第1話 始まり(2)
『ユキナちゃん、巻き込んでごめん。もう大丈夫になりました。証言してくれてありがとう』
そんな短いメールが届いたのは、ユキナがオペレーションセンターを後にして、一度帰宅した頃だった。
(私のせいでこんな事になったのに……)
どうしても、そういう思いがユキナの中から消えない。
盛大に総長達の前で自分の気持ちを告げてしまったが、だからこそ、もうAM2Cの影響下にある自分は、コウの前にもう出ない方がいいだろう――
ユキナは、そう考えていた。
「シライさん……うっ……うっ……」
もう会わないと考えると、涙がこぼれてくる。
まだ出会って、ほんの少しの時間しか経っていないのに、ユキナがコウの事を考え過ごしていた時間は濃密過ぎた。最初はカードを盗んだという罪悪感でしか無いが、これほどまでに一人の人間の事を考え続けた経験は、ユキナにはなかった。
すでにコウの事を考えるというのが、ユキナの一部になっていたのだ。
それを捨てる。
「シライさん……シライさん……シライさん……」
両親を失ってから、ずっと堰き止めてきた感情が、コウという一点に向かって決壊した。
その時、携帯端末がメールの着信を告げる。
送信者: (なし)
件名:(なし)
本文: 行動せよ
「なんなの! なんなのもう! 私はもう何もしたくない! シライさんに……自分だけの気持ちでぶつかりたいの!」
このままでは駄目だ。
そうユキナは自覚した。
会いたいという気持ちを塞いで、ただ、耐えているだけでは、いつか、このメールが自分の行動の後押しをしてしまう。でも、それでは自分の中で気がついてしまった純粋な気持ちを裏切っている行動になる。
「会おう。シライさんに会って、ちゃんと自分の気持ちを伝えて……そして、お別れしよう……」
相変わらず涙は止まっていなかったが、ユキナの目から迷いは消えていた。
***
『会えませんか?』
ユキナにメッセージを送ってから地下鉄に乗ったコウの元に、ユキナからの返信が来た。
(これって……今から?)
一日、オペレーションセンターに軟禁されていたため、コウは昨晩、帰宅していない。すなわち……
(僕、汗臭いよな……きっと)
『今、家に帰る所なので、シャワーだけ浴びてからでもいいかな?』
そう返事を返した。
『大丈夫です。ご迷惑でなければ、そちらにお伺いします』
ユキナの返事も早い。
(えっ? これって家に来るって事?)
『い、今、散らかっているから、三十分! いや、一時間ください!』
(期待するな、期待するな……)
そう言い聞かせつつも、そうはいかないのが、男と言うものだ。電車の中で帰宅後の時間配分のシミュレーションを始める。
(まずは、散らかっている荷物を、クローゼットに押し込め……洗濯物は洗濯機に隠す。オートキッチンは上だけ拭けばいいか。風呂……風呂はさすが見られないよな。はっ! もしかして、一緒に入るなんて事態に……やっぱり念入りに掃除しておこう。それとトイレ。掃除機はロボットを回せば二十分で終わるから、あー、シーツだけは洗濯しておきたい)
『ごめんなさい。やっぱり二時間後でいいですか』
***
「へっ?」
悲壮な決意の元、コウにメッセージを送ったユキナであったが……
『い、今、散らかっているから、30分! いや、一時間ください!』
という何とも呑気なメッセージにテンパってしまった。
(あれ、いつの間にか、シライさんの家に行くことになってる? えー、どうして??)
好きな男の家に行くことが、嫌なわけは無い。
だけど、これで会うのをやめよう……これ以上、迷惑をかけちゃいけない……そういう気持ちにも嘘が無い。
「な、なんて……返事をすれば……」
そもそも、付き合っていたり、お互いの気持ちを確認したりした訳ではない。現状、ユキナが一方的に盛り上がっているだけだ。だから、もう会わないという気持ちを伝えるのも、実はおかしな話なのだ。
「わ、私……いつの間にか、付き合っているような気持ちになっていた」
シライがそもそも、ユキナの事をどう思っているのか……
『絶対、脈があるから大丈夫だって』
セリはそう言っていた。
だけど、どんなに仲の良い女友達の言葉であっても、所詮、根拠がある話では無い。一回だけだが、手を繋いだりした。時たま、コウが赤面している姿も見ている。
(嫌われては……いないはずだったけど……)
少しずつ、踏み出そうとした二人に降り掛かってしまった、今回の査問騒動。原因は自分にある。そう思っているユキナは、とりあえず――
「何を着ていけば……」
コウの家には、行かなければならないのだろう。
そうユキナは決心をした。そこへ、
『すみません、やはり二時間後でいいですか』
『二時間後で大丈夫です。こちらも準備が出来たら、ご連絡します』
時間変更を告げるコウのメッセージに、すぐさま返信をし、朝浴びたばかりだったシャワーをもう一度浴びるためにバスルームの扉を開けた。
***
「「隊長! 緊急です! おかしな事になりました」」
査問会の結果を受けて、監視体制の組み換えの打合せをしていた警備部の会議室に、シライ班、ユキナ班の班長から同時に連絡が来た。同時通話に切替え、隊長は何が起こったのか確認をする。
「どうした!?」
「「シライ(ユキナちゃん)とユキナちゃん(シライ)が、シライの家で会うようです!」」
最後だけ、ピッタリとハモっていた。
「だから?」
二人が会う事は初めてでは無いし、何を問題にしているか隊長には解らなかったのだが、
「「阻止しましょう!」」
「なんでだ」
監視班の班長達が、訳の分からない事を言ってきたのである。
「「ユキナちゃん(シライさん)の貞操が危ない!」」
今度は報告してきた班長以外の声も飛び込んでくる。若干一名、他の隊員とは違う事を言っていたが、ともかくそういう事らしい。隊長はひとつ溜息をつくと、
「若い二人なんだから、放っておいてやれよ」
そう呟いたが、またもや同時に、
「シライ班です。シライの野郎! シーツを洗濯機に放り込んだ後、風呂の掃除を始めました」
「ユキナちゃんを見守る会から報告!」
「おい!」
「ユキナちゃん、今朝入ったばかりのシャワーに、もう一回、入った模様です。自主規制機構が働いて、音声がカットされました」
という連絡が入る。
妻帯者でもあり、若い二人の微笑ましい行動に特に感銘を受ける事のなかった隊長は、
「そうか。うまくいくといいな」
と、興味を失って通信を切ってしまった。
だが、二つの班の間には、まだ通信経路が残っていた。これまで一部の者を除いてシライ班を負け組、ユキナ班を勝ち組として、わだかまりがあったのだが、この日、共通の目標が出来た事で、二つの班は急速に接近する事になる。すなわち、
「ユキナちゃんを悪い虫から守る会」の発足である。




