雪だるまとオオカミ
とあるところに旅人の訪れる宿屋に生まれた幼い男の子がおりました。
男の子は毎日、朝は早くからお母さんの料理の仕込みを手伝い、昼はお父さんの割った薪を竈へ放り込むお手伝い、そうして夜になるとようやく家族三人で一緒の布団に眠れるような、とっても忙しい毎日を過ごしていました。
毎日のお手伝いは、遊ぶ暇も休む暇もなくて幼い少年にはつらかったけれど、それでも男の子は母親がいて、父親が居る毎日にとっても幸せでした。
そんな男の子が頑張っている冬のある日、いつものように男の子が手伝いに朝早く起きだすと、窓から見える景色には辺り一面の銀世界が映っていました。
昨日の夜から降り始めた雪が、朝になると地面を全部覆ってしまうほど、降り積もっていたのです。
男の子の腰よりも高く降り積もった雪を見て、お母さんが言いました
「これじゃあ今日は旅人さんは来れないねえ。今日はお休みだ」
そうしてお母さんは、日頃出来ない家のあちこちの整理を始めようと二回の物置部屋の方へと歩いて行きます。男の子は、それを手伝おうとも思いましたが、お母さんの「整理するんだったら一人でやった方が色々と都合がいい」という言葉を聞いて、結局一人で立ちすくんでいました。
次に何をすればいいのか分からなくなった男の子は、何とも情けない表情になりました。それを見ていたお父さんが「じゃあ、今日は薪がいつもよりも必要になるから、手伝ってくれないかい?」と言いました。
「うん。分かったよお父さん!」
「そうか。手伝ってくれるか。ありがとう」
そうして男の子とそのお父さんは、外へと出て、今から割らないといけない木を用意している家の裏の方へと向かっていきます。雪が降り積もっていて扉が開かなかったので、宿の窓から外へと出る時には男の子はいつもとは違う事にドキドキしだし、裏へと向かう途中に雪の中を歩いているときに至っては終始はしゃぎっぱなしでした。
お父さんは、いつもいつも文句を言わずに手伝ってくれている男の子の喜びようを見て、まき割りを手伝ってもらおうとばかり思っていた考えを少しばかり改めました。
そして少しばかり頭を捻り、もう一度男の子に向けて口を開きました。
「いいかい僕。今日手伝ってほしいのは、実はまき割りじゃないんだよ」
「え? 違うの?」
「そうだよ。今日手伝ってほしいのは、お客さんを出迎える”雪だるま”を作ってほしいんだ」
「雪だるま?」
首をかしげる男の子に、お父さんは細かく説明していきます。
今日、旅人さんがもしかしたら宿を尋ねるかもしれないこと。
その時、せっかくの雪の日なのに、宿の入り口に雪だるまの一つもないのではがっかりされてしまうのかもしれないこと。
だから、男の子に雪だるまを作っておいてほしいこと。
「まずは宿の入り口のところに積もっている雪をどけた後に、雪だるまを作っておいてほしいんだ」
「うん! わかったよお父さん!」
そうして少年はスコップを片手に宿の表の方に急ぎました。
そして入口につくとすぐスコップを使って宿の扉を開くのに邪魔になる雪をかき除けて、手袋をした小さな手で、二つの雪玉を作りました。
それをあっちへころころ、こっちへころころ。
「よいしょ、よいしょ」
雪玉を地面に転がすことで大きくしていき、遂には男の子のお腹ほどの大きさの小さな雪玉と肩ほどまである大きな雪玉を作りました。
「ふむむ……よっこらせ、っと」
そうして小さな雪玉の方を持ち上げると、大きな雪玉の上にどっかりと乗せました。
そして男の子は残りの顔と手を作ろうと、整理をしていたお母さんへと頼みに行き、人参の鼻と小石の目、バケツの帽子をもらって、雪だるまの顔を作ったのです。
口や手は、近くから拾ってきた枝を使って作りました。
「よし! 出来たぞ!」
丁度男の子が雪だるまを作った時、宿の中からお母さんが呼ぶ声が聞こえてきました。
どうやらお父さんもまき割りを終え、今から朝ご飯が始まるようです。
男の子は、大きな返事をして、宿の中に戻っていきました。
――――――――――――
それから時間が経ち、日が暮れて、宿の建っている辺りにも、夜の帳がおりました。
するとどこからか、奇妙な音が聞こえます。
むくり、むくむく、どっこいせ。
「ふう。どうやら私は今度はこの宿の真ん前に作られたようですね」
