第1話 予兆(1)
――設定時刻になりました
マイコンソールに設定したタイマー機能により強制的に覚醒したコウの目の前には無機質なメッセージが浮かんでいた。もう何年も経ったが人だった頃の癖が抜けないのか、たまに驚いてしまう。
「いや、夢のせいか」
コウは小さな声で呟いた後、頭を一回振るとベッドから起き上がった。
どこか頼りなさげな、それでも優しい目をもつ青年の姿をしたコウも、すでに四十代。ここでの容姿は自由に設定できるのだが、コウはあの時の姿を維持することにしていた。いずれにしても成人後の年齢に関してはあまり意味をもたない事であり、四十代という年齢も過去からの積算した単なる数字でしかない。
「パパ、起きてる?」
「ああ、起きてるよ」
コウはパーソナルルームに設定していたドアのセキュリティを解除する。
ドアは音を立てずに消え、その向こうで待っていたコウの娘、ソラが「おはよー」と手を振っていた
この世界では二十二歳を成人年齢と定めており、その年齢に達するまでは初期パラメーターを元に子供達はまるで人間のように成長する。二人が『コロニー』へ移行して十五年。ソラは十六歳になっていた。
「おはよう、ソラ」
家族なのだから外からもセキュリティを解除する事も可能なのだが、思春期に入ったソラは幼い頃みたいに勝手に父親の部屋へ勝手に入ってくる事はなくなっていた。
「朝はいつもの?」
「……そうだな。あ、久しぶりに河原で食べようか」
「解ったわ。映像はあの時のでいいの?」
「うん、そうしよう」
そういってコウはイベントリから服を選び一瞬でパジャマから室内着に着替える。
寝室を出ると、そこは河原だった。
ソラがリビング用に準備しているエリアに、コウの記憶から作った河原の風景を再生していたのだ。
―― ありがとうございます。僕達は元気に生きています。
そこにはあの日、あの世界の一角で散っていったコウとソラの恩人達の姿が今もある。
夕方の河原。
打ち上がる花火。
響き渡る怒鳴り声と笑い声。
あの夏、あの場所にいた者で生き残ったのはコウだけだった。
ソラの命を繋ぐために、全てを捧げてくれた人達に心の中でそっと頭を下げる。
「はい、ベーコンとトースト。それに納豆」
「ありがとう」
「納豆トーストだけは、私は理解できない」
ソラはそういって首を横に振った。
父親に似ているのは優しそうな目だけで、鼻筋や顎のラインはユキナによく似てきた。たった二年ちょっとの新婚生活だったが今でも鮮明に覚えているユキナの姿を重ね胸の奥が痛くなる――
コウはそんな事を考えながらソラを見ていると、ソラは突然笑い出した。
「パパ! 目がハートになっている! ウケるんだけど?」
「親ばかの精一杯の愛情を、エフェクトで表現してみた」
胸の痛みを誤魔化すようにコウはシステムを操作し自分の瞳の上にピンク色ハートマークを重ねてみたのだ。
「もう! リソースを馬鹿な事に使わないの! まるでアサヒと一緒だよ」
「アサヒ君とはまだ一緒に学校に行っているのか?」
「まさか! 私はもう十六歳だよ。そんな事するわけないじゃない」
「まだ子供じゃないか」
「ママがパパと結婚したのは十九歳の時でしょ。私もすぐに追いつくよ」
「結婚するのか? 相手はアサヒ君か?」
「馬鹿なこと言わないで。するわけないでしょ、ほら早く食べて」
そしてソラはコウの後ろに視線を送り――
「ママ、いただきます」
「ユキナ、いただきます」
そこには、河原の中州へ向かって手を振るコウと、ソラとよく似た女性の姿があった。その姿はあの時のまま。まだソラがユキナのお腹にいた頃。十七年前の思い出。そして二度と帰らぬ日々。
***
電子世界への魂の移行。
人類が見出した最高の技術である。
肉体の完全走査から始まるこの技術は、人間の全てをスキャンしデータ化し、ネットワーク上へコピーする事で、魂そのものを電子世界へ送る事を可能とした。代償として肉体的な死が訪れるのだが、病気、飢餓、貧困といった多くの人類が抱えていた苦悩からの解放は、その代償を支払っても構わないと考えられるくらいの幸福を人類にもたらした。この画期的な技術は世界中を駆け回り、人類は貧困のループから抜け出せない最貧国の住民から積極的に電子世界への移行が始まった。
最貧困層の次は、貧困層、続いて低所得労働者層、第一次産業従事者、肉体労働者、そして全ての労働者。気が付けば生産人口のほとんどを失った人類は一部の頑な人々を除き、全人類の移行を決意した。
その拒んでいた人達も、人類が激減した事による環境変化から発生した大規模な自然災害により多くの被害者を出した後、渋々ながらも移行してきた。
こうして最後の人類移行完了から十年。
人類は滅んだが、電子世界で元気に生きているのであった。




