どうぞお慈悲を!~浮遊霊、完璧聖女を演じますので!~
うそ、成仏しちゃうの・・・?!
そう思った私は祈るように縮こまった。視界が真っ白になって何もかもが消えてなくなるのだと、最期の最後に恐怖した。それで終わったはずだった。
「・・・眩しい」
目を覚ます、という動作を自然と行った自分に違和感を覚える。
さらりとした肌ざわり、温かな日の光、まるで穏やかなまどろみの中で朝を迎えたみたいだ。
そんなはずない、と思って暫くぼんやりと考えたが、身体をゆっくりと起こし、瞬きをして眠気を跳ね除ければ、これは現実だと体中の感覚が主張した。頭がはっきりしてきて、周囲を確認すればするほど、何かまずいことになったのでは、と焦燥感が湧いて来た。
私は、浮遊霊を長年やっていたはずだ。
ふらっとビルの中に入ったり、なんだか爽やかな空気を持った人に引っ付いていったりしていたら、いつの間にか迷子になっていた。生前の記憶は薄く、何故こんなところにいるのだろうと薄っすら思いつつも何かを思考する気持ちになれなくて、そよ風に流されるがままでいた。
それが楽で、気持ちが良かったから、それでよかった。
だからその日も暗い空気を背負った女の人へ無意識についていき、公園に入ったのだ。
その公園は行政の手が入っていないのか、古い遊具が置かれたままで、ブランコは鎖であるし回転遊具もあった。だからと言って子供が訪れることもないのか、踏まれることなく生き生きと背を高くしている雑草で埋め尽くされている。それをかき分け、踏みしめながら女の人は泣いていて、私はなんだか心配になった。こんな所で、一人で泣いて大丈夫だろうか、と慰めたい気持ちになった。久々に気持ちが動いて、ようやくその公園がどこか見知った場所であると気づいた。
(ここ、私が死んだ公園じゃないかしら)
そう、考えた瞬間に既に肉体などないくせに、全身が焼けるように痛んだ気がした。声があれば、痛みに泣き、殺してと絶叫したはずだ。そうして眩しい視界に包まれて、あぁダメだ消える、成仏してしまうとだけ思い、意識は絶えた、はずだ。
そうして、私は今、何故か美少女になって鏡の前で突っ立っている。
「・・・私は美少女だった?いや、そんなはずはないわ」
かつての姿形は覚えていないのだけど、美少女だったはずはない。私はなんというか、平凡な女で、そのまま普通の浮遊霊になっていたはずだ。普通の浮遊霊が何かはわからないが、とりあえず生きてさえなかったのだ。
もう一度言うが、意識もまともになく、ふわふわと漂っているだけの無害な幽霊だった。たまに人間の背後に憑いていて、それが確か女の人だった気がするが、その女の人も黒髪の女性だった気がするので、この鏡に映る金髪を靡かせて染み一つない陶器のような肌を持つ美しい少女とは違う。
そもそもこの姿見がある部屋、窓から見える景色は決して日本ではない気がする。ヨーロッパかアメリカかさえ判断がつかない。
ここがどこで、この美少女は誰。
「と、いうことは、私がこの美少女の身体を乗っ取った・・・?!」
まずい、まずいぞ、私・・・悪霊になっちゃったの?!
ムンクの叫びのような状態で私は今すぐ成仏したくなった。なんとかこの身体から抜け出さなくては、流石にそれは罪悪感が湧いてしまう!というより誰かに会ったりしたら誰だお前ってなっちゃうかも!高速回転する思考でそう考えた私はバクバクと五月蠅い心臓を無視して何か情報を・・・!と部屋の中を漁った。
「スマホ!スマホとかないの?!美少女ちゃんツイッターで何呟く子?!」
ていうかツイッターとインスタどっちやるタイプ?!そう思ってベッドの枕やシーツをめくって探すも目的のものは見当たらない。焦燥感でまた死にそう!と私は開けられる場所は次々と開けた。
「み、みつからないぃ~!いや、いい。スマホはパスワード突破できない気がする!次・・・!何この部屋ドレス多くない?!金持ちお嬢様じゃん!」
バタバタとあっちの扉を開き、こっちの扉を開き、あまりの部屋の多さに私は完全に富裕層のお嬢様だと確信を持って、ますます申し訳ない気持ちに飲み込まれた。
この身体のまま暫く凌がないといけないのだとしても、庶民の私にお金持ちは無理だ!
「はっ・・・!書斎?!新聞も!」
飛び込んだ部屋は今までと少し違った落ち着きと重厚感のあるウッド系の書斎で、ようやく美少女以外の誰かと住んでいる可能性が過った。狼狽えた私は息を飲んで周囲を確認したが、誰もいなかった。
ほっと安堵して、机を見ればそこには新聞が一部あり、ようやく何かしらの情報が手に入るとすぐに広げた。英語だと読めないかもな、と心配していたがなんと驚きの・・・何語かわからない文字だった!
「・・・聖女?」
英語でもなく、アルファベットでもなく、読めるはずもない言語で書かれた新聞だったが私は何故かなんとなく理解できた。首を傾げたが、もしかしたら肉体の美少女は読めていたから、私も読めるということだろうか?と一応納得して読み進めた。
しかし、書かれている内容がよくわからない。
まったく覚えのない地名、人名、そして何故かモンスターと聖女の話。冒険者と討伐、政治は教祖様と神官・・・とてもではないが現実の話には思えなかった。
「・・・ゲームの設定とか?」
もしかしたら、本物の新聞ではなくてゲームや漫画のグッズだろうかと思った。
それかジョークグッズ?なんにしても情報は得られなかったと一旦その新聞を置いて、並んだ本と書類へ手を伸ばした。
「魔法の本・・・?なにこれ本棚まで」
背表紙の文字はざっと見ただけでも聖魔法の歩み、教会の威厳、魔法の発展、聖女の心得について、魔法と言語学、そんな当然のように魔法がある前提の、且つなんだか難しそうなものばかりだ。
「・・・コスプレの、撮影現場とか」
それは流石に無茶な設定、と思いつつも現実逃避が止まらない。
ページをめくればめくるほど、きっちりと体系化された魔法の学問が見えてくる。そして本以外に手を出すと、真っ先に出てきたのが宣伝チラシだった。大きな文字で教会への寄付を呼び掛けている。
なんとなく嫌な印象を抱いたそのチラシのど真ん中にはどこか見覚えのある写真が載っていた。カラーではなく、白黒の写真だが、それは先ほど鏡で見た姿だ。息をのんで細かい文字を読んだ。
「慈悲の女神と称されし、今代の聖女マリアンジュ・・・」
要するに今代の聖女は素晴らしい成果を上げているので寄付をするといい、という煽り文句が踊っていたわけだが・・・意味が解らなくて、一旦深呼吸を挟んだ。そして改めて先ほどジョークグッズだと投げ出した新聞を読み直せば、そこには聖女についての煌びやかな美辞麗句と偉大さ、功績、そしてその容姿の美しさが書かれていた。この新聞が真実だというならば、私という聖女が先日海難事故にあった港の人々へ治療と施しを行い、さらに徳の高いお祈りをしたのだと言う。
「いや、いや・・・待って、私は聖女様の身体を乗っ取ったの?」
いや聖女って何って話なんだけど、人々の尊敬を集める聖女は教会の象徴ともいえる存在だって本に書いてあるので、とにかく優しくて優雅で美しい教会のシスターみたいな話でしょ。わからんけど。わからんけど!
