リヒト・ホール
地下で罰を受けていると階上から明かりが下りてくる。
ふとそちらを注視してみると見たことのない執事が階段を下っている。
俺の様子に気付いたアークも視線を追って、そちらに目をやる。
「アーク、レオン様が彼を応接室に連れてくるようおっしゃっております」
そいつの言っていることが理解できず、ボケっとしてしまう。
「レオン様が?」
「ええ、そして彼には治癒魔法をかけるようにとも」
何故かはわからないのだが、一先ずここからは脱せられるのだとわかり、内心狂喜乱舞している。エーファ様の口添えが効いたのだろう。今この状況で動けるのは、彼女しかいないはずである。
エーファ様の行動力には驚くとともに感謝が募る。また恩ができてしまった。
「……了解した。ノアは」
「俺がやっておきますから、そのままアークは行ってください」
そう言った執事は俺を縛っていた鎖を外すと治癒魔法をかけ始める。
全身がぽわぽわして、不思議な気分に陥る。温泉に入っているみたいな気持ちよさと温かさがある。
「これを着てください。レオン様の御前にそのままの格好で出すわけにはいきません」
手渡された服に袖を通すとアークに指示されるまま付いて行く。
久しぶりの日の光に目が眩む。眩しくて顔に手をかざす。
「レオン様、連れてきました」
「ああ、入ってくれ」
扉が開けられ、部屋に入る。
部屋にはレオン様がいらっしゃるだけで、彼女の姿はない。
「エーファには別室で待機してもらっているよ。あの子の話を聞いたんだ。その上で僕の所見で判断をしようと思うのだが、かまわないね?」
「ああ、願ったり叶ったりだ」
「その前に一つ、僕は今から君に催眠魔法を使用する。この魔法は君に催眠をかけた状態にする、つまりは自白作用のある魔法。これを使わせてもらうけれど、大丈夫だよね?」
「構わん。どうせ、それがないと俺の声はわからないままだろうしな」
「協力に感謝するよ。では、今から始めさせてもらう」
『汝の心の声を聞かせ給え。我、そのありのままを受け入れん』
ベイリー家の固有魔法。そう理解をすると同時に部屋の中に甘いにおいが漂う。
これは俺が保護をされ、ベッドに寝ていた時に嗅いだ匂いだ。見ず知らずの家だったから、知らないと思っただけで、あれは魔法の痕跡だったということか。
徐々に魔法にかかってきたようで頭がぼうっとする。当主だからか即効性も効果もエーファ様より格段だ。
もうすでに微睡みの中にいるような感覚に陥っている。
「リヒト君、君の話を聞かせておくれ。エーファから前世の話は聞いたよ。それについて知りたいな」
「……俺は日本という国に住んでいた、ただの一般人でした。こことは違う世界。魔法の代わりに科学と呼ばれるものが発達している。なので、不自由のない平和な世の中でした」
「前世の君の名前は?」
「わかりません。そういう個人的な情報に帰結しようとすると靄がかかったみたいに思い出せなくて……ただ漠然と男だったのと20歳前後だったことは覚えています」
「そうなのかい? では、質問を変えよう。何故、今の君は敬語で話せるの?」
「俺は前世の意識が強いから丁寧に話したいけど、元のリヒトらしき性格が外見にずっと出ていて、俺にはどうにもできなくて……」
「その言い方だと今の君と過去の君は別個体のような感じだね」
「別個体だと思います。そもそも過去の自分の性格に前世の記憶が上書きされたのか、前世の俺が今の自分そのものなのかまでは、よくわかりません」
不思議なのがリヒトの意思は俺の記憶が戻ってから一切感じられないのだ。それこそ消え失せてしまったかのように、微塵も表に出てこない。無意識に出る悪役補正があるので完全に消えているわけではないと思うのだが、それでも奇妙なことに変わりない。よくよく考えてみると同じ身体に二つの人格、もとい魂が存在することは可能なのかさえよくわかっていない。
「妹のことはどう思っているの?」
