08:優しさの理由
「この世界には白と黒で分けられた二十二対の神様、俗に言う《アルカナ》がいます。アルカナは表と裏、善と悪として互いに均衡を保ってきました。人々は己が信ずるアルカナに使え、アルカナは信者に恩恵を与えることで全てがうまく回っていました」
お昼休みが終わり、午後からは歴史に関する授業が行われている。ルグロは教壇で教科書を読み上げながら、教室の前に置かれた黒板に歴史のあらましを書き連ねていく。
「二十二対、合計四十四人からなるアルカナですが、それぞれにきちんとした役割が存在します。あまりにも数が多いのでここでは割愛しますが、興味のある人は調べてみるといいでしょう」
数ある授業の中でも座学にあたるこの授業。まだまだ未熟な子供であるがゆえに、生徒達の大半は大した興味も持たずに、眠たそうに目をこすりながらルグロの話を聞いていたり聞いていなかったりしていた。ルグロもそれを理解しているようで早回しで授業を進めていく。そんな中でシリルはただ一人ルグロの話を熱心に聞いていた。
白と黒に分けられた対となるアルカナには各々司る“意味”がある。
シリルは本を読むのが好きなこともあって、アルカナやその歴史についてある程度の知識を持っていた。
それ故に、シリルはルグロのこの授業の行く末を知っていたし、それが聞きたくない内容だということも分かってしまう。
「長い間均衡を保っていたアルカナ達ですが、ある日、たった一人のアルカナによってその均衡は跡形もなく崩れ去ってしまいました」
二十二と連なるアルカナの中、逆位置に存在する6番目。黒の恋人だ。
「今からおよそ八年前、黒の恋人による白の審判の殺害。この事件が引き金となり白と黒は戦争を始めました」
黒の恋人はその日、白の審判が治めるシルヴァース王国へ単身で攻め込んだ。かつて三大都市の一つとして栄え、数多くの信徒や兵士がいたにも関わらず、黒の恋人は王たる白の審判とその眷属を含めた全員を、一夜で殺し尽くしシルヴァース王国を壊滅させた。その事件がきっかけで白のアルカナは黒のアルカナへ向けて宣戦布告、元々白に不満のあった黒のアルカナがそれを受ける形で全世界を巻き込んだ戦争は始まった。
「人々は己の信ずるアルカナと共に戦争に臨み、たくさんの命が失われました。次第に戦争は混迷を極め、今となってはいくつかの派閥が出来上がり、白同士、黒同士の殺し合いが起きていることもあります」
現状残っているアルカナは白が十八、黒が十二。いつの間にか自分以外全てが敵と成り果てたこの戦争は、白と黒との勢力図などもはや意味をなしていない。利害が一致すれば色が違えど同盟を結び、交渉が決裂すれば同色だろうと殺し合う。
アルカナは自分の信じた道を行き、信者はそれを信じて共に進んでいた。
「この壊れた世界で、私達ができることはただ信じることだけです。このクリミナの街を飢饉から救い、自然豊かで活気に溢れた場所にしてくれた【白の魔術師】様を信じるしかないのです」
ルグロは力強くそう言った。
水の街クリミナ。かつて戦争の影響でクリミナを流れる豊かな川が干上がったことがあった。その際に大量の餓死者が出たこの町をギルバート王国国王兼、正位置の1番目たる白の魔術師がその力を使いクリミナはかつての豊かさを取り戻し、今となっては流通の重要拠点の一つとされるほどにまで復興した。クリミナの町民達は白の魔術師への信仰を捧げ、戦争が激化する今でもその恩恵により大規模な被害は出ていない。
「白の魔術師様を信じていればきっと私達は…おっと、もう時間ですね。それでは今日はここまで。皆気をつけて帰るように」
授業の終わりの合図に、生徒達は各々帰路に着く。
シリルは学校へ来る時と同じく、帰る家が同じ場所であるミリアーナと帰ることになった。
二人肩を並べて他愛もない話に盛り上がる中、ミリアーナが不意に歴史の授業についての話題を持ち出す。
「シリルはどうだった?歴史の授業」
[歴史ってミリアがぐっすり寝てたあの?]