「もしかしてマジで魔法があるわけ・・・聖なる魔法って治癒魔法ってこと?いやいやいやいや、私魔法使えるの?どうしよう治療できなくてお前は偽物の聖女だ!本物の聖女様を出せとか言われたら!え、こわ。無理に決まってんじゃん聖女マリアンジュ様戻って来て!浮遊霊の女とか成仏させて聖女さまぁあああ!!!」
あらゆる可能性と妄想がごっちゃになってパニックになった私は床に崩れ落ちながら頭を抱えた。暫く嘆きながら頭の中で本物の聖女マリアンジュ様に語り掛けたものの当然のように反応はなく、どうしようもねぇ・・・と涙目になりつつ身体を起こした。
「と、とにかく・・・!魔法だ!」
ここがどこであるかも知りたいところだが、それよりもまず聖女という役割を求められたときに誤魔化しのきかなさそうな魔法という証明をできなければいけない。
いい加減理解できた。
ここは日本ではないし、たぶん普通の西洋でもない。異世界なのだと。
そうだとして、今の私の状態はなんだ?精神を患ったと思われるだけならまだいい。悪魔憑きだなんて言われて、除霊をすっ飛ばして処刑でもされたらどうする。
私は結局その日ずっと魔法の手引きみたいな本を探して読み漁っていた。
その内容には聖女がいかに素晴らしく偉大な存在か切々と説明されていて居たたまれないやらプレッシャーやらで息切れをしていたのだが、結論として言うと、身体は覚えていたと言う感じだ。
温かで優しい光球が手の中から零れ落ちる。
「こ、これならとりあえず・・・っていうかもう夜なの」
光の輝きが美しく目立つのに気づいてハッと窓の外を見ればすっかり日が暮れていて、夢中になりすぎた!と立ち上がればジンジンと足が痺れる。掌に出した光でその足を撫でれば血流はすぐに正常になり痺れも疲れも取れた。自分自身で魔法の実感をして、驚きと感心に震えた。
「それにしても・・・誰も来なかったな」
幸いにも、というべきだ。
部屋は暗く、静かだ。この魔法の世界には電気はあるのだろうか。
誰も訪ねてこなかったことに安心しつつもどこか不安が渦巻く。
くぅ、と空腹を主張してくる腹に、そういえば食事はどうするべきだろうかと思った。すっかり部屋の探索は書斎で終ってしまっていた。そろそろ台所の一つでも探すべきだろう。
「教会の影響力とかよくわかんないしなぁ」
教会については聖書やらがたくさんこの部屋にあったので、ある程度把握できたが、国と政治といった方面の本はあまりなかった。世界地図のようなものがあれば、この世界についての理解も深まると思うのだが、不自然なほどどこにもなかった。国家機密とかかもしれない。
「ご飯、ご飯、キッチン、キッチン・・・」
まぁそんなことはいいか、と目先の目的を果たそうとすきっ腹を抱えて再び部屋を探索。
この静けさで他人はいないだろうと判断して大胆に一階へも降りた。どうやら一周した感じ私が最初にいた部屋は二階の寝室。一階は広い祭壇らしき場所、食堂っぽい空間、キッチンっぽい場所などがあった。
「地下・・・?寒い!冷蔵庫じゃん!」
キッチンっぽい場所にはピザ釜のようなレンガ造りのものもあって、火をつけないと温かいご飯にはありつけそうにない。どうするべきかと考えていた時、近くに水路が通っていて、辿ってみると地下への階段が傍にあった。そこは食糧庫のようだった。
「とりあえず堅いパンとジャム、牛乳っぽいの確保」
家を漁って本当にゴメンね、聖女様。でも貴方も餓死はしたくないでしょ、なんて言い訳をしてコソ泥の気持ちでこそこそ移動する。
先ほどのキッチンへ戻ってもいいがどう調理するのかもわからないので二階の暖炉があるリビング的な場所へ足を向けた。中々肌寒い、もしかしたらこの世界は冬なのかもしれない。
「・・・火をつけるのも魔法が必要なのかしら」
さて、暖炉の前で食事だと思ったが薪はストッカーがあるが、マッチらしきものが周囲にない。暖炉には鍋がつるされているので、調理などにも使用していたはずだ。
私は首を傾げてペタペタと暖炉のレンガを触った。うぅん、と唸っているとゆっくりと暖炉に施された蔦のような装飾がほのかに光った。
「・・・これって、魔力的な?」
先ほど練習した聖なる魔法とやらを使用する感覚でその装飾を触れば、比べものにならないほどカッと光輝き、同時にぼわっと暖炉に炎が立ち上った。慌てて手を離せば、その火柱も落ち着いた。そうなればそこに広がるのは日本人が一度は憧れる暖炉とソファのあるリラックス空間だ。
「パンと牛乳は温めて~ジャムで食べる。マシュマロとかあるのかなぁ」
キャンプへのあこがれを口にしながら、暖炉の前で三角座りをして食料が温まるのを待つ。
ゆらゆらと燃える炎を眺めながら、なんだか不思議だった。
意識が朦朧とした幽霊の時間は悠久で、こんなにもはっきりと何かを考えているのは、まるで世界が見えすぎているような感覚だ。思考をしすぎて全身が疲労感に包まれている。この感覚も、炎を感じる温かさも、そしてお腹がすくのも、生前を思い出すというよりも、新しく感じる。
「うん?!期待してなかったけど美味しい!ジャムが美味しいなにこれ!」
少し柔らかくなったパンにジャムを乗せて食べれば、甘酸っぱくてたまらない。パンは堅いが十分に食べられるものだ。牛乳に浸して食べるとパン粥として最高かもしれない。何もわからない異世界の食事としては、充分だろう。
(・・・味覚があるって最高)
私、生きてるんだなぁと思うと聖女マリアンジュ様の身体を奪ってしまった罪悪感を押しのけるように幸福感が溢れた。
ごめんねマリアンジュ様、身体を返すその時まで頑張ってマリアンジュ様を演じるから今は許して欲しい。
うつらうつらとしながら私はその日を終えた。
◆
「マリアンジュ!おいっ!マリアンジュどこだ?!」
「ひゃいっ!!すみません!」
大声に飛び起きて、人が訪ねてきたという事実とソファで寝起きの姿である己に冷や汗が止まらなくなる。
(この姿は絶対聖女様じゃない!!)
新聞でも書物でも聖女様は優雅で美しく隙のない女性だった。
寝起きで髪の毛ぼさぼさはまずい!というか聖女様普段どんな喋り方なの?!
