第24話 救いの神はこんなに…凶悪?
「…許さん」
少年期特有の高めの声。
しかしこの時、声は限りなく低く、語尾が揺れていた。
由岐は声の主を思って、振り向く。
そこには、視線を床に向けているあの少年の姿があった。
少年の視線は床に散らばった由岐の髪の毛を見ており、動かない。
「あの…?」
少年の雰囲気がおかしいことに気付いて、近づこうとする。
しかし、それは適わなかった。
「ファライゲラ家の…馬鹿息子が…オレを怒らせるか…」
抑揚の欠けていた声が怒りに満ちていく。
声に乗せられた怒気が伝わってくる。
聖堂に集まった貴族も神父も警備の者も動くに動けない。
少年を中心にして、突如突風が吹き荒れた。
聖堂の中は一気に悲鳴の坩堝へと変わった。
人々は風になぎ倒されていく。
出入り口になる扉はきっちりと閉められており、聖堂の外に逃げ出すこともかなわない。
「フェイ様っ!」
「主っ!!」
暴風と化した風に煽られながら2人の男女が暴風の中心に近づいていく。
由岐はその2人組みに見覚えがあった。
男は、少年に付き従うように居たのを憶えている。
女は、泣いていた自分を宿屋に連れて行った。
その場に縫い付けられたように突っ立ていた身体を無理やり動かして、2人に近づく。
男の方が由岐に気付き、足を止める。
「あなたたち…」
「昨日振りです!挨拶している暇がないので、申し訳ありませんっ!」
挨拶している暇は無いといいながらも、2人組みの男のほうが丁寧な言葉をかけてくる。
「ロー、早く手伝えっ!」
2人組みの女の方が怒鳴る声が聞こえてきた。
それに男は慌てて踵を返す。
由岐は思わず男に付いて行く。
「何か手伝えることってありますか?」
少年の怒りは、自分が先ほど起こした出来事が原因だと思ったのだ。
どうしたあそこまで怒ってしまったのかは分からなかったけれど。
聖堂に吹き荒れる風に翻弄されている人たちも気になる。
由岐はジッと男に視線を注いだ。
「では…お願いしても?」
「はいっ!」
一瞬の逡巡後、まっすぐ由岐を見つめて、男は口を開いた。
それに力強く頷いた。
由岐にはこれを止めなければならないという使命感が湧きだって来るのを感じた。
理由は分からない。
けれども、由岐は心の声に従う。
「では、『フェイ』…と彼の名を呼んであげてください」
「へ?」
「『私の元に帰ってきて』と付け足してくれるとなおいいかもっ!」
「ええっ!」
いつの間にか後ろに立っていた女が付け加えてくる。
2人の言う言葉が何の助けになるのか分からなかった。
戸惑う由岐の肩に手をかけて、女は言う。
「あなたにしか出来ないの。やってくれるわよね?」
強い瞳。
逆らえないものを感じる。
そして最強の言葉。
『あなたにしか出来ない』
(…これって殺し文句だよね)
由岐は女の瞳を見返す。
女は満足そうに笑った。
「私はリー。あいつはローって言って、私の片割れ」
簡素に自己紹介をしてくる。
なので、由岐も口を開く。
「私は―」
「待って。あなたの名前は後で聞くわ。主に先に教えてあげてちょうだい」
「主?」
「そう。主―『フェイ』様にね」
彼女は謎めいた笑みを最後に、その場から離れていった。
由岐はその笑みに、少しの間その場に突っ立っていたのだった。
由岐は2人組み―ローとリーの側に近づく。
2人は風に煽られながら少年―フェイの側に行こうとしていた。
「あの」
「は、はい」
それ以上は近づけないのか、立ち止まって何事かしているローのところへ行った。
どうもナイフの先で、床に何か書いている様に見えた。
「あの私…」
「はい、あなたはフェイ様の近くまでいけるはずです。側まで行って呼びかけてあげてください」
「え…!む、無理です!あんなに風が吹き荒れるところ行けませんよ!!」
「気付いてないの?」
「はいっ…?」
ローがこともなげにフェイの側に行けと言う。
由岐は驚いて手を身体の前で振る。