「えっと……。俺はまだディアが妹っていう実感があまりなくて……。だから、今は何も言えないですかね……」
「そうだね。君にとっては他人か……」
何かを考え込むように目を伏せるレオン様。しばらく待つと顔をあげ、口を開く。
「君が記憶を思い出したのは怪我をしてからだったよね。その前の君がどんなだったか覚えているかい?」
「詳しくはわからないですけど、あの日のことなら辛うじて……」
そう前置きをして、俺はエーファ様と出会った日を語った。その間、レオン様はただ静かに耳を傾けてくれていた。かすかに感じる相槌がとても話しやすかったことを覚えている。
話を聞き終えるとレオン様は何度か頷き、俺に提案をしてきた。
「うん。そうだね……。君さえよければエーファの執事をやらないかな? 人がいなかったのも本当だし、君なら悪い虫を追っ払ってくれそうだし」
「いいんですか? 俺としては願ったり叶ったりなんですけど」
「ああ、いいとも。今までのことは水に流してくれるかい?」
「はい。元々は俺が悪かったんですから……。あ、でも俺、催眠魔法がないと……」
「それは大丈夫。説明はしておくし、対処方法も確立しておこう。その口調が多少なりとも改善されたときの為に、君は執事としてのノウハウを学んで、一日でも早くエーファの専属執事になれるよう頑張って」
「はい、わかりました。よろしくお願いいたします」
やっとだなと思った。俺のこの口調や表情のせいで遠回りをしてしまったけれど、やっとエーファ様の執事として学ぶことも、ディアを近くで見守ることもできる。
「君、そんな顔もできるんだね」
レオン様がぽかんとした顔でそう言ったのでやっと気が付いた。達成感と嬉しさが半端なかったので、表情も緩くなってしまったようだ。
前世では友人も多く、楽しい毎日を過ごしていたと思う。その時の友人から、俺の笑顔は人懐っこいって言われたことがある。その笑みをこのリヒトの顔でしたなら、驚くのも無理はないな。今まで不機嫌そうな顔か無表情か嘲笑う顔しかしてこなかったし。
「僕は君にそういう風に笑っていてほしい。子供には笑顔でいてほしいんだ。欺瞞だって過去の君なら言うかもしれないけれど。僕はそう思うんだ。だから解決法もなるべく早く見つけ出しておく。君が自分の心に素直に生きられるように」
レオン様は穏やかで大らかな人柄。厳しさも持ち合わせてるが、それはきちんと道理にあっているものだ。だから今の彼の発言を欺瞞だとも思わないし、最後の一言も本心だと思える。そんな彼にそう言われて喜ばないはずがない。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで嬉しいです」
今度は自分でも頬が緩んだのがわかる。擬音で表すとへにゃっとした笑みだと思うが、これもレオン様は予想しなかったのか目を見開き、固まっている。
「どうかしました?」
「いや、何でもないよ。では、アーク。リヒト君の今後は君に一任するよ」
控えていたアークに手をかざして合図をするとそう言い放った。
アークも自分に任されるだろうとは予測していたから、ただ淡々と対応する。
「拝命いたしました」
「出来れば彼にエーファの専属たるに相応の身分が与えたいのだけど……」
「つまりは……」
「うん、君が適任だと思うんだ。でもこれは君の今後に関わることだから、無理には言わないけれど……」
レオン様がしおらしく言うので、アークは多少にじませていた嫌そうな顔を引き締める。
「わかりました。大丈夫です。私はレオン様の意のままに」
「助かるよ」
この時はよくわかっていなかったけれど、エーファ様の専属としてやっていくには相応の身分が必要だったようで、俺はこの時アークの養子という形で身分をかちとった。
名前をリヒト・ホールと改め、新たな人生が始まった。
これから時間軸戻ります。結構長くなってしまいました……。
キャラも増えるので、いつかまとめを上げるかもです。