31 塩の例え
フィーガの部屋の中、イエスは買い出しに行った彼女をのんびりと待っていた。しかしそれだけではない。幻覚によって隠されている多くの情報の中から、イエスは少しずつ自分が置かれている状況を把握しつつあった。
まずひとつに、この部屋は地下にある。先ほどフィーガが外に出る際、姿こそ見ることはできなかったが、確かに階段を上がる音が聞こえた。その上、この部屋は砂漠地帯にも拘らず涼しい。
そう考えれば、この部屋が地下に隠されていると考えるのが妥当であろう。
「あぁ、今戻ったわ……」
イエスが考え事をしている中、フィーガが戻ってきた。彼女は本棚の中からその体をニュルリと出し、部屋の中に入ってきた。おそらく、そこに出入り口があるのだろう。しかし、彼女の術中に完全にはまっているイエスにはどうしたってそれを見つけることはできない。
見ることや聞くことは勿論、触れる感触すらも魔法によって遮断されているのだ。
「あぁ、あの菓子、買ってきてくれたか?」
「……ごめんなさいね、たまたま売ってなくて……」
「いや、それなら仕方ねぇ」
「本当に、その、ごめんなさい……」
フィーガは随分と意気消沈し、うつむいている。
「おい、別にそんな落ち込むことはねぇだろうが。たかだか菓子のことだろ?」
「え、えぇ……。そうね。……代わりに別のお菓子を買ってきてあげたから」
「……なぁ、フィーガ」
「そうだわ! 私、今度は貴方の言う『前の世界』の話が聞きたいの。教えてくれないかしら」
「何かあっただろ」
イエスは、気付かずに涙を流しているフィーガを見つめた。とめどなく涙を流している彼女はいつもの大人びた美女ではなく、さながらどこにでもいるような少女に見えた。
「いや、別に、何もないわ。えっと」
「言ってみろよ」
イエスの有無を言わさない雰囲気に押され、フィーガはしどろもどろになる。
フィーガは自分が泣いていることにようやく気付くと、両手で顔を拭い、話し出した。
「……グルーシャが、王国軍に捕らえられたわ」
「何だと?」
「奴らの見え見えの罠にかかって、一人で野営地に行ったって……っ! 町中大騒ぎで……っ!」
フィーガがしゃべる度、彼女の目からは涙がこぼれ落ちる。
あの日、覚悟はしていたことだ。魔族の国が侵略され、グルーシャが自分の制止を振りほどいて反乱軍を作った日からずっと、こんなことになると覚悟していた。だが、そう思っていても尚、ぶつけるあてのない悲しみが津波のように襲ってくる。
「俺が助けに言ってやる」
イエスは立ち上がり、言った。
「……良いの。これも彼女の望んでいた道だから。……私は邪魔したくないわ」
「うるせぇ!」
イエスはフィーガを一喝する。
「テメェの大事な奴が死にそうだってのに、邪魔もクソもあるかっ!?」
「でも……っ!」
「答えろっ! 生きててほしいのかっ!? 死んでほしいのかっ!?」
「そんなのっ……、生きててほしいわよっ!」
フィーガはイエスの胸元に抱きつき、大声で嗚咽した。イエスはそんな彼女を強く抱きしめ、安堵させようとする。彼女の呼吸が落ち着いたのを見計らった後、イエスは口を開いた。
「大丈夫だ。俺が助ける……。オメェの大切なモノは全部守ってやる。だから泣くなよ」
「ダメっ! 貴方まで死んでしまったら……」
「良いか、フィーガ。『塩』ってあるよな?」
「……え?」
フィーガは思いがけず、言葉を詰まらせる。
「塩って奴ァ、新鮮なうちは良いが、塩気がなくなっちまったら何の役にも立たねなくなっちまう。そうなったら死んだも同然さ」
イエスは言葉を続ける。
「俺も同じだ。救世主だなんだと持ち上げられてるが、人一人救わなくなっちまったら、救世主としての俺は死んじまうんだぜ」
「っ……! そんなのっ!」
「頼む、俺を殺さないでくれ」
イエスは神妙な面持ちでフィーガに懇願した。このような言い方はずるい。そんなことは分かった上での言葉であった。
「……分かったわ。イエス、……いえ、救世主」
フィーガは自嘲気味に笑い、目を閉じる。自分はこのイエスと言う男を見くびりすぎていたのかもしれない。彼は、自分と二人だけの世界のとどめておくにはもったいない男だ。
フィーガは思った。彼を生かしたい。それこそ、彼の望む限りに。
私を含めた凡ての存在を救おうとする彼をここから解き放つこと、それはこの世界を救うことなのかもしれない。
フィーガは指を鳴らすと、部屋の景観が急激に変わる。彼女の真後ろの壁に、簡素なドアが現われた。
