歓迎
「リヒト、どうかした?」
「あぁ、えっと……。何でもない」
あからさまに目が泳いだ。絶対に何でもない顔をしている。だが、追究されてもわかってもらえるはずがない。俺がリヒトという人物をエーファ様にさえ教えていないから。
「リヒト? 具合が悪いの?」
「いえ、本当に何でもないです。ちょっと思い出すことがあって、そっちに思考を引っ張られただけです」
「……そう」
「なら、今日の案内はやめておこうか。ジキルさんたちのところで最後にしよう。ほら出て」
納得はしていないが、俺が答える気がないことがわかると二人して追究はやめた。その代わり、この探検はもうお開きにしようという案を出された。
体調不良と思われているが、この際丁度いいので何も言わずに付いて行く。
「やっほー。ジキルさん、ハイド。お招きありがとう」
「お邪魔いたします」
ノックもなしに思いっきり扉を開け放つと同時に飛び込みつつ挨拶をする。エーファ様も後に続く。
俺は無言で入った。元よりハイドさんの目的はリチャード先輩だから、騒ぎ立てないでおこうと思った。
「リック?! ……ようこそ。何の用?」
「お! ハイド、今何してるの?」
「えっ……その、魔道具の発動時間の短縮と術者の保有魔力での動作威力の違いを二人で分担しながらやっている」
完全に後ろを向いていたハイドさんがリチャード先輩の声を聴いて、素早く振り返った。動揺しているのか、一瞬たじろいだ後、努めて淡白な口調で話している。
リチャード先輩はそんなハイドさんの様子に気が付かないのか、近くまで行って肩に手をのせつつ手元をのぞき込む。そしてハイドさんが慌てふためいているのが見て取れる。
俺とエーファ様とジキルさんは顔を見合わせる。二人は微笑ましさから笑っている。
「お似合いですね」
「そう言ってもらえると助かる。ハイドは嫉妬深い。二人きりでリチャードと会わないようにした方がいいぞ。彼が付いているから大丈夫だろうが。ハイドは疑わしきは罰せよの精神論を持っているから……」
「ご忠告感謝いたします。気を付けますわ。私といたしましてもあらぬ誤解を持たれたくありませんので」
「本当に助かる。俺も手を回せる範囲は限られている。俺の知らないところで勝手をされるとそっちの方が面倒臭い」
安心したように胸をなでおろしている。そこまでハイドさんは嫉妬深いのだろうか。勿論、二人きりで会わないようにしなければ。ここでも波風は立てたくない。
「ハイド、自己紹介しろ」
「……ハイド・ローザだ。二年。好きなことは研究。以上」
愛しのリチャード先輩との会話を中断させられたのが癇に障ったのか、低い声でそう言うとこちらを向いていた顔さえすぐさま元に戻した。リチャード先輩は苦笑している。好意に気付いているのかいないのかは定かではない。気付いているなら性格が悪い。
「悪いな。……俺は、ジキル・ローザ。様はやめてくれ、性に合わない。俺は三年で、ハイドとは従兄弟だ」
「私はエーファ・ベイリーと申します。こちらは私専属の執事のリヒト・ホールですわ。以後お見知りおきを」
お辞儀をするのみに抑えておく。
「ベイリーって、まさか……」
「兄をご存じですの?」
エーファ様の言葉に耳を疑った。
兄なんて聞いていない。ずっと一人っ子だと思っていたし、兄の片鱗なんて露程も見せなかった。何故、エーファ様専属執事であるこの俺が、主の家族構成を把握できていないのか、それは不服だ。
「兄……」
「えっと……。話していなかったかしら……」
話さなかったのではなく、話し忘れていたということが伝わり、一先ず安心する。
「聞いていません。お兄様がいらっしゃるなんて……。他にご兄弟はおられますか?」
「いえ、兄だけですわ。ごめんなさい。てっきり話したものだと……」
「大丈夫です。俺も早合点しておりました」
衝撃のカミングアウトをされたが、話の途中なのでそこまでで止めておく。
「それでジキルさんは兄をご存じなのですか?」
「ああ、知っている。ソアラは俺たちの学年では有名だからな」
「その評判が悪評でないことを祈ります……」
お兄様はエーファ様がそのようなことを祈らないといけないほどの要注意人物ということか。記憶しておこう。
だが、エーファ様の言葉を聞いて、ジキルさんは不思議そうにしている。
「あいつは成績も学年トップクラスだし、クロム様の旧友。皆、憧れていると思うぞ」
「そうですか……。安心致しました。これからも兄の事どうぞよろしくお願いいたします」
クロム様が王位継承権第一位の第一王子ということはさすがの俺でも知っている。そんな御方と親しい間柄なんて、滅多にないことである。そんな立ち位置に、エーファ様のお兄様がいるという事実に驚きを隠せない。
エーファ様も同様で、あの兄が……、みたいな顔をしている。笑みを浮かべ擬態しているが、絶対そう思っている。長年の俺の勘だ。
「大したもてなしはできないが、座ってくれ」
「失礼いたします」
一つだけ綺麗にされた机を囲んで座る。急いで片づけたのだろう。先ほど来たときは何処も散らかっていたので。
紅茶と茶請けが出される。最近人気のお店で売られている茶葉とバウムクーヘンだということが味でわかる。俺もこの前、エーファ様に飲んでもらおうと同僚に頼んで買ってきてもらったことがあるから。その時はローズマリーティを出したが、今回はアッサムティのようだ。あっさりとしていて、バウムクーヘンの甘さがあまり気にならない。王道だが、俺もこれは好きだったので記憶している。
「美味しいですわ。ありがとうございます。この紅茶、どこかで飲んだことがあるような気がするのですが、どこのお店のものかわかりますか?」
「それは“ウィル・スノウ”というお店のものだ。最近、流行っているらしくいただいたものだが、お気に召してくれたのならよかった」
エーファ様が俺の出した紅茶の味を覚えていてくださるなんて、感慨深い。自分のできる最大限の仕事をしてきたことが報われた気がした。
俺たちはそこから10分程度の談笑をすると、リチャード先輩がお開きにしようと言ったので解散することとなった。別れ際、リチャード先輩が頻りに俺の体調を心配していたが、誤魔化した。その際、ハイドさんには威嚇する猫の如き反応をされた。そうか、この世界では同性愛は普通に日常にあるものなんだ。俺も例外ではない、ということを大いに学んだ。ハイドさんに誤解されないようにしなくては、そう心に刻んだ。