16 良き獣人族
「……どこに行こうと言うんだ?」
森を抜ける道のさなか、エレツは前を歩くイエスに問いかけた。
イエスの呼びかけに従って道を進むエレツであったが、不安は募るばかりであった。
ナザレのイエス、彼にはすさまじい『力』がある。それは小手先の腕力や魔法力以前の、さらに根源的な力だ。そのことは、集団で論戦をしかけ、あげくに魔法で脅そうとしたエレツ自身が重々理解していた。エレツは既に分かっていた。イエスという男が、到底自分の手に負えるようなレベルの存在ではないと言うことを。その気になれば、あの時に自分を殺すこともできたと言うことを。
あえてしなかっただけだ。イエスが、あくまで自分に説教することに拘っただけのことなのだ。
「まっ、着いてからのオタノシミだな。そりゃ」
「そうか……」
「ククク、さっきまでの威勢はどうした?」
「う、うるさい!」
エレツはそっぽを向き、反発する。しかし、今までの振る舞いを見れば至極可愛いものだ。イエスはそう思った。
「素直が一番だよなァ。俺たちは、手前の心に嘘をつくから諍いをおこすのかもしれねぇ」
「……君のように本音ばかりでいたら、種族の誇りなど守れはしないよ」
エレツはつい、ポロリと言葉を漏らす。それは自然な本音であった。
「誇り、か。オメェは随分とそいつを大事にするんだな」
「何だ、『つまらない誇りなど捨てろ』と救世主様はおっしゃるのかな?」
「言わねぇよ。オメェの大事な物をあざ笑ったりするもんか」
イエスはそっけなくそう言った。
エレツは何も言い返さなかったが、内心悪い気持ちではなかった。思えば、あの時、一度激昂してしまった時から、自分でも理解できない心境の変化があった。憑き物が落ちたかのような、そんな感じがした。
「なら、……うん、良いんだ」
「だがエレツ、どうやらオメェは偽物の名誉しか知らねぇみてぇだな」
「何だって?」
「オメェは他人に自分が偉いと分からせたがっている。だが、本当にかっこよくて尊敬される奴はそんなことしねぇんだ」
「……自画自賛か?」
「ハハハ! バレたか」
イエスはわざとらしくおどけ、エレツの方を振り向く。
「でもな、俺だっていつもそういられる訳じゃねぇんだ。……もしかしたら、心のどっかで傲慢な気持ちがあるのかもな」
「君が、か?」
「あぁ。俺だって、ムカつくこともあるんだぜ。弟子を水の中に放り込んだり、実がないイチジクの木を枯れさせたりしてな……」
「嘘だろう? とんだ神の子がいたものだね」
エレツはたまらずおかしくなり、口元に手をやる。聖人ぶって説教をして回っている男の過去とは思え
ない暴れっぷりだ。見る目も変わってしまう。
「しかし、僕も怒りに我を忘れた馬鹿者さ。笑うべきではないね」
「いいじゃねぇか。笑ったってよ」
イエスはニィッと笑いかける。
「俺たちは、皆馬鹿野郎なんだ。誰だって罪を犯すし失敗もする。……だから、互いに許し合っていこうぜ」
「……そんなの、無理だ」
エレツはわざと聞こえないほどの声で呟く。確かに、そんな肩肘の貼らない関係を作れたらどれだけ気が楽だろうか。わざわざ権威を主張し、他者を踏み台にして上がることはなくなる。
しかし、そんな都合の良いことにはならないだろう。こちらの失態が露呈すれば他者はそれを執拗に追求するのが世の常。そんな世界で、自分は今まで必死に自分の弱さを隠し、一方で他者の弱さを暴こうとしていた。それを、今更止めましょうとは虫の良い話ではないか。許されるはずがない。
エレツは、自分の末路について一種の諦めがあった。
「無理かどうか、今から確かめに行こうぜ」
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「やぁ、イエス! 早かったじゃないか!」
「もうできているから座ってくれ!」
「おう!」
それから数十分ほど歩き、イエスとエレツはエルフの森と獣人族の村の境に来ていた。
イエスは一つの民家に入る。そこには獣人族の農民が四人、のんきに鍋をつついている。彼らは前まで畑作業をしていたのか、顔中を泥まみれにしていた。
「イエス、この者たちは……?」
「ここの農民たちだ。今日はこいつらと飯食って話す予定だったんだぜ」
イエスはゴザの空いているところに腰掛けると、エレツを手招きする。
「さぁ、こっち来いよ」
だが、エレツはたじろぎ、立ち止まっていた。彼らも自分のことは知っているだろう。イエスが連れてきた奴は、高慢で敵対的なエルフ族の代表であると。きっと敵視している。
到底、しれっと輪に入れるような関係性ではないのだ。
「救世主がこんな汚らしい奴らと食事をするのか?」
エレツが思わずそう言うと、イエスたちは大声で笑った。
「なら、あえて言うぜ、ここは汚れた奴のための場だ。清い奴のための場じゃねぇぞ!」
「……なら、僕は入れないじゃないか」
「バカ野郎! 入ってこい!」
イエスはしびれを切らし、エレツの手を引っ張る。
エレツはさして抵抗することもなく、古いゴザ席に座る。そうだ、つい先ほども痛感していたではないか。自分はどうしようもない馬鹿者であると。だったら自分はこの席には座って良いのだ。
座って当然だ。座ろう。座れ!
