第26話 揺れる髪のその先にあるもの(前)
フェイが正気に戻ったが、未だ風は吹き荒れていた。
由岐とフェイはお互いを見つめたまま、動かなかった。
「主っ!正気に戻ったのなら早くこの風どうにかしてくださいよっ!!」
フェイが正気に戻ったことで、多少は吹き荒れる風も弱まっていたらしい。
少し離れた場所から非難めいた声が聞こえてきた。
リーだった。
由岐は現状を思い出して、慌ててフェイから視線と自分の手を取り戻す。
フェイはとても不満そうに離れていってしまった手を見ていた。
「フェイ様!」
畳み掛けるようにまた名前が呼ばれる。
ローだった。
苦虫を噛み潰してしまったかのような顔をして、盛大にため息を吐く。
興味深そうに由岐に見られていることに気付き、フェイは表情を取り繕う。
スッと手を上げて、下に降ろす。
『鎮まれ』
フェイの言葉に従い、縦横無尽に吹き荒れていた風が徐々に治まっていく。
風に振り回されていた聖堂に飾られていた花などの装飾品も風に運ばれてゆっくりと床に降ろされる。
ドスンッ!
「ギャッ!?」
「スタンリー様っ!!」
スタンリーだけはそのまま下に落とされて悲鳴を上げる。
落下場所には誰も下敷きなら無いように配慮がされていたが。
心配そうに見上げていたセイドも慌てて側に寄る。
「…うわぁ」
「どうかしたか、ユキ?」
「…ううん。…なんでもない」
一連の騒ぎの終息を見ていた由岐は、ついついスタンリーの扱いの差に声を上げてしまう。
なんとも思わないのか、フェイが不思議そうに由岐を見たのが印象的だ。
そっと目を逸らす。
逸らした目線の先に、リーとローが近寄ってくるのが見えた。
「主」
「フェイ様」
2人はジッとフェイを見て、怪我などないか確認しているようだった。
(いやいや、フェイよりスタンリーじゃない?)
心の中で由岐は突っ込みを入れる。
心の中での発言だったので、そのままリーとローの怪我確認は止まらず、フェイも従者2人のしたいようにさせていた。
「どうなることかと思いましたよ」
「本当に」
「すまなかった」
「まぁ、怪我が無いならいいです」
「怪我が無い様で何よりです」
「…」
確認も終わって、2人は表情を緩めて思い思いにフェイに声をかける。
由岐は無言だ。
(すごい過保護だ…ていうか、孫をべろんべろんに甘やかすおじいちゃんとおばあちゃんレベルのような気がする。フェイの慣れたようなあの態度…ぜったいあれがあの2人のスタンダードだよっ!500円賭けてもいいよ!)
外見上だけ。
しかし、目は口ほどにものを言う。
思った以上に、目で語ってしまっていたようだった。
さすがに由岐のもの言いたげな視線に居心地が悪くなったようで、フェイが2人の間を抜けて近づいてくる。
2人はその後ろに続く。
「ユキ…そんな目で見ないでくれ」
「?」
本人無自覚だったようで、首を傾げられる。
その仕草についフェイはときめく。
後ろについてきた2人には、背中しか見えないのでそんなフェイの気持ちの変化は分からない。
リーがフェイの右側に並ぶ。
ローが左側だ。
リーが笑って口を開く。
「やっぱり効果抜群だったわね」
「ええ?」
「主に言ってくれたんでしょう?“戻ってきて”って」
「あ…はい」
あの時の自分の頼りない声を思い出し、恥ずかしくなる。
リーはそれに気付かす、由岐の前に手を差し出す。
「本当にありがとう。助かったわ。私の名前はリーイン・ウィズサーナリー。よろしくね!」
「!…ユキ・シキガワです。こちらこそよろしくお願いします!!」
「うんうん。あと反対側に居るのが―」
「ローウェン・ウィズサーナリーと言います。この度は大変ご迷惑をおかけしまして…」
「いえっ!こちらこそ助けに来てもらって助かりましたからっ」
深々と頭を下げるローに慌てて体の前で手を振る。
会って間もない他人である自分を助けに来てくれたのだから、感謝の気持ちしかない。
お互いに頭を下げ続けるローと由岐に、終わりは見えないと判断したリーがフェイに目配せする。
それを受けたフェイがローの背中に手を当てる。
「うぎ…」
「?…あの」
「い、いえ何も…」
一瞬なんともいえぬ顔をして固まったローに、由岐は何事かと窺う。
すぐ笑顔に戻り、なんでもないと頭を振られたので、それ以上の追求は差し控える。
ちょうどリーから声をかけられて、疑問は放置されることとなった。
「ユキ、気分は悪くない?」
「え?いえ、大丈夫です」
「そう…それ、思い切ったわね。とても綺麗な髪の毛だったのに」
「あ…ははは…。大丈夫ですよ。また伸びますから」
「――その思い切りの良さ、嫌いじゃないわ」
「!ありがとうございます」
「主が選ぶだけあるわ」
「え?」
最後の言葉だけポツリと零す。