フェイの側はそれこそ強風が吹き荒れているのか、彼自身が全て見えないほどなのだ。
そんな場所に近づいて、無事でいられるとは思わなかった。
否定する由岐の背後から声が聞こえてきて固まる。
振り向けばまたリーが居た。
「あなたと私たちの違いに、本当に気付いてないの?」
再度リーに言われて、由岐は考え込む。
答えは見えてこない。
考えている時間も惜しく思ったのか、リーが口を開いた。
「見て分かるように、私もローも立っているのに精一杯。――ねぇ、あなたはどうしてそんなにこともなげにそこに立っている?」
言われて気付く。
確かに今聖堂の中で立っているのは由岐とリーとローだけだった。
それも、2人は時々風に煽られて身体が揺れる。
揺れる身体を支えるように、身体に力が入っているのが分かる。
由岐は自分の身体を見下ろす。
これといって力を入れず、いつものように立っている。
「―どうして?」
「そりゃあ、主…フェイ様にあなたを害す気持ちはないもの。あなたを守りたい気持ちはあってもね」
「え?」
「フェイ様はあなたを傷つけない。傷つけられない…なので、側に行っても大丈夫です」
「…」
「主もひどいわ〜。私たちも守ってくれたらいいのに」
「俺たちはフェイ様を守るために居る。守ってもらってしまったら、もう従者とは言えない」
「分かっているわよ」
由岐を置き去りにして2人の会話は進む。
「それにしてもここに来るまでよく保ったなぁと思っていたんだけど、最後にこれじゃあ…ね」
「確かに…フェイ様にもガス抜きが必要だったのか…しかし、自分で気分転換されていたような…」
「そうねぇ…ま、多分ところどころでガス抜きしても結果は一緒だったんじゃない?」
「だろうな」
風に煽られながら、よく会話をするものだ。
由岐は何とはなしに聞いていた。
しかし、そんな悠長にしている訳にもいかないのだ。
聖堂のいろんなところで人の悲鳴が聞こえてくるのだから。
「あの」
「はい?」
「じゃあ…私は彼の―フェイの側に行って、名前を呼べばいいんですか?」
「はい。お願いします」
「そうそう。それから早く元に戻ってくれるように伝えて」
ローが生真面目に返して、リーがにっこりと笑う。
由岐には自分の呼びかけでフェイが正気を取り戻してくれるかは自信がいまひとつ無かったが、従者である2人組みに言われてしまえば、拒む理由も思いつかない。
しかも、由岐だけがリーいわく、この暴風から守られているのだから。
自分が行くしかないと心を決める。
周囲を見回せば、飾られていた花は宙を舞い、それどころか気付けばスタンリーが風に振り回されているのを見つけてしまった。
整えられていた髪は風に煽られて凄いことになっている。
服も同じだ。
そして、そんなスタンリーを助けようと、強風に倒されながらもセイドが手を伸ばしている姿まである。
「うわぁ…」
聖堂に広がる光景を見ながら、本当にこの世界はファンタジーだと思う。
そして、この世界にきて初めて会った少年の力にも驚く。
自分を救いに来てくれたことは百も承知だったのだが、この状況を見ているとなんと言ってよいのか分からない。
招待されてこの教会に来た者たちが大半だ。
彼らもこんな事件に巻き込まれることなど予想もしてなかったことだろう。
彼らこそ守られる…助けられるべきではないだろうか。
しかし、現在聖堂の中で荒れ狂う風から守られているのは由岐1人。
フェイの元へ近づきながら由岐は思う。
攫われた姫を颯爽とヒーローが助けに来る物語。
単純明快なものだけど、だからこそ大衆に好かれる。
だが、これはどうだろうか。
今、暴風の中心にいる人物は確かに由岐を探して助けに来てくれた。
しかし、周りの状況は由岐をそんな甘酸っぱいような気持ちにはしてくれない。
由岐はため息をひとつついた。
「救いの神はこんなに…凶悪なものなのかしら?」
読んでくださった方、ありがとうございます!