やばいとまずいが交互にぐるぐる回ってどうしよう!と焦って身なりを整えようとするが、名前を呼ぶ男性の声はどんどん近くなってくる。家にはいってくるぐらいの親密な関係性なのだとわかって、心臓が握りつぶされるんじゃないかと思うぐらい痛くなってきた。
(私はホラーゲームもお化け屋敷もNGなんだよぉお!!!)
「マリアンジュ!お前いつまでソラを俺に預けたままにしてんだ!」
「しゅみません!!あっっ」
わたわたと迷走して昨夜のパンとジャムを片づけようとしている間抜けな私と、怒鳴り込んできた褐色に銀髪の男の人。お互いに思わず見つめ合って固まってしまう。
鏡にうつった自分の姿を見た時も神々しいと思ったものだが、褐色の男の人も精悍で、銀髪などあまり見たことない配色にどうにも物語の登場人物をみたような現実味のない美形だった。
そして誰だ・・・誰なんだ・・・頼む、マリアンジュ様との関係性を教えてくれ。
「なんでもう暖炉つけてんだ?いや、ていうかつけっぱにするなよ」
「え、えっと・・・寒かったから」
「はぁ?このくらいで・・・」
男の人は顔を歪めて何か言いかけて、押し黙る。私を見つめて眉間に皺を寄せた。疑われている、何かおかしいと思われている。背中がびっしょりと汗で濡れるのがわかる。申し訳ないですが自己紹介から始めて欲しい。無理ですか、そうですよね。
「熱でもあんのか?」
「えっそんなことは・・・いや、そう、そうなの!ちょっと熱っぽくて」
訝しげにする彼の言葉に乗っかって私は熱があると主張した。なので変な言動は許して欲しい、という精一杯の気持ちだったが、彼はなんとも言い難い顔をして頷いた。
「そうか・・・ならソラはまだ預かっててやってもいいが・・・飯は」
「あ、昨日パンとジャムを・・・」
「はぁ?いつもみたいにシスター呼んで飯作らせればよかっただろ、なんだってパンとジャム」
「えっと、その、呼ぶ元気がなかったというかぁ」
はわわわ失言だったかな?!シスター呼ぶって何?!聖女様の特権?!もう黙って置こう、と口を噤んだが不愛想な聖女様って、なんか違うだろ、と考え始めて優柔不断な自分にうんざりとした。視界がぐるぐるとしてくるのがわかる。
冷や汗でびっしょり、暖炉の火で顔は赤く、パニックで心臓がバクバクとうるさくて、眩暈もする。嘘のつもりが、本当に熱が出てきたみたいだった。
「仕方ねぇな・・・」
そう呟いた彼の腕の中から一匹の白い猫がするりと降りて、警戒するように私を眺めた。彼がいうソラ、というのはその猫のことなのだろう。
彼にペットの猫を預けていたというのなら、マリアンジュ様の身体を私が乗っ取ってしまったことで猫を預けたまま放置してしまったことになる。それもまた私に罪悪感を募らせる原因となった。
「えっっ」
彼は心底不本意だと言わんばかりに私の傍にきて、無言のまま抱き上げた。軽々と。
マリアンジュ様の身体が軽いとしたって人一人だぞ、と私は驚いて硬直した。迷いなく寝室へ向かう彼に、やはり相当親しい関係の人なのだろうとわかる。
もしかしなくても恋人か?と当たってほしくない予想に顔が青ざめる。
足元には猫がちょろちょろとしていて、青いマントとフリルのシャツを着ていて可愛らしい限りだが、どうにも厳めしい。
私はベッドに優しく降ろしてもらったので、出来るだけ聖女らしい微笑みと口調を意識して御礼を言った。
「ごめんなさい、ありがとう」
「・・・は?」
彼には妙な顔をされた。やはり何か間違っているらしい。申し訳ありません、とかだったかな、お礼の前に謝罪をいれるのは日本人すぎたか・・・あぁ~無理です無理です誰か聖女マリアンジュ様が喋っている動画ください。
絶対怪しまれているが微笑みを絶やすな私、と頑張っているとため息とともに、もしかしてすげぇ熱高いのか?と額に手を当てられた。やめてください本当は熱が出ているわけじゃないのがバレます。彼も首を傾げてよくわからない、という顔をした。
「とりあえず俺は教会行って飯を貰ってくるから大人しくしとけ」
そういってさっさと立ち上がって部屋から出ていった。ようやく肩の力が抜けて、深呼吸とともに背中が丸まってしまう。このまま熱だから、と誰にも会わずベッドに籠城しようかと思ったあたりで視線を感じた。
恐る恐る視線をやれば、ソラという猫が部屋の隅にある高い棚の上からジッと私を観察していた。警戒心の強いその視線はまるで家に上がり込んできたエアコン業者を眺めるようだ。
「そ、ソラちゃん・・・?」
名前を呼んでみるが、猫はびゃっと毛を逆立ててこちらを睨んでくる。その姿はとてもではないが飼い主に懐いている様子ではない。
(これは、野生の勘で別人だってバレてるのでは・・・)
さっきの男の人にしろ猫にしろ、次々と私に試練が起こっている気がする・・・。
流石に猫は言葉を喋ったりしないよね。ならコイツ別人です!変質者です!という告発はないだろう。それはそれとして猫に嫌われるのはとても辛い。餌とかで懐柔できるかな・・・。
「猫まで美形・・・可愛い・・・」
私を観察する表情は険しいものの白くてふわふわとした長毛種の猫のようで、種類に詳しくはないが、ラグドールなどの大型の猫に見えた。くりくりとした目が美しくて、聖女マリアンジュの瞳とお揃いの青色だと気づいて、ペットとセットでいればそれは完璧な絵になるだろうと思った。
触らして欲しいな~とソラを眺めていると、ノックがされて反射的に返事をした。
先ほどの男の人かと背筋が伸びたが、女性の声だった。
「クレイド様から熱があるようだからと言われましたので粥を持ってきましたよ」
そう言って湯気のあがる皿とティーポットの乗ったトレイをサイドテーブルへ置いてくれる。それなりに空腹だったのか、オートミールのミルク粥らしきものは物珍しく美味しそうな香りだった。
「ありがとう、わっ美味しそう」
真っ白いシスター服と言った恰好の年配の女性で、私は穏やかそうな彼女になんだか警戒心が湧かず、つい気軽に喋ってしまった。内心ではクレイドって誰だ、あの男の人か・・・?なんて考えていたのでうっかり余計なことを言ってしまった。
「・・・あらあら」
「あっ・・・何かおかしかったかしら」
「いえいえ、いいんですよ。お淑やかなお仕事モードの聖女さまも結構ですが、我々身内にはそれぐらい肩の力を抜いていても結構ですよ」
優しくそう言われて、私は首を傾げたがまるで幼い子供を眺めるような慈母の眼差しに羞恥心がじわじわと湧いて来た。おそらく先ほどのご飯にはしゃぐ姿は幼子のようだったということだろう。
(・・・お淑やかに、お淑やかに・・・)
スプーンを片手に小さい一口で粥をいただく。当然だが女性は特にこちらを観察する様子もなく簡単に紅茶をいれてくれ、他にご入用のものがありましたらクレイド様に言ってくださいね、明日また様子見に来ますね、といくらか声をかけてくれて、そのまま部屋を出ていった。おそらく教会に戻ったのだろう。
「ふぅ・・・改めて、いただきまーす」
緊張で味がしなかった一口をなかったことにして、私は手を合わせて再び一口食べた。正直食べなれない味だが食感がしっかりしていて、何より牛乳に甘味が合って美味しい。なんでも食べられる性質だとわかっていたが、異世界なのでまったく見覚えのない料理とか食材になるかと思っていたので、美味しく食べられることに心底安心した。
「ここも教会の敷地なのかなぁ・・・」
建物自体は別な気がするが、呼びつけられる程度の距離に教会があり、聖女の立場だと神官やシスターへ用事をお願いできるらしい。暖炉のように魔法を使う道具も多いと考えるとお願いできるのは有り難いことだ。
「あ・・・ソラちゃんのご飯」
皿を空にしたタイミングで視線を感じて見上げれば未だ微動だにせず警戒しているソラを見て、私は自分だけご飯を食べて猫のご飯忘れていた、と気づいた。しかし猫の餌なんてどこにあるんだ?と悩む。
(さっきのシスターに聞いとけばよかったー!ていうかクレイド様?はどこ行ったんだろ)
飼ってる猫の餌なんて飼い主である私が本来知ってるべきだけど!