宿の前。玄関の場所に、男の子に作られた雪だるま。
それがなんと奇妙な声と共に動き出したのです。
純粋な思いで作られた物には、魂が宿ります。
今日、男の子の作った雪だるまは、旅人さんに癒されて欲しいという非常に純粋な思いで作られました。
そんな純粋な雪だるまでしたから、何度も雪だるまに宿っては春になって溶けることを繰り返す転生する雪だるまさんが宿ることができたのです。
「さてさて……作ってくれた方には悪いですが、早くあの子たちを探しに行かないと」
彼は何度も宿っては、何度も溶けていくというとても奇妙な雪だるま生を送っていましたから、それなりに知り合いもいます。
雪だるまさんは雪から作られただけあって、明日の天気も何となく分かりました。
雲一つない夜空を見て、きっと自分は明日には溶けているという事を確かめると、雪だるまさんは男の子には悪いと思いながらも、すぐに宿の玄関の前から歩いて出発していきました。
彼は三回目と四十二回目の転生の時にであった、友達となった二匹の雪うさぎの姉弟と「もう一度会いましょう」という約束を交わしていたのです。
その二匹もまた、雪だるまさんと同じく、体が雪でできた兎でした。雪だるまである自分が作られるほどの沢山の雪が降り積もったのですから、きっと彼らは今もどこかで誰かに作られた雪の兎に宿っていることでしょう。雪だるまさんは急いで出発しました。
えっちらおっちら。丸い体を揺らして、ドスンドスンと進みます。夜の気配漂う世界に大きな音が響きますが、雪だるまさんは気にした様子はありません。
代わりに気にしたのは、どうやら樹の上で寝ていたらしいオオカミでした。
ドスン、と一際大きく雪だるまさんが地面を揺らした時、近くにあった木から、オオカミが落っこちてきたのです。
頭からドスッと雪にめり込み、もがもがと脚をばたつかせるだけでしたから、雪だるまさんは慌てて足を引っ張ってオオカミを助け出しました。
「大丈夫ですかオオカミさん」
雪だるまさんが声を掛けると、オオカミは顔についた雪をブルブルと首を振って落とします。そして大きく息を吸い、吐いて、吸いを繰り返してしばらくし、ようやく人心地吐いたようにほっと一息つきました。
そして、雪だるまさんの方に向き合います。
「ああ。助かったよ。うつらうつらと眠っていたところに突然のことで、どうも反応できなかったんだ。人が寝ているところで地面を揺らして木から落とす奴がいるなんて全くひどい輩もいたもんだ。地震かと思っちまった」
「そ、そうですね」
オオカミは、その見た目の怖さからは想像も出来ないほど、丁寧に雪だるまさんにお礼を述べました。若干、口調は荒かったですが、乱暴なオオカミとは一線を画すとっても落ち着いた声です。
ですが、そんな落ち着いたオオカミの声を聞いた雪だるまさんの背中には、冷や汗が流れたような寒気が奔りました。言わずもがな、自分がオオカミが樹から落ちた原因だと気づいたからです。
雪だるまさんは、オオカミがその事実に気づかない内に、話題を逸らしてしまおうと考えました。雪だるまさんは長いこと生きているので、少しばかりずるかったのです。
「オオカミさんオオカミさん。この近くで雪うさぎさんを見かけませんでしたか? 赤い実の目と葉っぱの耳、そして真っ白な雪の体をした小さな小さな雪うさぎさんを」
「いいや、おれは雪うさぎなんかみちゃいないねぇ。そんな小さくて食べられそうもないうさぎなんて、これっぽっちも目に入らなかったからな。いっつも俺が狙うのは、肉の上手そうな新鮮なやつだけさ」
「そうですか」
話題を逸らした先は、今雪だるまさんが最も知りたい雪うさぎの姉弟の行方のことでしたが、生憎とオオカミは雪うさぎのことはまったくもって知らないようでした。
そのことに雪だるまさんは落胆を隠せません。若干オオカミは、バツが悪そうにしています。むしろ、被害者だというのに。
しかし雪だるまさんも長生きです。すぐに立ち直り、代わりに雪うさぎが居そうな場所についての情報を求めました。
「では代わりに、霜の草、という草があるところは知らないでしょうか? よく寒い朝に地面から生えてくる柱みたいな氷の草なのですが」
「ああ、それなら知ってるよ。なんだ、お前さんはそれを探しているのか?」
「はい」