由岐にはリーが何を言ったのか分からなかった。
リーは笑みを浮かべるだけで答えなかった。
和やかな場面はここまでだった。
殺気に満ちた視線が和やかな雰囲気をぶち壊す。
由岐たちが話している間に、外に配備されていた者たちも聖堂の中に入ってきていたらしい。
守られるような形で真ん中に立つスタンリー。
本人的には大将のつもりなのだろうが、如何せん、風に振り回されて髪も服もぐちゃぐちゃで、戦う男たちの逞しい体に囲まれている姿はどう見ても、間違って紛れ込んでしまったピエロにしか見えない。
セイドが少しでも身だしなみを整えようと奮闘しているようだが無駄だろう。
「貴様ら…覚悟は出来ているだろうな」
「お前こそ覚悟は出来ているのか?」
「何のことだ?」
「オレの元からユキを拉致していったことについてだ。言わなければ分からないとは馬鹿なのか?」
「何をっ!?」
「フェイ様、本当のことだとしてもそんな風にはっきり言ってしまうのは感心しません」
「先越されたな。ローのくせに…。でもその通りですね。こういう場合はもっと相手を一発で抉るような言葉を吐いてあげなければなりませんよ」
「…全然違う」
(漫才トリオなのかしら…)
どうにもシリアスにならない状況に、由岐は感心する。
しかし、由岐は気づいていない。
自分が突っ込み役になりかけていることを。
今のところは脳内だけのことではあったが、近いうちに違和感なく3人組の輪の中に入ってしまうことだろう。
知らぬうちに突っ込み役で自分の地位を築きかけてしまいそうなのを知らず、フェイの背中に庇われたまま、事の成り行きを傍観していた。
「あまつさえ、合意も無く誓約の儀に望むとは何事か。ファライゲラ家の名が聞いて呆れる」
ハッと鼻で笑う。
目に見える形で馬鹿にする。
みるみるうちに怒りに顔を赤黒く染めていくスタンリー。
「き、貴様…家名を侮辱するつもり――」
「違うだろうが。お前が家名に泥を塗っているのだ」
「泥をてんこ盛りにぶっ掛けた挙句に」
「踏みにじってますね」
(容赦ないなぁ…ていうか、やっぱり似たもの同士なのね)
フェイの言葉にすかさず合いの手を入れる2人組み。
冷静に分析しながら由岐もフェイの言葉を否定しない。
ますます不穏になっていく聖堂内。
フェイたちに守られている由岐は特に不安を感じることは無かったが。
聖堂内と言えば、たくさんいた来賓たちはどうなったのか。
ふとそう思って周囲に視線を巡らせる。
由岐の視線の先には空いた空間。
大多数の人が居なくなっていた。
(多分、フェイが風を鎮めてからみんな我先にと避難していったんだろうな…。でも全員ではない…感じ?ちらほらと残っている人たちが居るけどあれは…)
残っている者たちを観察する。
全体的に年齢がスタンリーに近い若い者たちだ。
面白そうに見ている者。
スタンリーと同じように怒った顔の者。
どうしたらよいのか分からずといった者までその場に居た。
今聖堂の中に残っている貴族たちは実はスタンリーの取り巻き達。
今後の付き合いもあるからなのか、彼らは一様にこの場に留まっているのだった。
由岐にはスタンリーとの関係など皆目検討がつかなかったが。
聖堂内に視線を巡らしている間にも怒りが頂点に達したスタンリーが唾を飛ばしながら怒鳴り散らしていた。
その姿に上級貴族の威厳など欠片も無く、口を開けば開くほどに自分の底の浅さを見せてしまっている。
本人はそんなことに気付いていない。
(もう口閉じた方がいいと思う…)
心の中で助言する。
フェイたちも呆れ顔だ。
どれだけ怒鳴り散らしても答えないフェイたちに、スタンリーの方が限界に近かったようだ。
「もうよいっ!この無礼者どもを捕らえよ!!貴族に逆らう者がどうなるか教えてくれるっ」
「…気が短いな」
「趣味おかしいし」
「よく見れば足が短いですね」
「っ!!!?」
すかさず火に油を注ぐ行為を実践する3人組に由岐の口からは乾いた笑いしか出ない。
しかし、それどころではない。
もう言葉にならない言葉を喚きながら、スタンリーが周りを固める男たちに命令していたのだ。
フェイの起こした風のことがあるからか、男たちの動作は慎重だ。
じりじりと由岐たちを囲むように向かってくる。
「ロー」
「お任せください」
そんな中、フェイたちの言葉はこれだけだった。
一歩前にローが出る。
フェイは悠然と立っている。
リーは違うところからの不意打ちを警戒しているのか、周囲に気を配っている。
ちなみに、由岐はフェイの背中を見ていた。
背中で揺れる髪の毛をみつあみにしたいと密かに思って、緊張感のない自分に笑いがこみ上げるのだった。
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