私は香箱座りで見下ろしてくるソラを見上げて、猫自体が知ってたりしないかな、とお願いしてみた。
「ソラちゃん、自分の餌があるとこわかる・・・?」
当然喋らないものの、どこか理知的なその猫はのっそりと動き、軽やかな動きで棚から降りた。私は抱きかかえようかと腕を出していたが、綺麗に無視をされて、仕方なく手ぶらで後をついていく。迷いのない足取りで一階のキッチンへ向かう辺り相当頭が良い。
「あっクレイドさ・・・ん」
キッチンへ入ってすぐのところに小皿と袋をもった男性がいて、既にその時彼がきっとクレイド様だろう、と思っていたのでつい、呼びかけてしまった。だがもしも恋人なら様付けはおかしいか?と微妙に誤魔化した尻すぼみな語尾となり、そのせいでまた妙な顔をされた。
「・・・熱あんならウロウロすんなよ」
「すみません、ソラちゃんのご飯って思って」
おそらく彼が持っているものがソラの餌なのだろう。ソラは彼の脚に身体をすりつけ甘えた声を出した。クレイドもそんなソラに慣れた様子で待て待て、とどこか柔らかい声で撫でていて、預かっていたというより本来の飼い主はこっちなのでは、と勘ぐってしまう。
飛び掛かって皿を覗き込もうとするソラをあやしているクレイドは、皿を置いてから、持っていた袋を私に見えるように掲げた。妖精猫の餌、という文字にファンタジーだなと間抜け顔をしている私に、彼は貰っていくから、と言った。
「・・・まだソラを預かるなら一袋俺の部屋に持ってくからな」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「・・・なぁ、やっぱ・・・いや、三日後に精霊会には出れそうなのか」
「精霊会?!」
言いづらそうに、そう尋ねてきた内容に、驚いて一気に何それ会合?聖女として?何するの?なんて疑問が乱立する。いきなり声をあげた私にクレイドは呆れたような顔をした。なんなら鼻で笑ったような気さえした。
「忘れてたのかよ、ソラを連れて行くっつってただろ」
「ソラちゃんを連れて・・・えーと、すみません熱のせいで。精霊会っていうのはどういう会だったかしら」
多少おかしくても熱で押し切って、聞き出しておかないとこれはまずい。冷や汗をだらだらと流しながら前のめりにクレイドへ引き攣った笑みを浮かべれば、彼は引き気味ながらも説明してくれた。
「俺は行ったことねぇよ、精霊どもが現れる茶会なんだろ」
クレイドは詳しくない、と言って悩むように手を首にやったりソラを抱き上げたりとどこか落ち着きない。いやいや精霊が現れる茶会って言葉だけでこっちはパニックなんですが、私何をしたらいいの・・・!精霊もわからないけどお茶会のマナーさえ不安なんだけど!西洋のテーブルマナーだって曖昧なのに、異世界だと全然違うマナーになるんじゃないの?!
「あ、あの、あの私ちょっとお茶会のマナーとか急に不安になってきちゃって・・・復習?というか教えてもらえたりとか」
焦りで舌が上手く回らない。
どもってばかりの聖女とか最悪だ・・・!と頭の隅では思っているもののそれよりもまずは三日後の茶会だろう。熱とか言って寝ている場合ではない。
クレイドは珍妙なものをみた、という驚き方で短い銀髪を手でかきあげた。急にそんなことを言われたらそれはそれは不思議だろうとも、分かっているけどこちらも必死だ。
彼は先ほどまで眉間に皺をよせて怒っているような空気だったが、今は困惑して弱っているように見えた。
「あー明日、またくるから・・・」
バツが悪そうな表情とともに私をまっすぐに見下ろした。
「二人でお茶、するか」
見てやるよ、マナー。そう言ってくれたクレイドは笑ってはいなかったが険のとれた表情だった。
「よ、よろしくお願いいたします!」
優しい!男前!ありがとー!!!と叫びたいのを抑えてそう言った。
◆
あのあとクレイドは私にはもう寝ていろと言って、ソラをもう一度わざわざ連れて帰ってくれた。夕飯もシスターに持ってくるよう伝えておくと言われて本当にありがたかった。だが、当然寝ていられるわけもなく、書斎をひっくり返して精霊会なる単語を探しまくった。
そうして見つけたのは聖女様の今までの活躍記録ともいえるもの。
ファイリングされていて大層助かった。
その名も金色聖書文化週報という薄っぺらい新聞のようなものだった。有難いことに教会のアイドルのごとく扱われている聖女の活躍が毎号載っている。
(信者向け新聞?わからないけど、今後私も掲載されるとしたら悪夢なんだけど)
どうしよう、新聞に聖女が急におかしくなったとか書かれたら・・・なんて不安に胃を痛めつつ精霊会について書かれた部分を読んだ。
「精霊会とは妖精の庭と称される本部のガーデンテラスにて、伝統的に各支部の代表神官が集まりお茶会をすることであり、このお茶会にはこっそり精霊が参加しているという伝説がある。参加者が妖精を連れていると精霊に会える確率があがると言われている・・・聖女マリアンジュは今年初参加、精霊とは出会えなかったと残念そうな様子だったが、今度妖精猫を譲り受ける約束をしているので来年は連れてきたいと語った。妖精猫は西教会で保護された猫で・・・」
一通り目を通して、とりあえず難しい会議という話ではなくシンプルにお茶会、交流会だと考えてよさそうだ。参加者リストが載っているのはラッキーで、もちろん顔見知りかそうでないかを見極めたりしなければならないが、とりあえず名前を暗記することはできる。
暗記で名前を唱えすぎてその日は悪夢をみた気がする。
「マナーは今日クレイドさんに見てもらうとして!」
化粧どうする、当日の流れはどうするのが正解だ?ていうか本部ってどこ?みたいな尋ねても大丈夫なのかどうかに頭を悩ませる。
服装に関しては、新聞に載っていた写真のドレスを衣装部屋から見つけ出して、前後に掛けられたほぼ同系統の別のドレスに決めた。きちんと靴や付属品まで整理整頓された衣裳部屋は、焦りと不安でドキドキしていた鼓動をワクワクとさせてくれたほど素晴らしいものだった。聖女さまにしか着こなせそうにない衣装もいっぱいあったが、素敵な衣装は見るだけで楽しいものだ。
ところでマナー確認のためにお茶会といっても、どこに何を用意すれば・・・と唸っているとマリアンジュ、と玄関のほうから声がした。
二階へあがってくる足音に私は待ちきれず走り出そうとして、一旦深呼吸をした。聖女らしく、優雅に、お淑やかに。ソファから立ち上がり、腰まで届く金髪を整えた。ゆっくりと歩いて声のするほうへ向かい、背の高い褐色肌の人影へ声をかけた。
「クレイドさん!おはようございます!」
「・・・おう、おはよう。体調は?」
「・・・問題ありません、今日はよろしくお願いします」