雪だるまさんは、またこっくりと頷きました。バケツは落ちないように手でちゃんと押さえています。
オオカミは胡坐をかいて座り、腕を組んで座っていましたが、しばらくうんうんと呻いた後、何かしらの答えを思いついたかのように明るい顔になりました。
そして、
「じゃあ、案内してやるよ。ついてきな」
オオカミさんはそういうと、森の奥の方へと歩いて行きました。
そのことに雪だるまさんはお礼の言葉を述べて、オオカミの後を追います。
流石に今度は雪だるまさんも他の動物たちに迷惑となると分かったので、飛び跳ねたりせずにゆっくりと進んでいくことにしました。
道中、しんとした枯れ林の中をずっと黙って歩くのも苦痛でしたから、自然と雪だるまさんとオオカミさんはお互いのことを話し合いました。
「それにしても、こんな夜更けから人探しとは、雪だるまの旦那も結構苦労人なんだな」
「いえいえ。約束ですからね。苦労だなんて思ったことはありませんよ」
「すげえなあ。俺だったら、とてもじゃないが探し続けるなんてできやしねえよ。あんたかっこいいぜ」
オオカミがその立派な尻尾をふさりふさりと揺らしながら雪だるまさんを褒める姿は、野生の魅力とも言うべきフェロモンや力が溢れているようにも見えます。雪だるまさんも一瞬、その姿に言葉を失うほどでした。
「ありがとうございます。そういうオオカミさんは、なんで木の上なんかに寝ていたんですか?」
「……笑わねえか?」
雪だるまさんはこっくりと頷こうとして、バケツが落ちそうになって慌ててやめました。しかし、オオカミさんにはそれで通じたようです。
「実はなあ……俺はこの森では少々どころでは無く怖がられていてな。まあ、俺が肉を食べなくては生きていけないのが問題なんだが、それはどうしようもないわけだ」
「はい」
オオカミが生きていくために、他の動物たちを食べることは仕方のないことです。そして同時に、他の動物たちがそんなオオカミを畏れてしまうのも、仕方のないことでした。
「かといってな? 俺は別に他の動物たちを必要以上に怖がらせたいわけでもないんだ。だったらできる限り他の奴から遠いところにいれば、他の奴らも安心するだろうと思ってだな、木の上で寝ていた」
「ほうん。それはまた何とも」
お人好しですね、と雪だるまはつなげようとして、結局何も言いませんでした。
それは、先ほどのオオカミの嫌ったちゃかしになってしまうような気がしたからでしたし、それ以上にオオカミの言葉の裏に、隠しきれない寂しさのような感情を感じたからでもあります。
もしかしたら、ほとんど誰とも話したことが無いからこそ、こんな怪しい雪だるまとも一緒に行動しているのでしょうか。そんなことを考えていると、少しばかり雪の薄い開けた場所へとつきました。
「ここだ」
オオカミはそういって、地面に前足を置きます。すると地面の下からは、ぱきり、と小気味のいい音が聞こえました。
「あっているみたいです。案内ありがとうございました」
「なあに気にするな。乗り掛かった舟だ。少し案内してやることくらい、疲れることでもありゃしねえしな」
雪だるまさんはオオカミにお礼を告げ、そのままオオカミと別れてまっすぐに進んでいきます。
しばらく奥へ進んでみても、あの姉弟の言い争うような仲のいい声は届いてきませんでした。
「やっぱりいませんね……」
ひとしきり探し、呼びかけたりもしてみましたが、雪だるまの声に返事を返してくれるものはありませんでした。辺りには、しんとした夜の空気だけが広がっています。
何度もあったことです。探してもいない。前いた知り合いと会うことは出来ない。約束しても、会えるわけでは無い。本当に何度もあったことです。雪だるまさんが初めて生まれてから、ずっとこれまでを生きてきて、何度も繰り返したことでした。
でも、何度繰り返してもつらいものでした。
雪だるまさんは、ぼうっとして立ち尽くします。
しんとした枯れ木の中、呼吸する音が響きます。
「……どうしているんですか」
「お前が逢えたかどうか、確かめてから行こうと思ったんだよ。どうやら逢えなかったみたいだな」
ぶっきらぼうな口調で、白い息を口から吐きながら、枯れた木の後ろからオオカミがその堂々たる体躯と共に出てきました。
雪だるまさんは息をしないので、呼吸の音はオオカミのものでした。
