一
電車と飛行機とを乗り継いで空港に到着し、有馬優人は体を伸ばした。長時間乗り物に乗っていたために筋肉が凝り固まっていた。
鹿児島と言えども冬はやはり寒い。マフラーを巻き、空を見上げた。ここ数日は晴れの予報だったが、雨の降る気配こそ無いものの雲が厚く、快晴とは言えない。空港から駅までバスに乗り、そこからは暫く電車に揺られる予定だった。まだ目的地は遠く、座り続けることになる。有馬はその場で屈伸をしてから鞄を持ち上げた。肩にずしりと重みを感じた。
東京からここまで、有馬は楽しい気持ちではなかった。そして別段、悲しい気持ちでもなかった。淡々とこなすように、ここまでやって来た。有馬の頭にはかつての約束を果たそうという思いと、これを契機に過去を清算しようという思いとがあり、バスの中、見知らぬ町の過ぎ行くのを眺め、それから車内を見渡し、息を一つ吐いた。有馬を含めた三人の乗客のうち、余所者は自分だけに思え、外の景色と相まってか、遠くに来たのだという実感が急に湧いた。
有馬優人は現在東京の大学に通う学生である。自由で束縛の少ない大学生という立場であり、普段よりアルバイトに精を出し金銭的に余裕があったため、十二月の頭、さして連休があるわけでもないこの時期にこうして遠出が出来た。研究室に配属されたら盆と正月を除いて休みが取れないという話を聞き、ならば今のうちにという思いに駆られて、二日後には東京のアパートを飛び出したのだった。
有馬はよく他人から、流されやすい性格だという評価を受けた。頼まれて断ることは少なく、面倒な役割もそれなりに取り組んだ。自然、そういう話は有馬に投げるということがしばしばだった。
川澄咲々は、そんな有馬のことをよく叱った。
「駄目じゃん、優人くん。嫌なときは嫌って言わないと」
有馬は何も言わずに頷いていたが、心の中には反論があった。彼は嫌なことは嫌だと言う。言わないのは、つまり嫌ではないからなのだ。苛められているだとか、人から不当に扱われているだとか、そういう事態ではなかった。だから彼は何か厄介事を押し付けられても、出来るだけ応えようと努力していた。自分が承諾しなければ、話が拗れたり、解決に時間がかかったり、いざこざが起こったりするのだ、だったら構わない、そういう思いがあった。
「面倒臭い生き方してるのね、私はそんな優人くんが好きなんだけど」
咲々に告白されたときに断らなかったのも、有馬のそういった性格のためだった。
川澄咲々は、誰にも物怖じすることなくずばずばと物を言い、笑いたいときに笑い、怒りたいときに怒る、自分に正直な人間だった。責任感も強く、天文学部の部長やクラス委員、文化祭の実行委員などを務めたのは、有馬とは違い率先してのことだった。
兎に角エネルギに溢れ、少数の敵と多数の友人との中で輝いているように、有馬には見えた。
二人は高校二年生のときに同じクラスになり、いつも通り立候補した咲々と、いつも通り押し付けられた有馬とがクラス委員になったときに交流を深めた。二人は結局一年を通してクラス委員であり続けた。やりたがった咲々と、嫌がらなかった有馬と、やりたがらなかった他のクラスメートの意思が合致した結果だった。
「優人くんはもっと自分の意見を言うべきだと思う」
「優人くんは自分が損をすればそれでどうにかなると思いすぎている」
「優人くんは優しすぎるんだよ、色んな人にさ」
咲々はよく有馬にそう苦言を呈していた。そしてその後は決まって、
「私はそういう優人くんが好きなんだけどね」
と付け加えた。
夏が終わり、間も無く秋風が冷たく吹こうかという時期に、咲々は有馬に告白をした。委員の仕事のために、二人きりで教室に残って作業をしているときだった。
「ねえ、優人くんは私のこと、好き?」
「好き」
「良かった。私も優人くんが好きだし、優人くん私を好きだって言ってくれた。だからもう、付き合うしかないよね、私達」
有馬はただ頷いて、それを見た咲々は満足げに笑った。有馬と咲々はその日から男女交際を開始した。
バスは駅に到着したのを合図に、有馬は思考を過去から現在に戻し、バスを降りた。
辺りを見渡して、寂しいところだ、と思った。高い建物もなく、五月蝿い音が犇めいているでもなく、ただ風の吹きすさぶのと、初老の二人組が何事か話しているのとが聞こえるばかりだった。想像よりもずっと冷たい印象を受けた。
東京から来たから余計にそう感じるのだろうか、もっと南に行けば、少しは賑やかになるのだろうか。
あるいは、咲々のことを思い出したから、こんなに寂しく感じるのだろうか。
座り込んで犬を撫でる男の横を通り過ぎ、有馬は駅構内に入っていった。