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01:口無し


 辺りを深い森に覆われた片田舎の小さな村。

そんな小さな村唯一の学び舎で銀髪の少年、シリル・チップチェイスはひとり本を読んでいた。

 校舎の裏庭にある倒れた大木に腰を下ろし、ペラリペラリとページをめくる。木々の揺らすそよ風が優しく肌を撫で、小鳥のさえずりは耳に心地良い。

 この場所でひとり本を読むことは彼にとって至福のひとときだった。

 物語から歴史書まで、学び舎の書庫からあらゆる本を引っ張り出しては授業の合間の休憩時間に読んでいる。誰にも邪魔されず、ひとり文字と向き合うこの時間。一文一文に目を通していく度に著者と会話しているようなこの感覚が、彼にとって幸せを感じる瞬間だった。

 彼が今読んでいるのは最近話題の、ラブリスという作家のデビュー作となった物語。風の噂で、先日刊行された彼の新作は今までに無いテイストで面白いとの話だが、田舎のちっぽけな書庫では大抵が古い本ばかりで新作など読めるわけがない。それでも彼にとってその本は一番のお気に入りであり、何度も読み返している一冊だった。

 タイトルは「愛を囁く」

 生まれながらにして声の出せない少年が偶然出会った少女に恋をし、最後には喋れるようになって結ばれるというストーリーだ。

 迫り来る困難を二人で乗り越え、決して屈することなく二人幸せに終わるハッピーエンド。ありきたりと言ってしまえばそれまでだが彼には特別この物語に惹かれる理由があった。


 「よぉ、探したぜ。お前こんなところにいたのかよ」


 手に握られた本が突如として宙へ浮かんだと思えば、目の前の大柄な少年が目に入りシリルは思わず目を伏せる。大柄な少年はシリルから奪い取った本をめくったかと思えばつまらなさそうに鼻で笑って後ろへと投げやってしまう。


 「いつもいつも本なんて読んで何が楽しいんだ?そんなことよりも剣の稽古してた方がよっぽど有意義だってのによ。なぁベルもそう思うだろ?」


 彼の呼びかけに答えるようにして、後ろから小柄な少年がにやけ面で顔を出す。


 「もちろんだともアクス君。でもダメだよ。こいつにはまともな才能がないんだから。それにこいつは」


 そう言ってベルは、シリルの頬を掴んでは嬉々とした表情でアクスの前へと引っ張り上げる。


 「“口無し”!才能どころか喋ることすらできない無能なんだからさ!」


 変わらず目を伏せたままで、頬の痛みに顔を歪めるシリル。そんな彼の胸ぐらを掴んで引き寄せてアクスは下卑た笑みを浮かべる。


 「ところでシリルよぉ。今日ムカつくことがあったんだよ」


 そう言って眼前まで顔を近付けるアクス。しかし、顔色ひとつ変えずに目を合わせようとしないシリルに腹を立てた彼は小さく舌打ちして続ける。


 「模擬戦でよ。お前はやりすぎだって先生が怒鳴るんだよ。俺は何も悪いことなんてしてねぇよな。なのに俺が悪いってあいつは言うんだよ。俺は王都の騎士団目指して頑張ってるってのにさ。結局模擬戦は中止で俺は消化不良。だからよ、悪いけどお前相手になってくんね?」

 「…」

 「おいどうした口無し!アクス君が聞いてるのに返事の一つもできないのかよ!」

 「おいおいシリル。返事がないってことは良いってことだよなぁ!」

 「!!」


 振り上げられたアクスの拳は何の容赦もなくシリルの頬を殴り飛ばし、シリルはそのまま地面へ倒れこむ。揺れる意識と口の中に広がる血の味に噎せながら精一杯の抵抗としてアクスを睨みつける。しかしそれは逆効果だったようで、彼は火がついたかのようにシリルの銀髪を引っ張り上げてはまたも拳を振り抜いた。シリルは再び地面へと叩きつけられ、起き上がることもできずに殴られた腹部を押さえてうずくまる。


 「はは、傑作だな」

 「この調子ならアクス君が王都の騎士団に選ばれるのも時間の問題じゃない?」

 「おいおいベル。おだてても何もでねーぞ?ま、騎士団には強い奴が選ばれるわけだし俺は間違いないだろ」


 興奮した様子の二人は苦しむシリルに目もくれずに、そのまま笑いながら校舎へと歩いて行った。残されたシリルはそのまま仰向けになっては雲ひとつない青空を眺める。


 (もしも…)


 彼、シリル・チップチェイスは生まれながらにして声を出すことができなかった。

 原因は不明。もちろんこんな田舎の医療では治すことなど不可能であり、十四歳となった今でも彼は音の一つすら発することができなかった。


 (もしも、僕が声を出せたなら助けを呼べたのかな?やめてと言ったらやめてくれたかな?)