しばらく身じろぎしないで気配を消していたせいか、その毛には沢山の雪が降り積もっています。
「次、行くか?」
「いいんですか?」
雪だるまさんはオオカミが協力を申し出てくれたことに、意外そうな声で返事をしました。
既にオオカミは雪だるまさんをここまで案内したわけですから、もうこれは義理を果たしたといってもいいはずです。
確かに雪だるまさんとしては助かりますが、果たしてそれでいいのかと、思わずオオカミに聞いてしまいました。
するとオオカミは、
「これも乗り掛かった舟だからな」
とそれだけをいって、森のまた違う奥の方へと向かって、雪だるまさんを連れていくのでした。
――――――――――――
「なあ、雪だるま」
「何ですか、オオカミさん」
枯れ林の中を、オオカミと雪だるまが進みます。
「お前、その姉弟を見つけたらどうするつもりだよ」
オオカミはその艶やかに光を反射する大きな尻尾で枝を払い、雪だるまの通り道を作りながら前へ前へと進んでいきます。雪だるまは、その後ろをのそのそとついて行きながら、うーん、と首を捻りました。
「別に何にもしませんよ。今まであったことを話したり、あった人のことを話したり。少しだけ遊んだり。そんなことをするくらいですね」
結局、雪だるまさんは考え込んだ割には普通の意見しか出てきませんでした。
「そんなにボロボロになってか?」
オオカミは再度問います。
オオカミがそんな事を問いたくなったのも無理はありません。今の雪だるまさんは、枝の手は途中から折れ、目は少しずれて、鼻も多少萎れてきている何ともボロボロな姿となっています。身体の表面なんかところどころかけたり、溶けたりしてもうすでにまん丸の形ではありません。
一晩中雪うさぎを探してあちこちを歩いた結果、雪だるまさんの身体は熱を持ってしまい、寿命が思ったよりも早く来てしまったのです。
恐らくは一歩進むごとに全身が焼けるような痛みを堪えているであろう雪だるまさんは、しかし、オオカミにそんな様子を見せません。
雪だるまさんは何の気負いもなく、ごく自然と「約束しましたから」と口に出しました。
オオカミもそれを聞いては
「そうか」
とだけ返すのが精一杯でした。
やがて、辺りに日の光が満ちてきました。
だんだんと太陽も、髙くなっていきます。
「オオカミさん。お願いがあるんですが」
もう半分くらい溶けて、全然前に進めなくなってしまった雪だるまさんが、最後の力を振り絞ってオオカミに頼みを告げます。
「なんだ?」
「このバケツを、頭の上にあるバケツを、宿に返しておいてはくれないでしょうか?」
そういってオオカミに差し出されたのは、取っ手のついた小さな金属製のバケツです。
オオカミはそれを口で受け取ると、雪だるまさんは「ありがとうございます」と一言いいました。
「他には何かないのか?」
「そうですね……では約束しましょう」
「約束?」
オオカミは、バケツの取っ手を加えたまま、器用に首を傾げました。
「また、次の冬に逢いましょう」
「……いいぞ」
オオカミは、少し驚いた表情でしたが、最後にはしっかりと、雪だるまさんの言葉に返事をしました。
それを聞いた雪だるまさんは、満足したかのようにぺしゃりと潰れました。
後に残ったのは、オオカミと水たまりといくつかの小石と枝と一本の人参です。
「……」
オオカミは、しばらくそこでじっと座ったままでした。
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しばらくの間、森の端では、何やらオオカミの遠吠えが響いたかと思うと、バケツをガシガシと噛んだり、雪を尻尾を使って丸めようとする姿が見られるようになりました。
初めはすぐに音を上げて、あちこちに走り回ったり、木に体当たりして色々な生き物に心配されて怯えられていましたが、春近くになると何やら満足したのか木の傍で毎年のようにまったりと寝て過ごしていました。
それからというもの。毎年、冬になると、オオカミがおかしなことをしては、納得がいかないように暴れ出すという光景が見られるようになりました。
それはやがて、一匹の好奇心旺盛なリスがオオカミの悩みを解消してあげるまで続くことになるのでありましたが、それはまた別のお話。