ばっちりOK!とか返事したいところだが、そんな雑は話し方をすればまた怪訝な顔で熱を測られるだろう。一回飲み込んでゆっくり喋った。許容範囲だったのか、クレイドは小さく頷いて教会に行こうと外を指差した。どうやらこの家でお茶会をするわけではないらしい。
初めて玄関から出ると、青々とした美しい草原が広がっていた。街並みは遠い。だがこの屋敷の隣には塗装された道続きで大きくて立派な教会が確かにあった。時計塔、教会、この二つが大きく、そして周辺に私のいたお屋敷の他二つ三つほどのお屋敷、それだけの街とも村ともいいがたい辺鄙な場所だった。
(馬と牛の声は聞こえてたけど・・・)
私は呆気にとられながら教会の扉をくぐった。正面ではなく裏口ともいえる場所で、水場が近かった。中は思っているよりも広く、廊下では何人もの神官やシスターといった雰囲気の人たちがいて、すれ違う度に会釈することになった。礼儀正しく良い空気を感じて、少し安堵する。
そんな中颯爽と歩くクレイドの背中を追い、一室へ入るとそこは華やかな洋室だった。窓際の陽光の差し込む場所にアフタヌーンティーでよく見る三段のケーキスタンドなどが用意された席があり、私は内心で随分はしゃいでしまった。
席についてわくわくと可愛らしい食器と小さなケーキやサンドイッチを眺めていたが、クレイドに小さく笑われた気がして背筋を伸ばした。そうだ、マナーの確認だった。
「精霊会は席次が決まってるし、たぶん左右は大熊教会と麦刈教会だろ」
そうなんだ、と間抜けに頷いた。そこで新聞に載っていた各参加者のリストは順不同の席次のことだったか、と思い至って、昨日必死に覚えた名前を思い出す。
大熊教会の代表はアルク神官で大柄な男性、麦刈教会の代表はアンタレス神官で釣り目の女性だったはずだ。そして私マリアンジュは牛飼教会代表。つまりこの教会は牛飼と呼ばれているらしい。由来はさっぱりわからないが、確かに表に牛はいたので、そういう理由なのかもしれない。
「ふふふ、緊張するわ」
「はっ嘘くせぇ」
いや本気で。初めましてですからね。
正直その二人とマリアンジュが実は凄く仲がいいとかだと詰む自信がある。
「ほら、マナーの確認だろ」
「・・・!まずは一番下から!」
正直アフタヌーンティーのマナーなどケーキスタンドは一番下のセイボリーから、ぐらいしか知らない。とりあえずそれだけ自信満々で小さなサンドイッチを取って皿へ移した。
「おい、中にまで俺は着いて行けねぇんだぞ。ナプキンは使うフリぐらいしとけ」
「あっ紙ナプキン!・・・着いてきてくれる、んですか?」
「はぁ?・・・護衛なんだから行くに決まってるだろ。ガーデン内には入れないが」
指摘されたナプキンを膝へ広げながら、なんだか私はひどく安堵した。伸ばした背筋が丸まりそうになるほどであった。ずっと気になっていたのだ。会場がどこか、用意は何時からか、どうやって行くのか、一人で行くのか、招待状はあるのか、不安すぎて頭痛がするほどだった。
(というかクレイドは聖女の護衛役だったのね・・・)
いくつかのマナーの指摘はあったものの、クレイドの所作を観察して美味しいお茶とお菓子を食べるのは、ひどく穏やかで優しい時間だった。クレイドとマリアンジュさまの関係性が発覚したのも大きかった。ずっと気を揉んでいたものだから、より心地よく感じたのだろう。
だから私はひどく気を抜いてしまったのだろう。
次の日、精霊会当日。
「ソラ~!ソラちゃ~ん!おいでぇ~」
マリアンジュが飼っていたらしい妖精猫、ソラは熱が下がったので、とクレイドから私の下へ戻って来たものの、まぁ~ったく私の傍には来てくれない。精霊会に連れて行く、というのは去年の段階で新聞に載っている話題なのだからここは妥協できない。私は棚の上から見下ろしてくるソラへ懇願しながら名前を呼んだ。
「ほらぁ、ササミだよぉ~」
クレイドが持っていた妖精猫の餌で釣ろうと頑張ったものの全然成果は見えず、教会へ走って鶏肉ありますか?!とダメ元でお願いしてみたら、快くいただけた。初めて使うキッチンで四苦八苦しながらとりあえず鶏肉を湯がいてほぐしたものを必死に捧げているところだ。
ササミが気になるらしく、鼻をひくひくとさせて身を乗り出しているソラに手ごたえを感じて期待の眼差しを向けるも膠着状態。
「・・・何してんだお前」
「ハッもうそんな時間ですかクレイドさん!待ってください!もう少しでソラちゃんが私の下へ!」
現れたクレイドに私は意識を持っていかれかけたが、今は目の前のソラを懐柔することに集中した。あとちょっとで抱っこできそうなのである。ササミを彼の鼻先に突き付けてゆらゆらとさせてやれば獲物を狙う瞳で右へ左へ・・・。
「あーーー!ひどい!ひどいですクレイドさん!」
「ふっ、ははは。うるせぇな、ソラは確保しとくからドレス着て来い」
ひょいと容易くソラへ手を伸ばしたのはクレイドだった。笑いながら、抵抗されることもなく抱っこをして、私の手からササミを取り上げて追い出そうとする。衣装部屋へ押し込められて私は泣く泣く用意していたドレスへ腕を通した。
可能な限り用意をしてクレイドがいる暖炉の部屋へ向かえば、ソラをブラッシングするクレイドがソファでのんびりとしていた。傍には剣らしきものが立てかけられており、成程護衛か、とすとんと腑に落ちた。
「お待たせしました。毛がつきますよ」
「白いから目立たん、汚れ落としの魔法ぐらいは使える」
「え、それ私も使えますか」
思わずそう尋ねれば、また妙な顔をされてしまった。それはそうだろう、クレイドからすれば知らんがなって感じだろう。また失言・・・と落ち込み、誤魔化すようにソラへ手を伸ばすと、ソラは優雅に避けた。手を伸ばす。避けた。さっさっさっとフェイントさえ読み切られながら手を避けられ続ける。
「くっふふ・・・ソラ、さっきのササミだ」
遊ばれている私を見て耐え切れない、と言わんばかりに顔を背けつつクライドは私から取った皿を差し出した。少し食べたのか、量は減っていた。お気に召したのかソラはすぐに飛び掛かってペロリと完食。非常に可愛い。
私がひどい・・・と恨みがましく眺めていると、報酬だというようにソラは渋々私の膝へと乗って来た。ふわふわの大きな塊に嬉しくなって、しかし大喜びして撫でまわしてはすぐに逃げ出されるのは自明のこと。手の置き場に困って宙を漂わせていると、いつのまにか背後にクレイドが座り、髪の毛に櫛を通された。
「あっありがとうございます・・・」
「別に。前向いとけ。それよりソラ抱っこできるのか」
「も、もちろんできますよ!ソラちゃん、いいですよね?」
脚にかかる重さは中々のものだが、流石に持てないほどでもない。それよりもソラ自身が嫌がらないかが問題だ。許可を求めるように見つめれば、なんともクールな瞳が帰って来る。猫ってこんなに表情出るんだ・・・。と感心しながら私は強く粘って視線を逸らさずにいると、根負けしたのかソラは大人しく膝へ伏せた。
