5番ピンの呪い
先日ボウリングに行った際(まん防以前)、四フレーム連続で5番ピンだけが残る、という怪奇現象を体験しましたので、ここに小説として置いておきます。怖かったです。
*ホラーっぽいですが、完全にコメディです。
これはさすがにストライクだ。
ボールが手から離れた瞬間に、俺は感覚でそう確信した。
氷上でスケートをするように、あるいは舞台でバレエを踊るように、11ポンドの球が優雅にレーンを滑る。
球はレーンの半分を過ぎると、右側のガターの際の際で奇麗な弧を描いた。滑らかなカーブでガター墜落を回避した球は、吸い寄せられるように、1番ピンめがけて転がっていく。
俺は、それ以降はレーンから目を逸らし、踵を返して、彼女の奈緒が待つ座席に向かってゆっくりと歩みを進めた。
これで、本日五本目のストライクだ。三ゲーム目にして、ようやくこのレーンの滑り具合に腕が慣れてきたな。
カランコロンカラン、とピンの弾け飛ぶ音が響いた。
「あー」
終始レーンを眺めていた奈緒が、掠れた声でそう洩らした。
「あれ? まじ?」
振り向くと、一ピンだけポツンと残っていた。
それは、正三角形に並んでいる十本のピンの、ちょうど真ん中に佇む5番ピンだった。
「おしい! 連チャンストライク、ここで途切れる!」
奈緒はなぜか嬉しそうに、ニマニマとほくそ笑みながらそう言った。
おかしい。
あの理想的な軌道で、一ピン残った。端の8番ピンや10番ピンならまだしも、よりにもよって、ど真ん中の5番ピン。
なぜだ? なぜそこが残る?
俺は再びレーンの前に戻って、今度はカーブをかけず、5番ピンを真っ直ぐ狙って二投目を投げ放った。
だが、緊張で腕がブレてしまい、球は5番ピンの左横スレスレを通過した。
5番ピンが残った。
「あっはっは。ざーんねーん!」
奈緒が背後ではしゃぐ。
ま、まぁいい。そういうこともあるだろう。
連続ストライクが途切れてしまったことは勿体ないが、なんせまだ三ゲーム目だ。奈緒の疲労次第だが、まだまだパーフェクトを狙う猶予はあるだろう。
8ポンドの球を抱えた奈緒が、レーンの前に立ち、ヘコヘコと助走をつけた。
そして、レーンの直前でギュッと立ち止まり、溜めに溜めた助走の勢いをゼロに振り戻してから球を投げ放った。投げた、とういうより、落とした。初心者も初心者だからとはいえ、すさまじく不細工な投球フォームである。
レーンの左端に落ちた球は、ノロノロとよろめくように転がっていく。とりあえず、ガター転落は回避、と言ったところか。と思ったのも束の間、球はゆらゆらと揺れながら、レーンの真ん中へと、1番ピンへと向かい始めた。
「見て! すごいすごい!」
奈緒が両腕をパタパタさせながら、ぴょんぴょんと跳び上がった。
天才的な軌道を描いた球が1番ピンに当たると、コトン、コトン、と控えめな音が鳴った。そしてピンはゆっくりと、ドミノのように倒れ始めた。
左側の2、4、7番ピンと、中央の5、8番ピンが残った。
「いいねぇ! だいぶ上手くなったじゃん!」
実際、奈緒はかなり上手くなった。ガター続きだった一ゲーム目が嘘みたいだ。
「へっへー」
奈緒は腰に手を当て、威張るように胸を張った。うん、可愛い。
「スペア狙ってこー!」
「えー、無理無理。絶対無理!」
奈緒は同じような投球フォームで、同じように二投目を落とした。だが、球はさっきよりもよろめくことなく、真っ直ぐレーンの真ん中を転がった。
あのフォームで、あの球の軌道。ああ、奈緒は天才なのかもしれない。
5、8番ピンが、ドミノのようにポテン、ポテン、と倒れた。
「んー、おしい! まじで!」
奈緒は、上機嫌にスキップをしながら座席に戻ってきた。
“5番ピンは”倒れた。
再び、俺はレーンの前に立った。