大丈夫だ。いざというときはイエスがいる。例え獣人族たちから責められたとしても多少は守ってくれるはずだ。
エレツがそう思い悩んでいた、その時だった。
「ホラ、アンタの分だ」
獣人族の男が、エレツに椀をよこした。その中には獣人族がよく食す具材が入っている。たいしたことではない、実に自然でさりげない行為であった。
「ヘヘ、いくらでも食べて良いぞ!」
「ぼ、僕のことを知らないのか?」
「ん? エルフ族の代表だろう?」
獣人族の男は答える。
「僕のことが憎くないのか!? 疎ましくないのか!?」
「……いや?」
男は考えた末、そう言った。
エレツは深い衝撃を受けた。忘れているわけではないだろう。今までエルフ族が獣人族に対して行ってきた侮辱の数々はそう易々と忘れられる程度のものではない。
その親玉である自分を、同じ飯を食べる仲間に入れようとしているのだ。
エレツは、汁に反射した自分の顔を覗く。そうしていると、ふと昔のことを思い出した。
それは屈辱の記憶、エルフ族の敗北の記憶であった。
今から一〇年ほど前、自分は王国軍の兵力の差を鑑みて、いち早く軍門に降った。直接的に戦闘しなかったこともあってか双方に負の感情はなく、話し合いは存外にすんなり進んだ。王国は従順なエルフ族に強い自治権を与え、エルフ族は多種族よりも優位な立ち位置に落ち着けた。
しかし、王国の人間は心からエルフ族を受け入れた訳ではなかったのだ。エドワルド王が直々に屋敷を訪れた時、エレツたちは心を込めて盛大にもてなした。だが、エドワルド王は料理を一口も食べることはなかった。その他の長官もまた同様であった。
エドワルド王たちが去り、手つかずの料理の数々を見たエレツは、それについて何も考えようとはしなかった。考えれば考えるほど、自分をみじめに思ってしまうことが分かっていたからだ。しかし心の底では分かっていた。彼らは我々を拒絶している、ということが。
それ以来、エレツは憂さ晴らしをするように高慢になり、王国に反抗的な獣人族を目の敵にするようになったのだった。
例え同じ勢力に所属していたとしても、共に生きようとしなければそれは遠い存在なのかもしれない。エレツは、段々とイエスが伝えたかったことを理解しはじめていた。
「あっ、もしかして食べられないものでも……」
「いや、食べるよ」
エレツは男の手を取り、椀を受け取った。そして、エレツは具材を食べた。
好みの味だ。こんなに美味しいのであればもっと早く食べるべきだった。悔しさと暖かさで目元が熱くなる。
「そうか、イエス。この者たちが僕の『隣人』だったんだね」
「そう思うんなら、オメェも同じようにしてやってくれ」
「……あぁ」
エレツは一旦椀を地面に置き、獣人たちの方を向く。
「素晴らしいもてなしをありがとう。これまでの非礼、許してほしい」
エレツは気恥ずかしそうにしながら、言葉を続ける。
「僕たちの神に、乾杯」
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