こつこつ、と空になった皿をつつかれたので、おそらくは報酬にササミを寄こすなら考えんこともない、ぐらいだろう。
「猫ってため息吐くんだ・・・」
「ぶはっ・・・はぁ~、髪の毛完成したからこれでいいか確認してこい。馬車用意してっから、下降りて来いよ」
「はぁい」
さっきからずっと笑われてるな私!いや、クレイドが案外笑う人なのだと分かっただけラッキーだ。パタパタと衣装部屋へ戻り姿見の鏡の前で一回転すれば、美しいがウェーブが広がりがちなマリアンジュの金髪がすっきり上品にまとめられていて、ドレスのイメージにもピッタリなヘアアクセが飾られていた。センスが良いな、とヘアアレンジが苦手な私は尊敬の気持ちでいっぱいになってしまう。ヘアアイロンも使わず櫛だけで・・・。
「っていうかソラの毛も消えてる!汚れ落としの魔法?!」
いつ魔法かけられたかもわからないんだけど!先回りして気を使われているのだと気づいて私は馬車の前でソラを抱いて佇むクレイドにひどく恐縮してしまった。小さくありがとうと言えば、悪戯が成功した子供のような笑みを向けられた。昨日よりもぐっと距離が縮まった気がした。
馬車に揺られて着いた場所は、宮殿とも思える場所で、正直教会・・・?と私は首を傾げてしまう。門を越えれば目の前に噴水、水路、整えられた草花、生垣。奥の方に見える謎の石像、建物の豪華さに、なんとも広大な大庭園だと圧倒される。
「相変わらずすげぇな、本部は」
「すっごい・・・いくつ噴水あるの・・・」
あっちにもこっちにも噴水があり、常に水が流れ続けている。優雅なせせらぎというには激しい水音だが、きらきらと反射する水面は好ましい。
そんな宮殿内を歩いて暫く、人の出入りが激しいガーデン入口と思しき場所で二人は立ち止まった。
「こっから先は代表しか入れん、俺は解散の頃合いにまた来る」
「わかりました!」
「ソラ、頼むぞ」
「えぇ?!」
何故か腕の中のソラへとそう声をかけるクレイドに私がショックを受けていると、クレイドは小さく笑って手を翳して何かをしたと思えば、すぐ踵を返していった。改めてついてしまった服の皺もソラの毛も綺麗になったことに気づいて、その背中に御礼を言えば、手を振られて、なんともスマートだと思った。ぼんやり見惚れていると、にゃおん、とソラが鳴くので気を取り直して精霊会の会場へ足を踏み入れた。
「・・・そりゃそうか、交流会でしょうしね」
まだ時間前だからか、用意された席には誰もついておらず、その周辺でいろんな人がウェルカムドリンクを片手にお喋りをしていた。花や石像などガーデンのすばらしさを口々に褒めていた。
やばいな、私は誰と知り合いなんだ。ご挨拶ってやつをしないといけないのよね。カーテンシーとか言うのをしないといけないんだろうか。いや、とりあえず周囲を観察!観察!皆華やかな白い服だ、やったぁ私のドレス間違ってなかった!
「マリアンジュ、こっちよ」
声を掛けられて視線をやれば、そこには妖艶な美女が手を振っていた。やっばい誰。とりあえず私は日本人特有の愛想笑いで対応して、落ち着けと心の中で唱えながら近づいた。
「久しぶりね、もうアンタレス神官には会ったかしら」
「いいえ、まだよ。今来たばかりで・・・」
「そう、まぁアンタレス神官は席に着いてからでもいいわよね、それより土色派の人間はあっちに固まってたわ、気を付けてね」
こそこそと美女が視線を向けたほうには年配の威厳漂う人間が固まっていた。私は専門用語出さないで?という気持ちと予習したところだ!というアハ体験に興奮した。土色派とはそのまま派閥の通称らしい。聖女たる私が属しているのは新聞に冠されていた金色派。聖女を重んじる派閥。他にも赤色とかがある。明確にそれぞれの主張を纏めてくれていたりはしないので、私個人が読み取った解釈になるが、土色派は聖女の存在に疑問を呈するかなり硬派な派閥だというのが私の解釈だ。
つまり金色と土色は少々仲が悪いらしい。
(宗教って異世界でもややこしいのねぇ)
ということは目の前の美女はおそらく金色聖書派なのだろう。リストにあった名前を思い出しながら、にこやかに会話をする。私の写真の両隣にいたアルク神官とアンタレス神官の顔は判明しているが、他の人の写真は非常に少なかった。
そうしてなんとかその場をしのぎながら過ごしていれば、次々に着席して、お茶会がはじまった。あまり堅苦しいものでないようで、名前が呼ばれて教会本部の偉い人が挨拶をした後に新しく着任した神官などが紹介されれば、一気に談笑は増えた。少ししたら精霊さまを讃える合唱などをするらしいが、口パクで乗り切るつもりである。
顔と名前を一致させるチャンスに頭をフル回転させていると、ふと隣から声をかけられた。アンタレス神官だ。勝気さを感じさせる釣り目を細め、どこか人を揶揄うような声音だった。
「そういえば、見たよ。入場時に護衛といちゃついてただろ」
「いちゃ・・・?!ふふふ、あれはソラの毛を片づけてくれたんですよ」
そういって膝で大人しくしてくれているソラを撫でた。最高の毛並み、これもクレイドのブラッシングのおかげだろう。そう笑っていると、拍子抜けしたようにアンタレス神官は言った。
「なんだい、まさか本当にあの護衛と結婚するのかい」
「えっっ」
本当にってどういうこと?!と私は叫び声を抑え込んだが、アンタレス神官は気にせず続ける。
「噂になってるよ、他所からきた得体の知れない成金が金で聖女さまの婚約者って立場を買って、護衛にまで成り上がってるって」
「そ、そんなこと・・・!」
ない、と言い切りたいが私にはわからない。
言葉に詰まると、アンタレス神官は分かっていると言いたげに頷いた。
「あんたがそんな子じゃないとは思ってるけど、さっきの護衛・・・まぁ見るからに他所の国の子だろ。うちは宗教国家だから信者は差別なく入国できるけど・・・あからさまだからね。土色派どもに付け入られるんじゃないよ」
「・・・だ、大丈夫ですわ、今日ものこの髪の毛を彼が整えてくださいましたの」
意味はわからなかったが一旦金で買われた関係ではないとアピールしたくて、そう言った。それを受けてアンタレス神官は厳しい表情をひっこめて素敵ね、と笑ってくれた。
香りが良い、と思った紅茶の味はさっぱりわからなくなっていた。
周囲を観察していて気づいたが、その殆どが白い肌に金髪。
前世でいう西洋人に近いと思った。といっても鼻の形や顎の形を考えるとアジア人っぽい気もするし、そもそも白い肌と言っても前世の白人とは違った白さの気がして、私には異世界だなぁと感じさせる。つまり人種不明といった印象だったわけだが、それでもこの場にいる人たちだけで考えると白い服と相まって非常に色のバリエーションが乏しい。
(もしかしてクレイドの褐色に銀髪ってこの異世界でも珍しい感じ?!外国人扱いなんだ?!)
