7 獣人族の娘は獣人の里の元へ、人の魂は神の元へ
「待っておれ、サン。必ず父がお前を助けに行くぞ」
獣人族が騎士たちをなぎ倒しながら向かうその先はサーカスのテントにも似た大きな建物、奴隷小屋であった。
そこからの道は、ほとんどの敵勢力をひねり潰した彼らにとっては簡単な道であった。もはや獣人族の侵攻を止めるだけの戦力はこのメルグの町には残っていない。
ソールは眉一つ動かすこと無く、奴隷小屋に向けて群を進める。しかし、その心中は激しい怒りと泣きそうにならんばかりの焦りが渦巻いていた。
娘のサンが、奴隷商に捕らえられ、奴隷として連れて行かれた。それがつい一週間前のことであった。あらゆる情報筋をあたり、ようやくたどり着いたのがこの町、ここの奴隷商がサンを捕らえたということを知った。ここでサンが奴隷をさせられ、人間たちにしいたげられている。
殺す。ソールはこの一つの思いに感情を収束させ、ついに奴隷小屋へたどり着いた。接敵をしてからまだ二十分足らず、その上、卑しい職業のため騎士からも疎まれている奴隷商は避難の指示も遅れているか、あるいは行われていないだろう。事実、今回も騎士たちは町の貴族や仲間を守ることに重点を置いていた。
ソールは怒りの余り、顔中に血管を浮き出させていた。
一刻も早く娘のサンを保護したい、そして、娘をさらった愚か者共の脳天をかち割り、地獄へ送りたい。ここの住民共もそうだ、奴隷商を皆殺しに次第、目に物を見せねばなるまい。
ソールは立ち止まることなく、その巨躯で突進して門をぶち壊す。
「ひいぃ! そんな、鋼鉄の門が!」
ソールの予想通り、中には奴隷商が五人と奴隷が数十人、逃げずにそっくり残っていた。しかし、奴隷が収容されている檻の中にはサンの姿はない。
「サン! どこだ、サン!」
ソールはなりふり構わず、奴隷商館の中を探し回る。奴隷商たちはその姿にあっけにとられた。しかし、次第に気を取り直し、棍棒手に取る。
「このっ!」
「ぬるいわ、たわけっ!」
後ろから攻撃しようとした奴隷商の一人が、ソールに殴りかかる。ソールはそれをたやすく見切り、カウンターを食らわせた。
奴隷商は衝撃で壁まで吹き飛び、体をしたたかに打ち付ける。肉体は壁にめり込んでおり、ピクリとも動かない。
「貴様ら! 獣人の子供の奴隷をどこに隠した! 言え!」
ソールは別の奴隷商の胸ぐらを掴み、宙に浮かせ問い詰める。
「こ、ここにはもうおりません!」
「嘘を申せ! よもや隠し通せるなどと思うな!」
「オメェが探してるの、コイツだろ?」
突如として、後ろから声が聞こえた。ソールは反射的に振り向く。
「何っ?」
「この子が目当てだろうから持ってってやろうと思ったが、すれ違いになったみてぇだな」
ソールが振り向いた先には、少女の手を引く怪しげな男、イエスの姿があった。
ソールはイエスの連れている少女を見る。自分と同じ赤茶色の髪、妻に似た小さい体にかわいらしい顔立ち、間違いなくサンだ。
イエスは獣人族の軍団をかき分け、奴隷商館の中へ入る。獣人たちはイエスを襲おうにも、余りにサンと近いため攻撃することはできずにいた。
イエスの勘は当たっていた。この世界に来て間もなくの頃、奴隷商に身柄を捕らえられていたがその際に獣人族らしき少女の奴隷がいたことを思い出していた。
「パパ! 迎えに来てくれたのね!」
イエスのそばにいたサンが父へ手を振る。それを見たソールは、一週間ぶりに笑った
「……貴様、奴隷商ではないな、身なりで分かる」
「そうだ、俺は人を人ではなく神に従わせる者だぜ」
「何を言っているかは良く分からんが、その娘を返してもらおうか。さすれば貴様の命は見逃してやろう」
ソールは会話の中でもジリジリとイエスとの距離を詰めていく。
