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次の日、その日は、丸々一日休みだったので、乙と花嫁修業をすることにしていた。
「乙、墨をすらないといけないわ」
今は、文字を書く練習をしているのだ。文の文字が汚いと、交渉相手に嫌われることがあるからだ。
「もっと、ちゃんとはねた方が良いですよ」
「はーい」
「着物に、墨をつけないようにしてくださいね」
「は~い」
乙は、不安そうにため息をついた。
「花様!」
「ん?」
着物を紐で縛っていると、乙が不安そうに名を呼んだ。
「花様は、蝶の中でお気に入りは決まりましたか?」
「う~ん、どうなんだろう」
三人の事を思い浮かべるが、ピンとこないものである。
「花様は、もしかして、まだ、全員が同じくらいだと思っていらっしゃるのではありませんか?」
「たぶんそう」
「それは、恋をしていないからでしょうね」
乙は、着物をピッと整えて。
「恋をすれば、一人に夢中になるはずです」
「そうなの?」
花は、いまいちピンとこない様子でそう言った。
「蝶の皆さんは、いい人ですか?」
「ええ、とってもいい人だわ」
乙は、お茶を花に渡して座った。
「初めは、どなたも嫌だと怒っていらしたのに、今では、皆さんが良い方になってしまったのですね」
乙は、お茶を一口飲みそう言った。
「そうね、案外、いい人だったわ」
「人を上辺だけで判断してはいけないのですよ」
「は~い」
花は、反省したように返事した。
「でも、今度、手山国の方と決闘なさるとか?」
「そうなのよ、でも、大丈夫よ、こっちだって、きちんと作戦を練っているに違いないもの」
すっすっと筆を動かす。
「ああ、花様、乱暴な字を書いてはいけませんよ」
「は~い」
乙は、また、ため息をついた。
花は、元々字がきれいな方ではないのだ。だから、余計に書道の時間は、厳しくするように言いつけられているのだ。
「確かに何を書いても良いと言いましたが『芋羊羹』ってなんですか!」
「いもようかんよ、おいしいわよ、注文するときの練習よ」
乙は、また、花に呆れてしまった。しかし、良家の姫である花の面倒を見れなかったなどと言われれば、長く仕えた意味がない。
そして、乙は、花の事が好きなのである。
一見、花は、ふざけているように見える。しかし、本当は、本気でやっている事を乙は知っている。
「花様、春と言えば……」
「柏餅とか?」
乙は、笑顔を引きつらせて。
「春と言えば?」
「ひなあられ」
「花様! 食べることばかりではなく、もっと美しい言葉を考えてください」
「えっと、美しい? 菜の花とか?」
「そうですね、その位なら」
「てんぷらにすればまあまあ行けるわ」
「花様……! いい加減にしなさい!」
そこで、花のお腹の音が盛大に響いた。
「花様、もしかしてお腹が減っていたのではないですか?」
「そうなの、でも、つまみ食いする物が無くて、ガマンしていたの」
「言ってくだされば、持ってきましたのに」
「でも、乙は、一生懸命、字を教えてくれようとしていたのに、お菓子が食べたいなんて、失礼かな? と思って」
花も乙が一所懸命なのは、わかっていたのだ。
「あの、ふざけていたわけじゃなくて、お腹が空いていて、食べ物の事しか考えられなくなっていたの」
「いいのです。花様は、本気だったのでしょう?」
「うん」
花は、力いっぱい頷いた。
乙は、食べ物を取りに、部屋を出ていった。入れ違いに陽太が入って来た。
「花様、書道中でしたか、すみません」
「いいのよ」
「『芋羊羹』『柏餅』『ひなあられ』って書いてありますね。食べ物ばかりのような気がするのですが?」
「丁度、お腹が空いていたのよ」
花は、少し困ったようにそう言った。
「でも、甘い物って食べたくなりますよね」
「そうでしょう」
花は、うれしそうに返事した。
「花様は、よく食べるんですか?」
「ええ、だっておいしいんだもん」
そこに乙が、まんじゅうを持って現れた。
「これは、これは、陽太さんではありませんか」
「乙様、お邪魔しています」
「乙~、まんじゅうは、何餡?」
「漉し餡です」
お茶を飲みながらつまんでいると、日が高い所まで登っていた。
「もう、こんな時間か~」
「決闘の事、話し合っているんですよ、類と才我と」
「うまい策は、考えられた?」
「一応、意見は、いっぱい出たのだけども、実行が難しい物ばかりでして、困っていたのですよ」
「ふ~ん」
花は、類が、いい方法を考えてくれるとばかり思っていた。
(類でも難しいか……)
花は、心の中で、少し不安になったが、まんじゅうを一口食べると、心が安らいだ。
(困った時は、甘い物だわ)
その後も、何個も食べながら陽太の話を聞いた。
「しびれ薬や、隠し弓など考えたのですが、僕達の考えた方法は、相手も出来る事だし、すぐばれてしまう」
「そうなの?」
「花様を渡さないためなら、何だってするのに……」
陽太は、悔しそうに言った。
「陽太……」
いつになく真剣な陽太の顔に驚いた。
(いつもニコニコしているに、どうしたのかしら?)
しかし、乙はニコニコしている。
「とにかく、花様を守るのが、花守りの蝶の仕事ですから」
「そうね、がんばって」
陽太の背中を押した。
「はい」
陽太は、うれしそうに笑い、部屋を出て行った。すると、乙は、ニヤニヤして。
「陽太様は、花様にべた惚れの様ですね」
「そうなのかしら?」
「そうに決まっています。花様は、陽太様が、あの様子でも、いい人だとしか思えないのですか?」
「それが、そうなの、いい人以上には、思えないわ」
乙は、少し考えて。
「陽太様は、好みじゃないのかもしれませんね」
「そうなのかもしれないわね」
「では、才我様は、どうですか?」
「いい人だと思うわ」
「類様は?」
「いい人よ」
乙は、ハーとため息を吐いた。
「花様にとって、蝶は、婚約者なのですよ。それなのに、蝶のみんなは、ただのいい人なのですか?」
「ええ、そうよ」
「かわいそうだわ。常々、花様は疎いとは思っていたのですよ。でも、これほどまでとは、予想外でした」
「でも、理由が無くて好きになるなんて、失礼でしょう」
「そうですね」
乙は、首をひねって。
「もし、あの三人に告白されたら心が変わるかもしれませんね」
「告白されると変わるの?」
「はい、だって、受け入れるか断るか考えなければいけないでしょう」
花は、天井を見つめて。
「そうだね」
少し、考えが追い付かない様子でそう言った。
(好き? 嫌い?)
三人に、嫌いと言う感情は無い。ただ、人として好きと言う感情があるだけのような気がした。
「さあ、書道の続きをしましょう」
紐を結び直し、筆を持つ。
『花鳥風月』と書いた。
「普通の言葉も書けるのではないですか」
乙が感動していると、花は。
「お腹が空いていただけだもの」
小声で反論した。