「あんた…一日でだいぶ馴れ馴れしくなってきたわね。でもまぁいいわ、私としても張り合いあるくらいが丁度いいもの」
シリルの軽口に得意げなミリアーナ。彼女としても悲しい顔をしているよりも笑っていて欲しいという思いがあるのだろう。
「それでね、パパがいつも言ってるのよ。白の魔術師様を信じなさいって」
[ルグロさんは白の魔術師の信徒なの?]
「そう、私達クリミナの街の人達も白の魔術師様のことを信仰してるんだけど、最近ちょっと変な感じがしてさ」
変な感じ。とは言うものの、言葉にできないとミリアーナは言った。
白の魔術師の話は村の書庫にあった歴史書にも記されていた。創造を司る白の魔術師。その力を使ってこのクリミナの街を救ったという話は覚えていた。
[でも凄いと思うよ。街を一つ丸ごと助けるなんてアルカナの中でも頭ひとつ抜けてると思うし]
「それはそうだけど、違うの。白の魔術師様を疑うつもりはないんだけど、何かおかしいっていうか、引っかかることがあって」
それからミリアーナは眉間にしわを寄せて考えてはみるものの、結局はよく分からないとあやふやなまま投げ出してしまう。
「でも物騒な世の中よね。こんなことになった原因の黒の恋人は許せないわ」
「…」
予想はしていたがやはりと、シリルは黒の恋人の話題に顔をしかめる。
「シリルはどう思う?黒の恋人さえいなければ今も皆平和に暮らせてたと思うしさ」
[そうだね。信仰してる人達の気が知れないよ]
胸の内の感情を抑え、あくまで冷静にそう返事をしたシリル。そんな彼の気も知らず、ミリアーナはわざとらしくため息を吐きながら頭の後ろで手を組んで空を見上げる。
「あーぁ、私が女の子らしくないのもきっと黒の恋人のせいね」
[そ、そうだね]
「…何よその反応」
[はは、でもそういうあっけらかんとした所、僕は好きだよ?それに、今更だけど僕はミリアーナに出会えて良かったと思ってるしね]
ミリアーナと出会ってから、黒の恋人への復讐心が何度か薄れた気がすることがある。
それが果たして良いことなのか悪いことなのかは分からない。この迷い自体もそうだ。
あの日誓ったはずの復讐が、その思いが、薄れていくと同時に、両親と過ごしたあの日々さえも薄れていくような気がして不安で仕方がない。にも関わらず、今、自分はとても満ち足りたような気がした。
「な、何よいきなり。脈絡なくそんな恥ずかしいこと言うんじゃないわよ」
[いーや、僕は喋れない分ちゃんと文字で気持ちを伝えていこうって思ってさ]
口では不平を漏らしながらも満更でもないようなミリアーナに笑みを溢すシリル。何にせよこの家族との絆は大事にしたいと、気持ちを新たにする。
(ルグロさんの話、どうするべきかな)
家族になろうとのことだったが、今でもまだ決め切れないでいる。昨日の今日でまだ考え切れてないのが正直なところであるが、あまり待たせては悪い。
(ルグロさんに会ったらまた話してみようかな)
そう考える内に、二人は我が家へと帰り着く。
玄関を開けるとミルスが夕飯の準備をして待っていた。
「あら、お帰りなさい二人共。夕飯までまだ少しかかるから待っててね」
「この匂いは!ねぇねぇママ!今日のご飯は何?」
「ふふ、ミリアちゃんのお望み通り今日の夕飯はお肉ですよ。シリルの歓迎の意味も込めてちょっと高めのお肉奮発しちゃった」
[ありがとうございます]
純粋な感謝を伝えるも「いいのいいの」と笑うミルス。
「家族が増えたんだしこれくらい当然よ」
ミルスはシリルのことをもう立派な家族だと言う。
正直な話、あまりにも無用心すぎるような気もする。
自分で言うのもなんだが、森の中で一人蹲っていた正体不明の子供なんてどんな厄介事を持ってくるか分からないではないか。
しかしそれでもと、この家族は僕を受け入れてくれている。
(不思議な家族だな)
不意にそう思ったシリルはさりげない風を装って、いっそ聞いてみることにした。
[そういえばさ、ミリアは森で何をしていたの?]