ストライクが途切れて、少しだけやる気は削がれたが、やることは変わらない。さっきと同じ感覚で投げればいいだけだ。
助走をつけて、球を投げる。
よし、理想的だ。
球は緩やかな放物線を描いて、1番ピンに当たった。
ピンが爽快に弾け飛ぶ。
5番ピンだけが残った。
「はぁ?」
今度は思わず声に出た。
なんだ、これ。まじで。
「おーい、それさっきも見たぞー! 再放送かぁー!」
背後の座席から奈緒が囃し立てる。
「う、うるせぇ!」
俺はヘラヘラしながら奈緒に応えた。若干の怒りを込めて。
俺はムカついて震える右手を誤魔化すように、5番ピンめがけて力任せに二投目を放った。
だが、手が滑った。反射的に、チッ、と舌打ちをした。
球は右側のガターにボテンと落ちた。
5番ピンだけが、残った。
背後で奈緒の笑い声が聞こえたが、俺は上手く笑い返せなかった。
その後も、5番ピンは奈緒が投げれば倒れ、俺が投げれば残った。
投げる。5番ピンだけが残る。
投げる。5番ピンだけが残る。
投げる。5番ピンだけが残る。
奈緒はまだまだ嬉々としているのに、俺はすっかり疲れていた。
右腕はどんよりと重くなり、さっきまでの好調な感覚は遠い思い出のようだった。
投げる。5番ピンだけが、残る。
投げる。5番ピンだけが、残る。
投げる。5番ピンだけが、残る。
投げても投げても、5番ピンだけが残った。5番ピンだけが、だ。
投げる。5番ピンだけが……残る。
投げる。5番ピンだけが……残る。
投げる。5番ピンだけが……残る。
……おい、おいおい、なんだこれ。何が、起きてんだよ。
二の腕が痛い。手首が痛い。腰が痛い。加えて謎に頭も痛い。
……投げる―――5番ピンだけが……残る。
さすがの奈緒も、とうとう苦笑いすらしてくれなくなった。
これはまずい。ほんとにまずいぞ。
かっこ悪すぎだろ。こんなの、冗談じゃない。いや、むしろなんの冗談だよ。
おい、おい5番ピン。俺がお前に何したってんだよ。俺は、俺は―――。
「いやいやいやいや、不思議なことってあるもんだよなぁ」
頭上で俺の声がして、自分がレーンの前で項垂れていることに気がついた。
ぐらつく視界の中、顔を上げると、レーンの向こうには5番ピンがいた。
「よぉ、彼氏くん」
5番ピンはそう言うと、ギョロリと飛び出た大きな一つ目をギラリと細めた。あんなに遠くにいるのに、声は真上から降ってくるように聞こえた。
「は、はあ?」
なんだ。なんだなんだ。どういうことだ。5番ピンが、喋ってる。
「な、なんだよ、お前」
「何って、見たらわかるだろ。5番ピンだよ」
「そうじゃなくて!」
「まあまあ、そう怖い顔すんなって。ほら落ち着け。肩の力抜けよ」
5番ピンはそう言うと、ネチャッ、という音が聞こえそうなほどの瞬きをした。ただの瞬きなのに、そのあまりにもキモい見た目も相まって、ぞわりと鳥肌が立った。
一つ目小僧かよ。気持ち悪いバケモンだな。
「おい、聞こえてるぞ。気持ち悪くて悪かったな。だがよ、あんな小心野郎と一緒にすんじゃねぇよ」
5番ピンは声を荒げて言った。
どうやら、5番ピンは俺の心の声が聞こえているらしい。
「ああ、聞こえてるさ」
「なんでだよ」
「なんでって、そらぁ、俺はお前だからなぁ」
5番ピンは鋭い眼光で煽るように言った。
「はあ?」
5番ピンが俺? わけが分からない。何言ってんだ、こいつ。
そう思った途端に、5番ピンから腕と脚が生えた。5番ピンは、よっこいせ、と腰を落として胡坐をかき、ギョロギョロと動く一つ目の下で腕を組んだ。
「うわっ……」
「ふん、悪かったな。ますますキモくなって」
「ほんとだよ。気持ちわりぃな……ってか、今まで立ってたんだな」
「ああ、立ってないと避けれないからな」
「……は?」
今こいつ、なんて言った? 避ける?
