
「そんなわけない。リックは太陽みたいな人なんだ。みんな、あいつを好きになる。僕はリックが告白されているのを何度も見た。だから悟ったんだ。好きになる前に不安の種は消すのが一番だって」
ハイドさんは爪を噛みつつ、怒りと焦燥と不安が入り混じった表情でそう言う。
その言葉で背筋が凍る。消すということは最悪、死を意味するのではないか。顔には出ていないが、かなり動揺している。
「何をする気だ?」
「もちろん、本当に消すわけではないよ。でも、それと近しいことはする。僕はそのためにたくさんの研究を重ねてきたんだ。リックとの幸せを壊すなら、僕だって容赦しない」
さっきとは違い、笑みを浮かべている。
本気だ。そう思った瞬間、俺は慌てて思考を巡らせ、一つの道を導き出した。
「俺は絶対にリチャードを好きにはならない」
「絶対なんてないんだよ。他に好きな人がいるわけでもあるまいし」
「いるんだよ、俺には好きなやつが。だから、絶対にあいつを好きになんてならない」
「嘘だ! 僕を騙すつもりだろう」
苦し紛れの嘘だ。ハイドさんも易々とは騙されてくれないらしい。
「どうしたら、お前は信じる」
「じ、じゃあ、その相手を教えろよ。そしたらお前の発言を信用してやる」
相手か。至極真っ当な返答だな。さて、どう答えたものか。
エーファ様には悪いが、名前を使わせてもらう外あるまい、エーファ様なら、許してくれるだろうし、誤解もしないだろう。
「あ、お前の主とか言うなよ。あれは恋情じゃなかった、それくらいは俺でもわかる」
退路をふさがれてしまった。後は知っている者も限られている。邸に籠っていたことがここで枷となるとは思っていなかった。
思い浮かぶ名前は、エーファ様、ディア、リチャード先輩、ハイドさん、ジキルさん、くらいだ。ディアは近親相姦になるので嘘でも駄目だし、エーファ様も駄目。リチャード先輩とハイドさんは以ての外。ジキルさんって言って、下手に気を使われるのも勘弁してほしい。
「……あの人だ。だから、騒ぐな」
今は夕暮れ。寮での食事が振る舞われる時間。そんな時分に外を出歩いている生徒が一人いたのだ。帰寮しているところなのだろうが、この際、都合がいい。誰だかは顔が見えないのでわからないが、言い訳に遣わせてもらう。
ハイドさんもつられて、そちらに目を向ける。
「え? あの人……。本気なの?」
さっきまでの悪い顔は消え失せ、前のめりになって興味津々といった感じで聞き返されてしまった。ここからは遠いはずなのに、誰だかわかったようだ。もう後戻りはできない。
「ああ、そうだ。何か問題でも」
「本気ならいい。……一目惚れしたの?」
「は?」
「だから、一目惚れしたのかって聞いてるの!」
この学校の生徒に顔見知りはいない。それは確定している。一目惚れにしておかなければ、弊害が出ることは明らかだった。
「そうであったとて、お前がそれを知ってどうする」
「ふーん。そうなんだ。お前、あの方が好きなんだ……。そうだ! 応援してやらなくもないから、ついでに僕の相談にも乗れ」
絶対に主目的はそっちだろうに、前提として俺の応援が盛り込まれている。どうせ嘘だから、迷惑極まりないが、ここで否定してしまうと完全にさっきの二の舞になってしまう。腹をくくった。
「応援はしなくてもいいが、そっちの要求は呑もう」
「もしかして見てるだけでいい的な感じなの、お前。それなら何もしないけど、印象と違って乙女なんだな」
せっかく譲歩してやったのに、馬鹿にされている。
「やっぱりさっきの発言はなしだ」
「そんなこと言うなって。ジル兄は役に立たないし、リックにはできないし。僕そもそも、研究一筋で話し相手が必要じゃなかったから、人も限られてるし。お前なら、リックのいいところを教えても好きにならないから、安心だし」
ということはジキルさんとリチャード先輩以外の友達がいないってことか。つまりはボッチということではないか。それなら仕方ないかもしれない。
さっきまで脅されていたのに、甘いかもしれないが許すことにした。
「……わかった」
「言質はとったからね。反故にしたら、本人に暴露してやるからな」
「理解している。そう喚くな」
「お前、名前教えろ。さっきは聞く気がなかったけど、今は聞いてやる」
「リヒト・ホールだ。エーファ様の専属執事をしている」
「リヒトか……。覚えた。じゃあ、そういうことでよろしく」
走り去っていった。
結局誰かわからずじまいだった。遠目だったことと夕日のせいで確証はないが、ピンクっぽい髪色というだけは分かった。
ハイドさんが知っているのだから、同級生か有名人。男子はこの学校に60人ほどいる。その全員を知らないが、今日会った人にピンクっぽい髪色の人はいなかったように思う。それこそハイドさんのような髪色だった。
そこまで考えてふと思う。もしかしてハイドさんのご兄弟だったのではと。あり得ない話ではない。兄妹ならば、遠目でも認識できるだろう。
急いでハイドさんの家族構成を調べなくては。