 自分がこの先どこへ行っても不遇な扱いを受けることは火を見るよりも明らかであった。初めてのお願いとして学び舎へ通いたいと両親に伝えた時も、当然反対された。声が出せないなんて、いじめの格好の的になると容易に想像できたからだ。たとえ声が出せずとも両親にとって彼は大事な子供。辛い思いをすると分かっている場所に我が子を通わせるなどできるはずもない。しかし、彼はそれでもと両親の反対を押し切って学び舎の門を叩いた。

 いざ入学し、蓋を開けてみるとどうだろう。両親の心配とは裏腹に他の生徒は意外にも優しくしてくれた。困っていたら助けてくれ、いつも気を使ってくれた。

 ただ二人を除いて。

 アクスとベルはこの村でも有名で、よく問題を起こしていた。そんな彼らがシリルを野放しにするはずもなく、嫌がらせはもとより酷い時は今みたいに殴られる。


 (本、傷んでないといいな)


 体の痛みに耐えながらゆっくりと起き上がるシリル。よろけた足取りでアクスに投げられた本を拾っては、大事そうに砂を払う。

 「愛を囁く」は声が出せない主人公の物語。

 いくつもの困難を乗り越え最後は幸せに終わる。

 シリルは信じていた。

 自分もいつかは報われて幸せになれる日が来ると。

 学び舎の皆は確かに優しい。しかし彼は気付いていた。それは先生に対して自分を良く見せようとしているだけの仮初めの優しさだということに。さらに言えば、自分とその家族が村の人達から冷たい目で見られているということも分かっていた。自分のせいで両親まで疎まれるのは酷く辛く、いっそ死んでしまいたくなるような思いだった。

 それでも、彼は自分の未来はきっとこの「愛を囁く」のように明るいものだと信じて疑わなかった。


 (この腫れが引くまで家には戻れないし、先生に見られると母さんと父さんに話がいく)


 両親に、虐められていることを隠し通してきた彼からすればこの件が見つかると絶対に学び舎へは行かせてくれなくなる。この村には学び舎の書庫にしか本はない。だからこの怪我を誰にも見られるわけにはいかない。

 本が読めなくなるというだけで気分が悪くなるほど本が好きな彼は、目立つ怪我を負わされた時にはいつも森の奥へと歩いていた。


 「…」


 よろけながらゆっくりとシリルはひとり森を進む。木々の隙間から差し込む光に目を細めながら、時折血の混じった唾を吐いて歩いていく。

 さっきまでは気持ちよく感じていたほんのりと暖かな風も傷の痛みを助長させるだけだと苛立ち、遠くから聞こえる小鳥の鳴き声も自分をあざ笑っているかのように聞こえて気分が悪かった。


 (落ち着け、落ち着け)


 気持ちが良くない方へと向かっているのを実感し、シリルは呼吸を整える。

 彼の母親は常々言っていた。どれだけ酷いことされてもやり返そうなどと考えてはいけない。復讐は何も生まないし、そんなことをする荒んだ心を持った人達と同じになる必要はないと。

 彼自身それは理解していたし、母親のその言葉もあってどうにか耐えてこられた部分もある。


 (嫌がらせも、殴られることも今まで通りじゃないか。今日より酷く殴られたこともあった。なんてことはない普段通りだろ?落ち着け、落ち着けよ)


 確かにアクスに殴られたことは今まで何度もあった。痛みは我慢すれば良いし、傷もいずれは治る。それに抵抗さえしなければ、すぐに彼らも大人しくなる。

 しかし、今日はひとつだけいつもと違う点があった。


 (…あいつ、僕の大好きな本をあんな風に)


 殴られて思わずアクスを睨んだのも、一向に気持ちが落ち着かないのも本を蔑ろにされたからだ。

 許せなかった。どうしても許せなかった。

 自分に力があれば、声を出すことができれば本を投げたことだけは謝らせることができたかのもしれない。


 (くそ)


 苛立ちを抑えながらも拳を握りしめて森の中を歩いていくうちに、いつのまにかひらけた場所に来ていることに気付いた。

 そこは今まで来たことのない場所だった。

 立ち並ぶ木々の間にぽっかりと空いた穴のような場所。その中央には真っ白で小さな家がぽつりと悲しげに建っていた。


 「…」


 なんてことのないただの木造の小さな家。殺風景な外観に白いペンキが塗られているだけの家だったが、シリルは妙にその家に惹かれた。

 相変わらずおぼつかない足取りで彼はその家の玄関まで歩く。白い扉には歪なハートの形をしたプレートがぶら下げてあり、扉の向こうからは物音一つない。


 (誰か住んでるのかな?)


 扉の横にある窓から中を覗こうとしたその時、後ろから男の声が聞こえた。


 「おや、珍しいね。こんなところに可愛らしいお客さんだ」


 びくりと肩を震わせながら振り返ると、そこには二十代半ばほどで桃色の髪をした優しげな青年が小袋を抱えて立っていた。


 「!」


 この家の家主だと直感したシリルは慌てて弁明しようとするも、口が動くだけで声が出ることはなかった。

 必死に口を動かす彼を見た青年は一瞬不思議そうな顔をしたものの、優しい笑みを浮かべては扉の鍵を開けてドアノブを回した。


 「立ち話もなんだし、君がよければ紅茶でもいかがかな?」


 そう言って青年はシリルの頭を優しく撫でる。

 たった今出会ったばかりの知人ですらない青年。そんな彼のなんてことない優しさに触れ、一向に収まることのなかった苛立ちが一瞬にして消し飛んでしまった。

 赤の他人に優しくされたのはこれが初めてな気がした。

 頭を撫でるその手の暖かさは仮初めなどではなく、シリルの心を満たしていった。


 「…」


 この人と話がしたい。

 そう思ったシリルは青年に招かれるまま、その小さな白い家の玄関を跨いだ。


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