紛れもなく、術が解かれたのであった。
「ねぇ、キリスト。約束してくれる?」
「なんだ?」
「この国を、この世界の皆を救ってくれる?」
フィーガが扉を開けながらそう言うと、イエスはその扉を通り、言った。
「天の国は近づいた!」
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「馬鹿なっ!? なんということをしてくれたんだっ!」
反乱軍の魔族の男が、厳しくベルナデットを責め立てる。
グルーシャが野営地に向かった次の日の朝、アジトは阿鼻叫喚の騒ぎになっていた。棟梁の姿が見えないのだ。その上、騎士が言うには、彼女は和平交渉をしに行ったらしい。
もし彼女が殺されてしまえば間違いなく反乱軍は崩壊する。その焦りが場を支配していた。
「そんなの、私を責めたって仕方ないでしょうが」
ベルナデットは気後れすることなく言い返す。
「お前が余計なことを言わなければ、この場は収まったんだぞ!」
「私はただ、彼女にイエスの言葉を教えてあげただけです! それはあなた方が望んでいたことではないですか!」
「それが余計だと言っているんだ!」
男が拳を振り上げ、ベルナデットを殴ろうとする。
その時であった。
「待ってください!」
向かいの道から、凜とした声があがった。兵士たちが声の方を見ると、そこには彼らの頭領、グルーシャの姿が確かにあった。グルーシャは歩を進め、彼らの元に来る。
「皆さん、私は無事です! 心配しないでください!」
グルーシャがそう高らかに叫ぶと、一同の興奮と狂気はなりを潜め、場の喧噪は収まった。それととも
に、ベルナデットに振りかぶられた拳も行き先を失い、下ろされる。
「グルーシャ……、王国軍のところには行かなかったのか?」
訳が分かっていないような調子で、男が問う。
「いいえ、行きました! そして、……帰ってきました」
「何!? ……本当に和平交渉だったのか?」
「いいえ。でも、そこである一人の人間に助けていただきました!」
兵士たちの視線が集まる中、グルーシャは言葉を続ける。
「私は知りました! たとえ今は敵であろうと、心が通じ合うことはできるということが!」
あの日、ダンとの会話が終わった後、彼は約束通りに深夜訪れてきた。そして、彼の手引きによって脱出できたのであった。
彼が何故、自分を助けてくれたのかは分からない。だが、決してあの将軍を敵であるなどとは考えていけない。この行いの中で。グルーシャはそう確信していた。
「グルーシャ、それは本当のことなのか……?」
「はい! ……ベルナデットさん、ありがとうございました」
「私は何もしていませんよ。貴女の出した答えじゃないですか」
「いいえ、貴女のおかげで、王国軍の人とも通じ合えることが分かりました」
グルーシャは改めて兵士たちの方に向き直り、叫んだ。
「皆さん、これから、王国軍の野営地に行きましょう!」
「なっ、何故だ! せっかく帰ってこれたというのに!?」
「勿論! その人を助けに行くためです!」
グルーシャのその言葉に、周囲はどよめいた。
「そんな……、止めましょうよ!」
兵士の内の一人がそう言った。
はっきり言って、彼女が無事に帰ってこられたのは紛れもなく奇跡の配分、二度同じことは無い。だと言うのに、再び戻ろうなど、今度こそ命が危ない。ましてその目的が、敵の将軍を助けに行くため、と来たものだ。
彼女のためならまだしも、わざわざそんな奴のために行動は起こせない。兵士たちの多くはそう思っていた。
「そんな! 私を助けたせいで殺されてしまうのですよ! それを助けないというのですか!」
グルーシャの必死の呼びかけにも関わらず、皆は同意を示さなかった。
「……グルーシャ、気持ちは分かる。そりゃあ、恩を返したいよな」
「そうです! このまま一人にできませんよ!」
「だが、もうこれ以上は危険なんだ……! もし、この混乱に乗じて奇襲をかける、ならやる価値はあると思うが……」
男がそう言った瞬間、彼の頬に強烈な平手打ちが炸裂した。男は訳の分からぬまま尻餅をつき、後ろに倒れる。
「そんな仕打ちは許しません!」
「なっ……!」
「……分かりました。皆さんが来ないというのなら、せめて私一人だけでも……」
グルーシャが自分の馬に乗り、走らせようとする。
その時であった。
「待たせたな」
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