第2話 動き出す(5)
「教授、おはようございます。ご相談したい事が……」
地下鉄の時間に合わせてオペレーションセンターを後にしたユキナは、図書館には寄らず、昔から世話になっている教授の元へ顔を出した。
『政府は基本的人権を無視し、常に我々を監視している』
大学に入学してしばらくすると毎月届けられるようになった会報には、政府の傍若無人ぶりが何度も特集されていた。ユキナ自身は、そんな事を感じたことも無いのだが、念のため、今回の事はメッセージでの連絡で済ませず、直接会う事にしたのだ。
「ユキナ君か……ちょっと待ってなさい」
「はい」
教授室の外で少し待たされたが、しばらくしてドアが開き、教授はユキナの事を中に招き入れた。
四十代前半、若手のホープ――
ユキナが読んだ会報には、確か、そんな形で紹介されていた。ユキナが所属する組織は、一部過激思想を持つものがいるものの、あくまでも合法的な組織である。そのため教授のように、それなりの地位についている人も多い。
同じような思想を持った人の一部がテロ行為を行う事もある、というのが世間の認識であり、組織に属しているからといって、おおっぴらに差別される事はなかったが、それでも眉を顰める人も多い。テロ行為に及ばない程度であれば信条の自由が保障されているため、大学の教授として就く事も可能というのが、日本の良い所だ。
物理学の教授のため、インドアなイメージを持たれる事も多いのだが、実際には真っ黒に日焼けし、身長は180センチを超えているだろうか、スラリとしながらも、がっしりとした体型の男である。
(確かバツイチだったと聞いたような)
そんな事をユキナは教授室に入りながら考えていた。
先ほど顔を出した時は、応接用にと用意されているテーブルとソファの上にうず高く本が積まれていたのだが、なんとか座れるようになっていた。
「朝から珍しいね。今日はどうしたのかな?」
「はい、教授が入学前におっしゃっていた状況になりまして……」
「というと?」
ユキナは、今朝のコウとの出会いについて教授に報告をした。そして、バッグからセキュリティカードを取り出し、教授に見せた。
「偶然だったのですが、これを拾いました。返そうとも思ったのですが、返しそびれてしまって……」
そう言って、ユキナは俯いてしまう。
それを見て、教授は、
(ふむ、これはただの入館用カードのようだな……。まぁ、落としたという事に気がつけば、すぐに使用不可されてしまっているだろう。大きな問題にはなるまい……)
と、思案する。
そしてユキナの様子を窺う。どうやら、セキュリティカードを持ってきてしまった事に罪悪感を持っているのだろう。俯いていても顔色が良くない事が解る。
「ありがとう。よく教えてくれたね。あそこの職員と知り合えたというのは、きっとユキナ君にとっても見識を広げる良い機会だと思うよ。ちゃんとその目で電子移行というものに向き合ってみてはどうかな」
それを聞いて、ユキナはコクリと頷くが、俯いたまま顔は上げない。
「だけど、このカードは受け取る訳にはいかないな。拾得物横領になってしまう。これは返した方がいいだろう」
その言葉にユキナはパッと顔を上げた。明らかにホッとしている顔だ。だが、次の言葉で、その顔が絶望に染まる。
「だが、カードを持って帰ってしまった事は露見しない方がいい。僕が所属している組織は、所属しているというだけでよくない感情を持つ人も多い。ユキナ君の場合、そんな僕が後見人についてしまっているからね。だからね、ユキナ君。本来、教育者として、こんなことを言うのは駄目なのだが、出来れば、このカードは、こっそりと返してしまいなさい。一般開放エリアなら、いつでも入れると思うので、そこから入って、どこかに置いておけば大丈夫だろう」
監視カメラなどで、すでにカードを持ち帰った事が露見しているかもしれないが、出来るだけ穏便に済ませた方がいいだろう。先方も、この程度であれば騒ぎ立てる事も無いはずだ。それよりも、そのシライという男がユキナに対してどういう対応を取ってくるかの方が重要だ。保護者として看過出来ないような状態になる前に、チェックが必要だ――
そう思案する教授に、ユキナはさらに指示を求める。
「シライさんから、連絡が来た場合、どうしたらいいでしょう?」
「自分の思う通りに行動しなさい。まだ君は若いのだし、無理する事は無いよ。会いたければ、止めないし、もう二度と会わないというのも、君の意思を尊重する」
「そうですか……」
教授室の去り際に聞いた教授の言葉で、さらにユキナは戸惑ってしまった。
コウと仲良くしろと指示をされるか、接触するなと言われるのか、そのどちらかであろうと考えていたが、自由意志に任せるという答えだった。確かに指示があれば、あの優しそうな笑顔を持つ青年との関係を後押しされたような気にもなっただろう。反面、組織の思惑という汚い色が付いてしまう気もしてしまうが……それでも罪悪感から始まっている今のモヤモヤした気持ちに、何らかの出口が見つけられそうな気がしていたのだ。
正直、ユキナにとっては誰かの意思で進むという方が、気楽だったのだが――
「ただ、カードの件は彼には言っては駄目だよ。迷惑をかける事になる。電子移行そのものについては、僕も思う所があるけれど、それでも、そこで働く人が悪いわけじゃないからね。できるだけ穏便に……」
そう釘を刺された。
「わかりました」
ユキナは、力なく返事をし、挨拶をして教授室を後にした。調べ物があり図書館へ行く必要があったのだが、そんな気分はとうに無くなってしまっていた。
(もう帰ろうかな……)
そう考えながら、学生食堂の前を通ったところで、ユキナは声をかけられた。
「ユキナ! どこに行くの?」
その声の方へ振り返ると、そこには大学へ入学した頃からずっと付き合いのある、セリの姿があった。身長は175センチほどで、がっしり鍛えられた肉体、健康的に焼けた肌、金髪ショートボブ姿、目鼻立ちがはっきりとしている元気な女性である。
「おはよう、セリ。ちょっと気分が乗らないから、もう帰ろうかなって……」
「え、なんかあったの? なになに?」
大学に入ってからの出会いだったが、一緒に旅行に行くなど親友と呼べるような間柄。ユキナのそんな様子に世話焼き体質のセリが放っておくはずもなく、ユキナの腕をがっしりと掴み、
「ちゃんと説明しなさい。何かあったんでしょ?」
「え、あ……うん……」




