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ひとまず近くの本屋で難を逃れることにした。
雨水を垂らしながら店内に入るのはなんだか申し訳なかったがここは勘弁してもらいたい。
「いらっしゃい」
近くで店員の声がする。しかし俺の目に映るのは雨のしずくのみである。
声から察するに俺とは同年代。つまりは20代前半くらいの男だと思われる。
「大変そうだね」
「御察しの通り」
なんだかなれなれしい店員だなと思いつつも親しみやすい印象を受ける感じだった。なんというか同級生とでも話しているような雰囲気だ。
「僕が見たところそれでは視界が不自由だと思うのだが」
「それも御察しの通り」
「それじゃあ拭いてあげよう。貸してごらん」
男は俺のほうに近づき、メガネをとると親切にもレンズを拭いて掛け直してくれた。
俺の視界は一気に開け、その場の情報が鮮明に入ってくる。
男は俺の思った通り同い年ぐらいの青年だった。
茶髪で癖のある髪。耳にはピアス、手には指輪となんだか今を生きる自由人といった感じを思わせる。
「すまない、助かったよ」
「いや、いいんだ。あいにくの天気で客もいなくてね。暇だったんだよ」
「そういえば」
辺りには俺たち以外誰も人がいなかった。
「何で誰もいないんだ。別に雨だって俺みたいに雨宿りで来る人もいるだろう」
「そう不思議なことじゃないよ。ここは特別な場所だからね」
「特別な場所?」
「ああ。君にとっても、僕にとってもね」
そう言うと男は一冊の本を棚から取り出し俺に差し出した。
タイトルは「至福の贈り物」とある。見たことのない本だった。
「これは君がなくした本だ」
男は奇妙に微笑んだ。
俺には彼の言っていることが理解できず首をかしげたが気にせずに男は続けた。
「本は読むたびにその人の何かの思いを与える。しかしそれは人さまざまだ。たとえばこの本が悲しい話であるとする」
「俺はそういう本はあまり好みではないな」
「どうかな。印象は人それぞれだ。例をあげよう。主人公には恋人がいたがある日不慮の事故でこの世を去ってしまう。悲しみにくれる彼に一人の女性が現れ彼に光を与えた。彼はその女性に引かれ人生に絶望することなく新たなる道を歩き出したのだ」
「ハッピーエンドってやつか?」
「そうかな。僕はこれを読んだとき彼女は魔女なのではないかと疑ったがね」
「魔女? 今の話にそんな感じの事はなかったと思うが」
「そう、だからこそ想像力をかきたてられその真相を勝手に妄想する。君はその後を幸せに生きる彼を想像したんだろ」
「当たり前だ」
「いいや、当たり前ではないよ。僕はすべて彼女の陰謀だと思うけどね。彼女は彼の恋人を事故に見せかけ殺害し、精神的に弱った彼の心に付け込んだんだ。彼女の思惑通り、彼は自分に恋焦がれ愛し合った。果たしてこれはハッピーエンドなのかな?」
「考えがひねくれすぎなんじゃないのか? もう少し物語を真っ直ぐに受け止めることも大事だと思うぞ」
「だから言っただろ。人によってその話の印象は違ってくる。そしてこの本はそんな君にピッタリの本だ」
「初対面なのにそんなことまでわかるのか」
「ああ、わかるとも」
「……変わったやつだな」
「よく言われるよ。この本は君に貸そう。感想を聴かせてほしい」
俺は男から本を受け取ると適当にカバンへしまった。
それを見た男は満足げな表情を浮かべると再びレジに戻り一冊の本を読みだした。
「そろそろ雨がやむ頃だ。僕は本職に戻るとするよ」
「そうか。邪魔したな」
「言い忘れていたが君のポケットに入った紙にはちゃんと目を通した方がいいと思うよ」
「紙?」
そう言えば先ほど広告らしきものを貰ったのを忘れていた。
男に言われたとおり内ポケットから紙を取り出し、改めて広げてみる。
そこには“正社員緊急募集”と面接会場の地図だけが書かれていた。
そしてその開催時間はというと
「あと30分しかないじゃないか!」
急いで本屋を飛び出し、俺は会場へと入って行った。
雨はやんでおり、さっきまでの影響で道には誰一人、人がいなかったが今の俺には都合がいい。
そして会場に着いた頃には俺の何かが変わっていたのだ。