この状況を見て、あの男がしようとしていることなどは手に取るように分かる。大方娘を人質にして金
でもせびろうという魂胆だろう。金で娘が戻ってくるならばそれはそれで良い。しかし人間という者は息を吸うように嘘をつき、約束を破る。
後もう十歩、そこまで近づければ男のみをぶった切ることができる。交渉の内容次第では、その方法で娘を助けるしかない。
しかし、イエスの行動はソールや獣人族の兵士たちの予想を裏切った。
イエスはサンの小さい背中を押し、父の元に向かうように仕向ける。サンはイエスの顔を不思議そうにのぞき込んだ後、父の元へ走った。ソールは困惑した。これでは、あの男が無防備になってしまったではないか。取引をするのではなかったのか。
「無礼んじゃねぇっ!」
イエスは怒号を上げた。人間の中では体つきの良い方のイエスも、獣人族の戦士と比べれば女性のよう
に華奢である。しかし、そんな彼の放った声は周囲を取り囲む戦士たちに強烈なショックを与えた。
「『獣人の少女は獣人族の長の元へ』だ、そんな簡単な真理を俺が分からねぇとでも思ったか!」
イエスは奴隷商たちを背にする位置に移り、言葉を続ける。
「そして、『人の魂は彼らの神の元へ』返すべきだ。オメェらにはやれねぇな」
「何を言うか、もうサンはこちらで預かった。貴様の願いを聞いてやる必要など無いのだぞ?
ソールは合図を出し、じわじわと戦士たちを人間へ迫らせる。
「さっさとその奴隷商どもの前から離れよ。でなければ、どうなるか分かっておろうな」
「くだらねぇ交渉は止めろ! 大切なのは何が正しい道理か、だろうが!」
それでもイエスは一歩も引くことなく、それどころかソールへと歩み寄る。
「貴様! 死にたいのか!」
ソールはイエスの右隣の床を自らの得物の大剣でたたき割る。鈍い輝きを放つ鋼の塊がイエスの頬をかすり、床のタイルを粉砕する。
それでも尚、イエスは突っ張り続けた。
「くだらねぇ、見せかけの力じゃ俺ァひるまねぇぞ!」
この男に脅しは効かない。一人の男として、真っ正面から向き合うほかないのだ。
ソールはそう確信した。
「……何がそこまで貴様を駆り立てるの」
ソールは剣を肩に担ぎ、イエスに問う。
「救い、だ」
「救いだと?」
「あぁ。俺は神から権限を授かり、オメェらを救いに来た救世主だ」
イエスのその言葉に、辺りは下卑た笑い声があがる。
「では救世主殿にお聞きしたいが、我々にどうしてほしい?」
「こいつらを許してやってほしい」
イエスは震えて縮こまる奴隷商を指して言った。
「良かろう。では今回は見逃そうではないか。しかし、この者どもは恩を忘れてまた我々の同胞を奴隷にするだろう。その時はどうしたら良い?」
「また許してやってくれ」
「その次は?」
「許せ」
イエスは毅然と言い放つ。
「一体、我々は何度許してやれば良いのだ! 六回か、それとも七回か!」
ソールは耐えかね、声を荒げる。
「七回どころじゃねぇ、七の七十倍まで許してやったらいいんだよ」
イエスは優しげな笑顔でそう言った。
その瞬間、イエスの顔面は大剣で痛烈に打ち付けられた。イエスの頭部は水風船がはじけるように血を吹き出す。特に、直撃した右側の顔はズタズタに裂けており、元の顔を想起することはできないほどに酷く変形した。
「うっ……!」
しかし、だというのにイエスは倒れることなく、二本の足で懸命に踏ん張っていた。
バカな、ソールは戦慄した。峰の方で打ったとはいえ、この大剣による攻撃を受けて立っていられた人間など今まで見たことがない。
「オラ……、もう一度打ってみろよ」
イエスは体をけいれんさせながら、わずかに残っている左頬をソールに突き出す。全身に力を込め、血の噴き出した眼でソールをにらみつける。
「まだ左の頬が……、残ってるぜ?」
「このっ!」