帰りの馬車の中で対面に座るクレイドの顔面をじっと見つめつつ頭の中を整理しようと試みた。
まず聖女マリアンジュは、クレイドと婚約者であり護衛である。この二つは事実なのだろう。
そして噂になっているのは、その地位を金で買ったと言われていること。
(・・・そんな価値があるの?)
私には聖女という地位の価値をまだ計りかねていた。婚約者か護衛だけのどっちかじゃ駄目なのか、とも思うし成金扱いされるクレイド自身の事情もわからなかった。
(大体土色派に気を付けろとか派閥争いまで関係してくるの?もぉ~わからん)
次から次へと出てくる疑問に完全に脳疲労を起こす。分からないことだらけで、問題の整理どころではない。私はふわっとあくびをして外を眺めることに徹した。
そんな様子をクレイド本人に微笑ましく見られていたことには気づかなかった。
◆
「聖女さま、お祈りが終わりましたら街まで行きましょう」
「街ですか」
「ええ、今月はいつもより早いかもしれませんが、どうにも天気が不安定ですし、孤児院の慰問をしておきましょう」
街から遠く離れたこの牛飼教会だが、聖女という立場では月に一回教会付属の孤児院などに慰問するというイベントがある。牛飼教会の運営ではあるものの孤児院だけはちゃんと街中にあるので、毎月歩いて通うのだ。恒例行事ではあるものの、あまり厳密なものではないらしく、服装もいつも通りでいいと言われた。
「クレイドは・・・」
「今日は外壁掃除のようです、もしかしたら後から迎えに来てくれるかもしれませんね」
護衛といえども四六時中一緒にいるわけではない。遠出する際は予定を合わせることになるが、教会内ならば私は単独行動であるし、孤児院の慰問はシスターたちとだけで行う。
(結局、精霊会の後はあまり話せてないんだよねぇ)
当初よりも親しくは出来ているが、今の今まで婚約者らしい様子は見られなかった。なので、婚約者であると言われても、よくわからない。だがマリアンジュの書斎を調べた時に、手紙や書類の中で婚約者がクレイドであるという記述はあった。
そして同時に、クレイドから教会へ多大な寄付金が払われた後に護衛という地位が与えられたこともわかった。この時系列では金で買ったと言われても仕方ないかもしれない、と思ってしまった。
婚約者というのは、別に教会が認可するものではなさそうで、この辺りはまだよくわからない。案外自由恋愛ということなのだろうか。
(それにしては・・・マリアンジュとはビジネスライクな関係だったのかな)
それともちゃんと愛し合っていたんだろうか・・・。そうして考えるとひどく憂鬱で、どうしようもなく気持ちがふさがれる気がした。
「私が本当のマリアンジュじゃないって、言った方がいいのかなぁ」
貴方の愛したマリアンジュじゃないですよ、なんて言うのは悲しい話だろう。
そんなことを最近はぼんやり考えていた。
「さぁ、さぁ、マリアンジュ様まずは院長へ挨拶に行きましょう」
シスター達は立場的に私を先頭にしてくるが、まだ覚えていないのでどこへ向かったらいいかわからん。ドジっ子のふりして適当に歩くか?と考えていたら玄関口で院長らしき女性が出迎えてくれた、ありがたい。
「歓迎いたしますよ、聖女さま。まずは紅茶でもどうぞ」
「ありがとうございます、何かお変わりありませんか」
「そうですね・・・」
先月来た時にはこれから冬にかけて食事事情が厳しくなるという話がでた。それ以上前の記録に関してはシスターの一人が議事録のようなものを取っているというのでそれを閲覧させてもらって一応頭には叩き込んだ。
「季節の変わり目だからか、どうにも風邪が多くて」
「おや、では今日は頑張らねばなりませんね」
治癒魔法いっぱい使うぞ、と気合を入れていると院長はホッとしたようだった。だが重たそうに口を開く。
「その、出来れば初期の段階でなんとかしたくてですね。予防はしているのですが、何分子供ですので・・・」
「大流行する前に食い止めたいということですね・・・」
シスターが痛ましそうに頷いていた。孤児院では子供も働き手であり、生活の担い手だ。病気で伏せられるのは困るだろう。だからといって病をコントロールする術があるわけでもなく、私たちは予定通りお祈りと食事作りをした。シスターたちが子供たちの相手をしてくれている間に私は職員の皆さんの健康チェックをし、治癒の魔法をかけていく。
そんな職員の皆さんも自覚症状の有無はあれど、風邪気味という状態が多くて、既に子供から風邪をもらってしまっているようだった。
「・・・次に訪問したら流行病が蔓延しているとしてもおかしくありませんわね」
「マリアンジュ様・・・本部へ報告を上げてみましょうか」
「そうですね、お願いします。あと・・・訪問回数を増やしませんか」
「え?」
一通り健康チェックという治癒魔法を終えれば、あとは子供たちと遊んだり施設内で書類仕事など割と自由だ。
私とリーダー格のシスターは今後について話し合っていた。孤児院で病が流行すれば街にまで広がるのもすぐ、悪評が立つのも嫌だなと思っての提案だったが、シスターは意外そうな表情だ。
首を傾げればシスターは言葉を濁しながらも素直に、貴女は子供が苦手だと思っていましたと言った。
「慰問をたまに休まれることがあったでしょう?本部への報告書が、別教会との交流があって、と予定を詰めたりして、孤児院に来られても子供たちと遊ぶことは少なかったですし・・・だから、訪問回数を増やしてもいいのかしらって思ったんですよ」
(マリアンジュ様子供苦手だった説・・・?!)
