第2話 バッドエンド(1)
「世界の子?」
事務局長の席に座る元電子移行室の室長に呼び出されたコウは、突然、告げられた言葉に戸惑っていた。
「そうよ。ソラちゃんが世界の子として認定される事になったの」
「すみません、話が見えていないのですが……」
***
初めての子育ては大変だった。
コウもユキナも親族は無く、頼るべき身内がいない。
無事手術を終え、術後の経過も問題がなかったユキナは、手術から5日後には総合病院から元の産科へ転院となった。総合病院では、看護師が完璧にケアをしてくれており、授乳だけしていれば良かったのだが、転院後は生まれたばかりのソラと同室看護となった。
コウは、一人で待っていても落ち着かないので、その日から同じ病室で寝泊まりさせてもらう事にした。
オペレーションセンターへは、時期は悪かったのだが、その間の休暇は認めさせた。長期の育児休暇制度もあるのだが、すでに東日本地区のクリア計画が発表され、その最終日とされるクリアポイントが近づいてきた事もあり、移行オペレーターの長期休暇は認められるはずもなかったのだ。
その代替案として、ユキナが入院している期間の休暇を、コウはもぎ取っていた。
だが、コウとユキナが同室でソラの育児を始めた初日――
「おむつってどうやるの……」
「ええ……もう泣く!」
「オッパイかな? ごめん、ユキナ、いける?」
「あ、また泣いた! え、背中がびちょびちょ! オムツがずれているの?」
「どうしよう、また泣いた! オムツは濡れてないし……」
手術後の痛みと疲れもあって、ほとんど寝ているユキナを少しでも助けようと、コウは出来るだけ頑張っていた。夜は一時間おきにか細い声で泣くソラに振り回された。
「これ、育児ノイローゼに僕がなる……」
覚悟していても、実際に体験するのとは大違い。
初日は午前4時頃に顔を出した看護師が、今日は乳児室で面倒を見ると言ってくれたため、
「明日、ちゃんと分担を決めて、夜中は僕、昼間はユキナという感じにしないと死ぬ……これ……仕事の方が楽だ……」
そんな泣き言を漏らしながら、気絶するようにコウは眠りに落ちるのであった。
***
夜の間、何度もコウが起きてくれていたのはユキナも気がついていた。我が子の泣き声に反応するのは、むしろコウよりも早い。それでも、
(夫を育メンに育てるには最初が肝心!)
そうやって総合病院で同室だった他のお母さんに言われたので、とりあえず音を上げるまでは様子をみようと思っていたのだが、しっかりとパパをしてくれていたので、ユキナは安心していた。
そして、まだ痛む傷を庇いながらベッドをゆっくり降りると畳の上に引いてあるコウの布団に潜りこみ、気絶するように寝入ってしまったコウの体温を感じながら、ユキナもまた、ゆっくりと眠るのであった。
***
退院の日を迎え、今日から二人だと覚悟を決めたコウとユキナが帰宅すると、自宅の前で待っている若い女性の姿があった。
「オペレーションセンター 総務部の者です」
一瞬、何者? と、ユキナの顔が険しくなったが、コウの知り合いでもあったようなので、緊張を解く。
「育休が取れないシライさんには代替プランとしてヘルパーの派遣がオペレーションルームより要請されました。基本的に子育てについてはお二人が中心となっていただきますが、炊事家事などについては、毎日代行の者が派遣されます」
「え、そうなんですか?」
「はい。オペレーションセンターとしても、シライさんにはご負担をお掛けしているのは理解していますので、言葉は悪いですが、この後、クリアポイントまで心置きなく仕事をしてもらうためにも、そういった措置が必要だと考えております」
「ユキナ、どうする?」
「どんな人が来るのですか?」
コウの仕事中、家の中はユキナとソラだけになる。そこに、いくらオペレーションセンターと契約している人間とは言え、知らない人間が来るのだ。不安もある。
「五十代の女性が二人一緒に平日は毎日お伺いする事になります」
「二人ですか?」
思わずコウは聞き返してしまった。
「はい、二人です……続けても? はい、ありがとうございます。そしてその二人は、子育てや家事、炊事も含め、ベテランですので、問題ないかと思いましす。身元調査等も含めて、全てこちらで終わっています。面談という形で、一度、顔合わせをさせていただき、それからご判断いただくという形にはなりますが、いかがでしょうか?」
「わかりました。それでお願いします」
ユキナがそう答えた。ユキナが大丈夫なら問題無いとコウも頷く。
「それでは明日、二人を連れてまいります」
そう言って総務部の女性は頭を下げ、帰っていった。
「……なんか、帰宅前にごめんね」
「ううん。でも助かるは助かるよ……やっぱり、慣れるまではね」
「そうか」
大丈夫だと微笑んで、ユキナが手を伸ばした。
「それじゃ、とりあえず」
「うん」
コウはその手を握りしめる。二人は手を繋いだまま自宅の玄関を開ける。ソラはユキナの腕に抱かれ、すやすやと寝ていた。そして、コウとユキナ、そしてソラは同時に家の中に入り、
「ソラ! ただいまだよ!」
「ソラちゃん、ここがあなたの家よ」
そして、そのまま、家の中を歩き回り、眠っているソラに語りかける。
「ソラ、ほら、ここ、ここがベッドね」
「ここがお風呂」
「トイレはここだよ」
施設では笑い合える仲間がいた。
信頼できる友人がいた。
でも、ここまで全てを捧げても惜しくない慈しむ存在は知らなかった。
「ここが、『家族』が住む家だよ、ソラ!」
コウの大声に反応してソラが泣き出した。ユキナはソラをあやしながらコウを睨み付けるが、コウの蕩けるような笑顔に気が付き、思わず吹き出してしまった。
翌日、ヘルパーの二人と面談を行い、育休として与えられるはずだった一年間という契約で、二人のおばちゃんが手伝ってくれる事になった。
そして、コウの休暇が終わり、出勤早々――
***
「世界の子……この地上で最後の世代となるソラちゃん達を、そう呼ぶことになったの。そして、その代表として、ソラちゃんが選ばれたわ」
「そうなると、どうなるのですか?」
「広報で文字情報として、こういう形で認定されましたって案内するくらいかな? 勿論、安全を考え写真とかも出さないわ」
「はぁ」
「移行後、多少、『世界の子』とその家族として、あちらで広報活動はしてもらう事になるけど……そのかわり、他の人より多めのリソースが割り当てられるから、良い事の方が多いはずよ」
電子世界では、リソースが全てだ。
基本的に割り当てられる範囲で充分なのだが、子供を新しく作ったり、子供が研究者になるような場合には、可能な限りリソースがあった方が良い。それに、現実世界と違って、個人情報の流出のデメリットが少ない。ストーカーも含めた犯罪行為は、予防検知が可能となるため、ほぼ不可能と言われている。
「移行後であれば……」
「そう、それじゃよろしくね! あ、こっちにいる間の手当も別に付けておくから」
事務局長に呼び出されたコウは、どうやら「世界の子」と言う名目で自分達家族が、広報活動の一環に利用されるという事を理解した。
「まぁ、いいか……」
コウは溜息を吐き、自分のデスクに戻るのであった。




