第11話 これって現実?
「―――」
男が喋り始めて早1時間が経とうとしていた。
由岐は呆れるのと同時に、感心していた。
(よくあれだけの美辞麗句を並べ続けられるなぁ…)
男から延々と聞かされる美辞麗句を聞き流しながら、そっと視線を外す。
(本当に、ここは何処なのかしら?)
美辞麗句の合間に聞き取れた話を総合すると、由岐は宿屋をいつの間にか抜け出し、外の路地で倒れていたらしい。
それをこの男が発見し、この屋敷に連れてきたとのことだった。
(…宿屋を抜け出した記憶なんて無いのだけど。疲れて夢遊病患者みたいな行動に出たとか?)
自分の行動に疑問が出てくる。
生まれてから16年。
そんな行動にでたことは無いはずだ。
でも現実には寝ていた部屋を出て、廊下に出たとこまでしか記憶に無い。
自分の行動に不安が募る。
考えに没頭しようとした由岐を現実に引き戻したのは、目の前で喋っていた男だった。
「お嬢さん?」
「え?」
「あなたのお名前をお聞かせ願いたい。ちなみに私の名はスタンリー・ドリード=ファライゲラだ。ぜひスタンリーと呼んでくれ」
歯をきらめかせながら、男―スタンリーは由岐に笑いかける。
その笑みにちょっと身体を引きながら、由岐は口を開いた。
「し…ユキ・シキガワです」
スタンリーの名前を聞くかぎり、ここは名前を先に言うのが妥当だろうとあたりをつけ、自分の名を告げる。
引きつった笑いと共に。
「あの…倒れていた?私を介抱してくださり、ありがとうございました」
どんなに男がおかしい感じがしても、助けてもらった?ことに変わりは無い。
母と父の教育の賜物か、しっかりと礼を述べた。
「ユーキ?いい名前だ!」
しかし、スタンリーは由岐の礼の言葉など放置し、由岐の名前を褒め称える。
(ユーキじゃなくて、ユキなのだけど)
文句は口に出さず、心の中で。
これは母に教えられた処世術だ。
物事を円滑に進めるには余計な口を挟まず、適当に笑っていれば大抵のことは上手くいくとのことだった。
母の言葉はある意味正しかった。
「目覚めたばかりなのに、長居してすまなかったね。麗しい君の…いやユーキの姿を見て言葉が溢れ出して止まらなくてね」
ニコニコ
「いつまでも君の姿を見て、話をしたいが、無理をさせるわけにもいかない」
ニコニコ
「今日はゆっくり休んでくれ」
ニコニコ
「何かあれば侍女に言ってくれればいい」
「ありがとうございます」
ニッコリ
由岐の返事と笑顔に満足してスタンリーは部屋を出て行った。
数秒と経たずに、ニコニコと顔に浮かべていた上辺だけの笑みが消える。
「この後どうしたらいいのかしら?」
残念ながら由岐にはあのスタンリーという男が信用できなかった。
言葉の大半は美辞麗句に使われ、由岐の処遇にはこれといって何も言わなかった。
辛うじて話してくれたのは、由岐が路地に倒れていたことと、今居る場所がザラウェイという地名の町ということだけだった。
コンコン
扉を叩く音が聞こえてきた。
「はい」
「失礼致します。湯浴みの準備が出来ております」
扉を開けて入ってきたメイド服姿の女性―侍女だった。
簡素に用件を言われる。
由岐も確かに一度身体の汚れを落としたいと思っていたので、渡りに船といわんばかりに頷いた。
侍女に誘導されるままに、ついて行く。
着いた先にはこれまた形容しがたい湯殿があった。
(どれだけ黄金好き…)
せっかくのお風呂も疲れを取る場所とは遠い存在のようにみえて、ため息が零れそうになる。
侍女に促されるままに、脱衣所に移動する。
由岐が慌てふためいたのはこの後。
さてお風呂に入らせてもらおうと思った由岐だったが、侍女が出て行かないのだ。
あまつさえ、服を脱がせようとしてくる。
「あ、あの、自分で出来ますから!」
侍女の手を遠ざけて、その場からも数歩遠ざかる。
しかし侍女も引いてはくれない。
数分の攻防の後、負けたのは由岐だった。
湯殿の中まで入ってこようとするのだけは断固として拒否したが。
「私は日本人なのよ…」
ブツブツと愚痴りながら、身体を流す。
湯船には色とりどりの花が浮かべられており、甘い匂いが漂っていた。
内装に関しては推してしかるべし。
飾られてある天使の像などを出来るかぎり視界からシャットダウンして湯船につかる。
さすがに湯船につかると、ほっと力が抜けた。
「町並みも人も全然違う」
ポツリと言葉が零れた。
ふと、父や母そして弟の顔が浮かんでくる。
それに伴いとても不安が湧き上がって、涙が頬を伝う。
零れた涙は湯船の中に落ちて消える。
「お父さん」
膝を抱える。
「昂貴」
ギュッと力を入れる。
「…お母さん」
こらえ切れなくて喉が震える。
―由岐、どんな時でも前をしっかりと見据えるの―
「!」
母―離亜の声が聞こえたような気がした。
離亜は何かある事に色んなことを教えてくれた。
聞こえたのはその中のひとつ。
友達と喧嘩して絶交して帰ってきたとき。
昂貴と言い争いになって負けて泣いたとき。
ストーカーまがいの男に言い寄られたときなど。
離亜は様々な場面で、由岐に負けるなと言ってきた。
勝ち負けなどにではない。
不安や折れそうになる自分自身の気持ちに負けるなと。
離亜の言葉の一つ一つが由岐の中に息づいている。
お湯をすくって、顔に打ち付ける。
数秒手で顔を覆ったままの姿勢で固まる。
「…どんなことも自分の気持ちしだい」
顔を覆う手のせいでこもった声を吐き出すと同時に、顔を上げる。
不安に揺れていた瞳は強い意志を灯す。
もし、この時の由岐を見ている者がいたら、由岐の瞳がキラキラと光っているように見えたことだろう。
それほどまでに瞳に力が戻っていた。
これが本来の由岐の姿だ。
「まずは現状を把握しなきゃ」
由岐は、のぼせそうになる一歩手前まで、お風呂につかったまま今後の取るべき行動を考えるのであった。
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