第1話 世界の真実(2)
「ユキナ、私の移行日が決定したんだ」
「え?」
ユキナが図書館で勉強をしていると、セリが近づいてきて、小声でそう言ってきた。移行自体は別に珍しい話では無いが、ちょうど卒論を書いているこの時期での移行というのは違和感があった。
「移行って、こんな時期に?」
「ほら、うちの親、学者じゃん。それで移行指定という制度に引っかかっちゃって……」
「そ、そうか……うん、おめでとう……おめでとうでいいんだよね?」
「ありがとう。まぁ、大学は電子世界にもあるし、全ての成績は引き継げるからね。卒論も同じテーマでいけば、苦労も無いでしょ。続きは向こうで書きますって、さっき手続きしてきちゃった」
大学のような教育機関は、研究の継続性を維持するために、現実世界と電子世界で対になって用意してある事が多い。電子世界に移行後でも探究心を持ち続ける人は多くいるのだ。観測や採取が必要な学問については、電子世界から直接、現実世界のロボットを動かして行うといった事もされていた。
だが、データに置き換えられた人類の魂に、直接記憶を流し込むという技術は現状、確立できていない。魂オブジェクトが外部からの改変が出来ないという制約は、こういう所にも影響が出ている。結局、パンの上に文字を書いて食べれば覚えられるといった革新的な技術は電子世界でも作り出せていなかったのだ。
人類は電子世界へ移行しても、知識を得るためには勉強を続ける必要がある。むしろ、国境もなくなり完全に貧困から解放された電子世界では、幼年期からの義務教育という点で強制力が増したくらいだ。
「そうか……寂しくなるね」
「ユキナは、どうするの? もし嫌じゃ無かったら、一緒に行く?」
「ありがとう。でも、私は……卒論が終わってから……かな」
結局、このまま一人で移行する事になるんだろう。両親の事もあり、お世話になった教授がいるため、AM2Cに所属はしているが、ユキナ自身は移行そのものに、忌避感は無い。ただ、一人で行くという事に、まだ踏ん切りがついていない。何かキッカケがあれば……ユキナは、そんな心情を抱えて決断を先延ばしになっていた。
(それにオペレーションセンターにはシライさんがいるし……)
「あ、それとその話が出た後、父に彼氏がいるという話をしたら、あれよあれよという間に、彼氏も一緒に行く事になって……」
そう照れたように笑う友人に対し、
「え? セリ、彼氏出来たの!?」
図書館という場所を忘れて思わずユキナは叫んでしまった。周囲の咎めるような視線に慌てて頭を下げ、改めてセリに小声で、
「いつから? 本当に聞いてないよ」
「ごめん、ちゃんと付き合うとなったのは、本当に最近の事だったから、報告が出来なかったの。それにユキナも、あれから少し落ち込んでいるみたいだったから、ちょっと話し辛くて」
「そんな事気にしなくてもいいのに……それはそうと、ちゃんと詳しく!」
ユキナも女の子である以上、恋バナは好きなのだ。
「ここじゃ何だから、課題をさっさと終わらせて……久しぶりに行く?」
セリは手のひらでコップを持つような仕草をして、それを飲むフリをした。
***
「……とに羨ましいです! おめでとうございます! 幸せになってください」
コウはネギ先輩と何回目かになる乾杯をした。
「あとは、お前だけが心配だよ。3年間、一人で頑張れるか?」
「はい! 僕は……一人で頑張ります! 寂しく一人で!」
「コウよ! 大丈夫、きっとチャンスはあ……ん?」
ネギ先輩の端末がメッセージを受信したようだ。
コウが見ていると、口元がにやけている。
「お、彼女ですか?」
「ああ……ん? んん?」
「どうしたんですか?」
「コウ! チャンスはあるって言ったろ!」
「はぁ」
「俺の彼女が友達を連れてこの辺に飲みに来ているらしいけど、合流してもいいかって」
「それって」
「勿論」
これは、女性だという意味だ。
コウはこの言葉に満面の笑みを浮かべて、
「断る訳ないじゃないですかー!」
店への迷惑も考えず、両手を挙げてコウは叫んだ。
魂の雄叫びであった。
***
「ユキナ、なんか、彼氏も近くにいるみたいだから、紹介するよ」
「本当?」
セリはメッセージに入っていた店を目指す。
もう一人、同僚がいるみたいだが、紹介だけして別の店に行くつもりだったセリは、その事をユキナに告げなかった。
***
店の入口に現れた二人の女性の姿を見て、コウは全身の血が凍り付き、そしてそれはすぐさま沸騰し、全身を駆け巡るような感覚に陥った。
そこにはユキナがいた。
「おう、こっちこっち」
そんなコウの様子には気が付かず、ネギ先輩が手を挙げると、ユキナと一緒に入ってきた女性が手を振り返した。ユキナが、こちらに向かってゆっくりと頭を下げたが、まだコウには気が付いていない。
「お邪魔します、初めましてセリと言います」
セリは自分の彼氏の同僚だという事で、丁寧に頭を下げる。それに引き摺られ、ユキナも挨拶をしようとして、固まった。
「えっ」
コウに引き続き、ユキナの時間も止まる。
二人は見つめ合ったまま、動けない。
「おい、コウ、いくら可愛い子だって、見過ぎだって」
「やだ、どうしたのユキナ?」
二人の様子を不審に感じたのか、ネギ先輩とセリが慌てたように、それぞれの同行者に声をかけた。その声が引き金になったのか、ユキナの顔が赤く染まり、青ざめ、一度赤く染まり、再び青ざめた。
それを見てコウは困ったような顔をしながらも、声をかける。
「や……ぁ、久しぶり」
「っ」
その瞬間、ユキナは目に涙を溜めながら顔を歪めると、突然後ろを振り向き、そのまま店から外へ走り去ってしまった。
「え? ちょ、ちょと、ユキナ? ユキナァ!?」
セリも慌てて追いかける。
「おい、コウ? どういう事だ?」
「すみません、先輩。すぐ戻ります!」
少し遅れて、コウも駆け出す。
ネギ先輩は会計も済んでいない事もあり、仕方無く腰を下ろし、自分のジョッキを飲み干すと、生ビールのお替わりを注文した。




