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雨が降ってきた。
小さな雨粒が俺のシワのついたスーツを弾く。
しかしそれもつかの間。空はみるみる曇天と化し、雨粒はどんどん大きくなって土砂降りとなった。
不運にも雨をしのげるものを持っておらず、されるがまま、俺の体は見る見るうちにびしょ濡れになった。
同時にメガネも一瞬で濡れた。それは俺の視界が乙っていることを示している。
なにもみえない。
こういうときにワイパーが欲しいと思うのは俺だけではないはずだ。
いつかそんなメガネが出ることを願っています。本当に。
理想のメガネを頭に思い浮かべながら俺は己の根城へと走った。
ピシャピシャとアスファルトの水たまりに足を突っ込み、傘を持たぬものはみな己が家へと足を進める。
雷も鳴りだしたせいか、余計に人々の足音が早くなっている気がした。
もちろん俺もその一人であり、辺り構わず無我夢中で走っている。
と、不意に道中立ち尽くしている少女が目に入った。
よくは見えないがこんなところで止まっていたら大事に至ることは明白だ。
それでも普段なら無視するところだが不思議とその少女からは何か感じるものがあった。
それが何なのかは分からないが下手な下心というわけでもなさそうだ。
とりあえずその子に話しかけてみることにした。
「こんなとこ立ってっと危ないぞ、お嬢さん」
あちらもこっちに気がついたようで俺に視線を合わせる。
少女の瞳は澄んだ藍色をしていた。あまりにも綺麗なその瞳にはなんだか今にも吸い込まれそうな錯覚を起こした。
「御忠告どうも。おにいさんの方こそ、そんなしてると風邪ひくよ」
「はぁ、そいつはどうも。んで嬢ちゃんはそんなところでなにしてんのよ」
「お気になさらず、大したことではございません。これをあなたに渡せばすぐにでもこの場を立ち去るつもりだったので」
そう言って少女は一枚の紙を俺に差し出してきた。
受け取ってその内容に目を向けるがあいにくの視界で文字を読むことができなかった。
どうせなんかの広告だろうと俺はその紙をたたんで内ポケットに仕舞った。
「これでいいんだろ?」
「ええ、ご協力感謝します。それではまた明日。お待ちしてますね」
不敵に笑った少女はそのまま俺とは逆の方向へと歩き始めた。
「……? おい、また明日ってどういう――」
しかしふり向いた先には少女の姿なのなかった。まるで始めからいなかったかのように。
周りの人たちは路上に立ちつくす俺を目障りそうに睨みつけている。
「なんだったんだいったい……」
俺の頭に残されたのは“?”の山だった。
などと言っている場合ではない。俺はぐっしょり濡れたスーツを見て再認識した。
いつまでもこんな格好でいたらそれこそ風邪を引いてしまう。
「へ、へ、ぶえっくしゅっ!」
いや、既に手遅れかもしれない。