第3話 終わり(4)
10:34。情報部。
「ケース3!」
決死の覚悟で最期の電話を入れてくれたであろう潜入捜査員について思いを馳せる時間ももどかしく、一報を受けた情報部員はマニュアルに従い、即時に行動を開始した。警報を発令し、警備部のモニタールームより外部シャッターを遮断、全ての区画を分離させ、民間人の安全を確保。定められたマニュアルに従ったこの作業は、完遂する事は出来なかった。
出来たのは一瞬だけ、全館に警報音を鳴らす事。
これだけだった。
***
「局長! 止めて下さい! その部屋は……くそ! バーナーを持って来い!」
「無理です。対テロ対策で非常用電源を格納している電源室の扉ですよ! 重機でも無いと……」
もっとも安全対策を取るべき発電設備。そこに立てこもられると、これほど難儀な場所は無い。
その中で、局長は外から聞こえる警備部職員達の声を静かな気持ちで聞いていた。
想定する最悪のルートを辿ってしまった。
だが、それでも、最悪の人生には成らずに済んだ。
それは、婚期と呼ばれる年齢を大幅に超えた頃に訪れた恋だった。
家庭を持つ男性に興味を持った事はなく、むしろ不倫関係などというものには嫌悪感の方が強かった。だが、二人は出会い、まるで何かに惹かれるように関係を持った。
当時は情報部の部長代理でしかなかった男は順調に出世し、保安局長に。初代のオペレーターとして将来を嘱望された彼女は、いつしか電子移行室の室長にまで上り詰めた。男の歓心を買うために、近づいてきたAM2Cの工作員からのリーク情報。
これが彼の出世の道を早め、男は女に依存し、女は男に溺れたのだった。
出口の無い恋に見えていたが、それでも彼女には夢があった。
全ての移行者が電子世界に旅立った後、残された二人で寿命が尽きるまで、この世界で愛を育む。
そしていつかくるクリアポイント。当初の計画から最後まで残るのは室長であり、移行に関する操作が可能な自分と、保安の責任者たる保安局長の二人だけの時間を過ごせるはずだった。そうなるように人員計画も立てていた。
ほんの短い時間であるかもしれない。だが、本当の意味で彼を独占できるのであれば、その後に死んでもいい――
彼女は心の底から、そう思っていた。
だが、
LPO事件が全てを狂わせた。
事件の責任を取り、当時保安局長だった男は引責辞任をし、民間企業へ転職した。
それでも関係は続くと思っていた。彼が望むなら、事件後に電子移行室の室長から事務局長にまで昇進した立場を棄ててもいい。付いて来て欲しい、その一言があれば、どこにでも付いていくつもりだった。
その想いを踏みにじるように告げられたのは関係の清算。AM2Cと彼女の関係を臭わせ、二人の関係については口を噤むように言った男の表情は卑小だった。
その男が、一般人の最終便となる今日の午後、不仲だといっていた妻と子供とともにこの世界から電子世界へ旅立つと知ってしまったのだ。
愛した男と、憎きその妻が仲良く旅立つのを、自分がこの十年以上の歳月を捧げた職場で見送る。そんな最悪の人生があるだろうか――
それに比べれば、
「準備は出来ました」
「時間通りね。それじゃ、お願い」
「はい」
失うものが無い局長は、何のためらいもなく、電源盤を操作するよう招き入れたテロリストに指示を出した。
男は四つの操作をした。
まず、電源供給の切替装置をテストモードに切替えた。これは鍵があれば簡単に出来る。続いて切替装置を操作して電源供給を非常用発電設備から行うよう変更。この瞬間、業務棟内及び宿泊棟の電源供給が外部電源から非常用発電設備に切り替わり、冷凍睡眠施設のみ省電力モードへ移行し、独自の自家発電装置を利用する事となる。
その後、切替装置のモードを手動に変更し、最後に非常用電源を落とす。
この瞬間、東日本地区 電子移行オペレーションセンターの全ての明かりが消えた。
***
10:34 駅改札口付近。
「ほらね、ぴったり」
ほぼ予定の時刻に停電した駅構内を満足そうに眺める。
停電の範囲は、駅構内にも及んでいた。電池で動く非常灯の明かりがある分、薄気味悪さが増す光景だ。
「ここまでは予定通りですよ。この後も予定通りに行きますよ。世界の子を殺しに」
そう笑いながら、暗闇の中を迷いもせず、リュウジは歩き始めた。
その後ろを、一人減ってしまった四十名のテロリストが無言で続く。
***
10:34 オペレーションセンター 一般開放エリア。
銃声のような何かが破裂したような音がした。続いて警報音が一瞬響き、全ての電源が落ちた。
ここにも電池で作動する非常灯が何箇所にもあり、薄っすらと明かりが残っている。
遠くの方でかすかに銃声が聞こえた時点で、警備室にいたクギは、飛び出していた。
潜入捜査をしている情報部からは、二週間後のクリアポイントが最も危険な日と連絡を受けていたが、クギはこの日をもっとも恐れ、警戒していた。なぜなら――
(世界の子)
世界の子の殺害は、過激派にとってはシンボルとなる。産まれたばかりの子供を、電子移行の犠牲とし、それを教義として、反対者を増やす。
そもそも、その殺人を実行する者こそ反対者なのだが、あらゆる理由をこじつけて、移行希望者がマイノリティとなるタイミングで歴史を塗り替える。
(奴らの考えそうな事だ)
だが、自分も逆の立場だったら同じ事を考えただろう。それに、移行対象者が極端に減ったこの時期が、一番動きやすい。クギは、無駄足になったとしても準備すべきだと考え、この日、密かに執行部の人間を要所に配置してあった。
(まずは、ユキナさんとソラちゃんの安全の確保)
「ユキナさん!」
「クギさん!」
名前を呼びながら近づいてくるクギにユキナも答えた。
幸いにもソラはユキナの腕の中で寝ていたようだ。この事態に気がついていない。
「避難指示をお願いします……クギさん」
そう言って近づいてくるユキナの表情は固い。
さすがにLPO事件を経験しているユキナは、このタイミングでの停電について、最悪の事態は想定している。
「大丈夫です。とりあえず、移行室へ向かいましょう。そこなら『最悪』という事はありません」
「わかりました……コウは……主人は大丈夫でしょうか?」
「移行室のセキュリティは、一昨年の事件で強化しているので、大丈夫でしょう。少なくとも、外部から直接アクセスが可能なここよりは安全です」
そう言って、クギは笑う。
「貨物用のエレベーターを使います。あれは非常時にも数時間は自走できるようになっています。あれに乗れば一気に移行室フロアまで行けます」
「はい!」