ソールは振りかぶり、イエスの顔に一撃を食らわせる。骨が砕ける音が次は肉を挽く音へと変わり、割れた額からは粘度の高い血がボタボタと垂れる。半ば目玉は飛び出し、鼻はへし折れ、舌はダラリと垂れている。
イエスは倒れなかった。血の池のようになった顔をまた向けながら、イエスは叫んだ。
「何度でも……、何度でも打ってみろやオラァ!」
ソールは身震いをした。恐怖ではない。そもそも、こんな人間一人、指一本で殺せる。身の危険を感じたわけではない。
何だろうか、この感覚は。ソールはふと、囲いの獣人族たちを見る。
その時、ソールは答えにたどり着くことができた。彼らがイエスをキラキラとした称賛のまなざしで見ていたからだった。
獣人族の男は文化的に強さと勇敢さ、そしてある種の無鉄砲さを尊ぶ。戦士たちは、か弱い人間でありながらも卑怯な振る舞いをせずに族長と渡り合うイエスに底知れない格好良さを感じていたのだった。そして、その思いはソールもまた少なからず抱いていた。
敵である自分たちを思いやり、危険を顧みず語りかけ、苦痛を与えられても折れない。
実に素晴らしい男だ。この男に感服と尊敬を感ずにいられる者がはたしてどれだけいるだろう。
「真の救世主よ。儂はもうそなたを害することはできん」
周囲の戦士たちが固唾を飲んで見守る中、ソールは剣を鞘に収める。
「ひとつ聞きたいことがある。良いか」
「……何だよ」
「なぜ、儂がこいつらを許すことを神は望むのだ?」
「簡単なことさァ……。神はな、オメェに復讐なんかしてほしくねぇんだよ」
イエスはふらつきながらも言葉を続ける。
「『復讐するは我にあり』そう神は言った……。そりゃあそうさ。大事な子供たちには復讐なんてつれぇことさせたくねぇ、ってのが……、『親心』って奴だろ?」
その言葉を聞き、ソールはふとサンを見た。
サンはこの惨状に体を震わせ、顔を青白くさせている。
そうだ、それが親心だ。常々、サンには憎しみや妬みを知らない優しい子になってほしいと願い育ててきた。だというのに、己は他ならぬ愛娘に人間との醜い軋轢の現場を見せてしまっていた。
「……そうだ、それこそが親心であったわ」
「あぁ、親の言うことは聞いとくモンだぜ。オメェも良く娘に言うだろ?」
イエスがそう言うと、ソールはうなずき破顔した。
この男には、自分の言ったことを絶対に突き通す侠気がある。そんな男の言うことだ。信じてみる価値はあるかもしれない。
「おい、奴隷商たちよ」
ソールは吹っ切れた様子で語りかけた。
「は、は……」
「我々はそなたらを許す。……たとえこれから先、何度我々をさげずみ、奴隷の身に落としたとしても許そうではないか」
「そ、そのようなことはもう、ございません」
奴隷商のリーダー格の男はソールへ跪き、頭を地面にこすらせる。
「イエス様の行いを見てしまっては……私たちはもう、奴隷狩りなどできません。貴方がたにはどうお詫びしたら良いのか、検討もつきませんがどうかおっ、お許しください……」
男は涙を流しながら侘びの言葉を述べ続ける。感覚に優れた獣人族のソールはそれが、一切の偽りのない真実の言葉であると直感した。
この男もまた、イエスの熱意に動かされた一人であった、
ソールは装備していた武器を乱暴に落とし、その場にしゃがみこむ。
「皆に告ぐ。此度の戦い、これにて終いとする。儂は責任を取り、投降する」
他の獣人族も武器を捨て、その場に座る。
「人間どもめ……。良い奴らではないか」
じきに体勢を整えた騎士団がここに来るだろう。どの様な処罰を受けるかは分からない。もしかすれば死刑もあり得るだろう。しかし彼らの内心はすがすがしい朝の光のように晴れやかであった。
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