5番ピンは俺の間抜けな面を見るや否や、たっはっはっはっは、と大声で手を叩いて嘲笑った。それは紛れもなく、酒に酔って夜通し馬鹿騒ぎしている時の俺の嗤い声だった。
「やっぱ面白いな、お前」
「……俺はお前じゃなかったのかよ」
かろうじてそう言い返す。
「ああ、だから俺は面白い」
5番ピンは相当ツボに入ったのか、ククッククッ、とまだ必死に笑いを堪えている。
「おい」
俺は5番ピンを睨んだ。
「なんだ? 二つだけ答えてやるよ」
腕を組みなおした5番ピンは、煽るように、俺を見下すように、首を傾げて仰け反った。
訊きたいことは山ほどある。脳が追いつかないほどある。
状況を説明しろ。お前は何者だ。なぜ喋れる。なぜ倒れない。俺がお前に何をした……。
酩酊する視界の中で、ハッとして振り返る。
「おい……奈緒は、奈緒はどこだ!」
背後の座席に、奈緒がいない。持ち物も靴も、奈緒がいた形跡が丸ごと消えている。
「お前、奈緒をどうした!!」
「それがひとつ目だな。いいだろう。答えてやる。周りを見ろ」
5番ピンに言われて、俺は周囲を見回した。
「あれ……?」
いない。隣のレーンも、その隣のレーンも、客がいない。スタッフもいない。
「いなくなったのは、お前だよ。こんなに俺を外し続けちまったから、お前が外されちまったってわけ」
「はあ? どういうことだよ」
「おぉっと、いいのか? 次が最後だぞ?」
「くっ……」
「そう焦んなよ。もう少ししたら、すぐ帰してやるからさ」
5番ピンは、何やら含みのある笑みを浮かべて言った。
どうして二つしか答えてくれないのかは知らないが、俺は慎重にふたつ目の質問を考える。
「じゃあ、どうして……どうして、俺の球は避けるんだよ」
もう何連続5番ピン残しだ? 奈緒から笑顔が消えるまで、何回も何回も何回も。奈緒の投げた球にはちゃんと当たって倒れてくれるのに、なんで俺の番だけ……。
「それがふたつ目だな。いいだろう。答えてやる――」
5番ピンはそう言って咳払いをすると、ヌッと前のめりになった。
「別に、俺は避けてないぞ?」
「……は?」
「だから、避けてない。っていうか、ピンが球を避けるわけないだろ」
「……え、でも、だって、お前さっき、立ってないと避けられないって……」
「ん? 言葉通りだろ。座っていたら避けられないに決まってんじゃねぇか。ただ言ってみただけだ。何も別に、本当にお前の球を避けていたわけじゃない」
5番ピンはそう言うと、俺が一番嫌いなしたり顔で、にちゃぁ、と笑った。
……。
…………。
………………。
「くそがぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!」
馬鹿みたいに叫んだ。それ以外の言葉が見つからなかった。
その瞬間、脳がぐるりと回るような錯覚を覚えた。視界はさらに霞んで、嘲笑う5番ピンが二重にも三重にも重なって見える。
「あっはっはっは。実に良い余興だった。お前はもういい。愛しの恋人の元へ帰してやる」
「おい待てや。このくそ野郎。今のは取り消しに決まってんだろ!!」
「馬鹿言うなよ。質問は二つまでって、そういう約束だったじゃねぇか」
「うるせぇ。まじでキモいな、お前。死ねよ」
「まぁまぁ、落ち着けよ。お前も気づいてるだろうが、もうあまり時間がない。ここいらで失礼させてもらうぜ」
「おい、それだ。なんだよこれ。なんでこんなゆらゆら揺れてんだよ……」
「こっちにはこっちの事情ってもんがあんだよ。じゃあな、なかなか楽しかったぞ」
世界が回る。吐き気も頭痛もひどい。
「はあ?」
俺はもう、煽ってくる5番ピンに反応する余裕すらなかった。
「おーい、それさっきも見たぞー! 再放送かぁー!」
奈緒の声にハッとして、意識が戻された。額や背中に、べったりとした厭な冷汗をかいていた。
振り向くと、奈緒は腕を組んでニタニタと笑っていた。
周囲を見回すと、当然、ボウリング場は馬鹿騒ぎする客たちで賑わっていた。
レーンの前方には、5番ピンだけが佇んでいた。当然、目も手足も生えていない、ただの5番ピンだった。
「う、うるせぇ!」
俺は、ヘラヘラしながら奈緒に応えた。
そして、俺はわなわなと震える右手を誤魔化すように、5番ピンめがけて力任せに二投目を放った。
九本のピンに囲まれた、ど真ん中の5番ピンだけが残る。しかも連続で。
まじでなんだったんだろう。お祓い、行っとこうかな(震え声)。