「へ?あぁ、あの森は色々とお世話になっててさ。遊びに行ったり木の実を取りに行ったりとまぁ色々よ」
「大変だったのよ?ミリアったらパパと喧嘩して泣きながら飛び出して行っちゃった時なんて、真夜中だっていうのにあの森まで走って行っちゃうんだもの。あの時はママ肝を冷やしたわ」
「ちょっとママ!何で言うのよ!」
この親子は見てて清々しいほどに仲が良い。二人のやりとりを見守るシリルも、思わず笑みが溢れる。
「ふふ、でも良かったんじゃないかしら。ミリアがあの森を気に入ってなければシリルは今も一人で寂しい思いをしてたかもしれないじゃない?」
[ミリアはさ、どうして僕を連れ出してくれたの?]
「あんたが私のタイプだったから。…って言ったらママは喜ぶんでしょうけど、生憎とあんたみたいなひ弱そうなのは願い下げね」
「あらあら、照れちゃってまぁ」
「ママは黙ってて!でもまぁ、あんたが筋骨隆々の傑物みたいな奴だったら連れてこなかったかもね。弱々しく泣いていたあんたには思うところがあってさ。今日の歴史の授業でもあったじゃない?私はまだ小さくて記憶も朧げなんだけど、クリミナの街はどうしようも無いくらいに弱ってた」
八年前より始まった神々の闘争は、地形を変え気候を変えるほどに激しく、その影響を顕著に受けてしまったクリミナは結果として沢山の死者を出してしまった。
「私達は弱かった。次の瞬間にでも攻め込まれて滅ぼされてしまうかもしれない毎日を皆はただただ祈るように過ごしてきたの。でもそんな中助けられて、救われた。小さいながらも私は思ったのよ。私も大きくなったら誰かを救えるような大人になりたいって」
だから私はあんたを助けたとミリアーナは言った。
合点がいったが、納得はしていない。しかし、彼女の、この家族の、クリミナの人達の優しさは痛いぐらいに伝わった。
学校でもそうだとシリルは思い返す。弱気を助けて共に歩もうとするその思いやりは、かつてのシリルには知り得なかったものだ。
(この街は優しさに満ち満ちている)
斜に構えて心の奥底で疑っていた自分が馬鹿らしく思えてきた。この家族への恩を返そうとしていたにも関わらず、一番無礼なことを考えていた。
[ミリアって実は優しかったんだね]
「実はって何よ!実はって!頭のてっぺんから足先まで優しさでできてるでしょうが!そんなこと言ってるとあんたまた森に放り出すわよ!」
ミリアーナなら本当にできそうだと笑っていると夕飯を並べ終わったミルスが声をかける。
「さぁさぁご飯ができたわよ。パパは用事ができて遅くなるらしいから先に三人で食べちゃいましょ」
「お肉!お肉!」
いただきますと響く食卓。声高々に高級だと自慢していたミルスが言うだけあってただ焼いただけにも関わらず柔らかく美味しかった。
食事が終わり、ミリアーナの部屋で色んなことを話しているうちに夜は更け、ミルスに怒られて渋々と二人は一緒のベッドに入り込んだ。
(もしも、もしも家族になったらミリアーナはお姉ちゃんになるのかな?ふふ、妹なんて言ったら怒りそうだ)
背中越しに伝わる暖かさが昨日とは違って感じ、シリルはその暖かさに身を委ねて目を瞑った。