いや、でも確かに子供と走り回って遊ぶイメージではないか。もしかしたら苦手だったのかもなぁ、と思いをはせながら私はどう回答するべきか迷う。否定するのも後々マリアンジュ様が困るかもしれないし、と私はおずおずと頷くことにした。
「・・・どう対応すればいいのかわからないのかもしれません」
「ふふふ、見ていてハラハラしますよね。子供って」
「ええ、とはいえ嫌いではありません。孤児院で病が流行してしまえば街にまで広がってしまいますし、初期症状の段階で私が治してしまうのがいいと思ったので」
「マリアンジュ様が忙しくなってしまいますが、そうおっしゃるなら冬の間だけ月二回にいたしましょう」
シスターはどこか嬉しそうにそう言って、院長へと報告へ行った。手持ち無沙汰になった私は外へ出て、子供たちが遊んでいるのを眺めた。チャンバラごっことママゴトはどこでもするのね。
「あっ聖女さま!街のやつら来た!」
「街のおばちゃん!畑やってる!なんか持ってきたって!」
「絶対怪我人治してって話だぜ~」
聖女が来ていると聞きつけてきた街の人が交渉にきたようで、子供たちがワァーッと口々に私を呼びに来た。周囲にいたシスターもお客様か、と少し顔を引き締めて、対応のため私より先に声を掛けに行った。
「マリアンジュ様、やはり足を怪我したから治癒してほしいとのことで・・・」
「そう・・・医者にはかかったのかしら」
「それが、冬支度のために貯金をはたいたらしく・・・野菜をたくさん持ってきてくれてます」
「そう、仕方ないわね・・・」
少々みすぼらしさのある格好の夫婦で、脚を怪我しているのは夫のほうだった。なにかしら刃物ですっぱり切ったらしい。流血したのを無理やり縛って止血している。一日か二日はたっているようで、固まった血がそのままだ。放っておいてそのまま自然治癒、といきたいところだが、どうにも痛くて私のところへ来たらしい。おそらくばい菌でも入って化膿しているか何かだろう。
大都市でないが街には一応医者がいる上、教会としても聖女として無料奉仕をする行為はあまり推奨されていない。やるならお布施を貰うべきというのは、私も納得している。だからといって見捨てるのも聖女らしくないのでは?と思うので私は物々交換のような交渉には応じて魔法を使用している。以前のマリアンジュ様がその辺りどうしていたかは謎だ・・・この行動は合っているのか。
結局本日も治療した。
「おお・・・ありがとうございます聖女さま。すみません、こんな粗末な野菜ぐらいしかお渡しできるものはありませんが」
「いえいえ、食料はいつだってありがたいですよ。ですが次は病院へ行ってくださいね」
温かな光が患部を包み、暫くすると傷跡も残らない。夫婦は嬉しそうに野菜を置いて帰っていった。お客様がいなくなれば、治癒の魔法が使用され光が広がる光景を興味津々でみていた周囲の子供が騒ぎ出す。
「聖女様すっげぇ~!」
子供の素直な賞賛は、やたらと心に沁みる。
「あのね、私シスターになっていつか牛飼教会にはいるわ」
わっと私を取り囲んできた中の一人がそういった。まだ幼い女の子だ。
「本当?ありがとう」
「ね、教会には素敵な男性はいる?」
隣のおませな女の子がそう言えば、女子たちが興味津々で次々質問してくる。それに飽きた男子がボールを一つ持って遊びに散っていくのはすぐだった。
「え~恋バナ?」
「そうよ、聞いたことあるの。聖女さまには素敵な婚約者がいるんでしょ?」
「・・・ふふ、そうなの。素敵な人よ」
クレイドの横顔を思い出す。おそらくはマリアンジュ様としてちぐはぐな私を疑っていながらも、最近はよく笑顔を見せてくれる。教会の皆に頼りにされていて、私もお世話をされっぱなし、とても素敵な人だ。だからこそ、婚約者の中身が偽物で本当に申し訳ないと日々罪悪感が募っていく。
小さくとも女子には変わりなく、案外話は弾む。私は女子会楽しい~と思い久しぶりの俗っぽい会話を堪能した。恋のお悩み相談は異世界だろうと一緒だ。
帰りは野菜抱えて、女の子たちはまた来てよ!絶対よ!と言われながら帰った。それをシスター達には随分微笑ましい表情で見られた。だから嫌いではないんですよ。
「おわっ、土まみれじゃねぇか」
「えっ、うわっ本当だ!」
「なんだよそれ、大根?」
「治癒の御礼にいただきました。孤児院で消費してもらおうと思ったのですが全部は遠慮されてしまって・・・この野菜だけ気になってもらいました」
クレイドさん大根って言った?私も大根だ!って驚いてもらってきたんですがね。というか収穫したてだから土まみれだし、教会の服って基本白いからすぐ汚れて困る。
「この国にもあったのか」
「やっぱり珍しい野菜ですか?」
「おう、俺の故郷じゃよくある野菜だったが・・・」
「そうなんですか?!じゃぁ今日の晩御飯食べて行きます?」
シスターたちに探りを入れたところ、聖女さまは自炊をよくしていたらしい。実際キッチンを改めて調べるときちんと調理器具、調味料があった。その調味料の中には見慣れないスパイスに混じって味噌っぽいのもあったので、料理にチャレンジしたいと思っていたのだ。
「・・・お前が作るのか」
「せっかくなので!大根炊くだけならなんとか・・・あー、よかったら」
いやこれで聖女マリアンジュさまがめっちゃ料理美味かったなら、ひどいギャップで偽物バレするのでは・・・。そんな不安が私の言葉を尻すぼみにさせた。
「あぁ、食べる。つーかお前その服」
「ちゃんと着替えます!ていうか白すぐ汚れる!」
土汚れを指摘されると急に恥ずかしくなったのもあって、大根を抱え込んで逃げるように走った。
(たぶんあの口ぶりなら大根料理はきっと珍しいはず!なら失敗しても大丈夫でしょう)
正直並べられた調味料の半分も使い方わからない。
私はさっそく着替えてキッチンへ立った。ソラはササミの気配に勘づいて私の後を付いてきている。教会から今日も鶏肉をいただいたのだ。ちゃんとソラ用にササミも茹でるつもりだ。
「鶏肉と大根と味噌で一品いけるはず・・・パンとは合わないなぁ」
教会の食堂で食事を貰った時はパンとスープだけだったし、こちらの食事はそれぐらいなのだろうか。ならば後はスープだけでいいのかな、と考えながら食糧庫へ向かった。ちなみにこの食糧庫は教会との共同のようなので少々遠慮気味に拝借するつもりだ。
「あらマリアンジュ様、食糧庫へ?」
「ええ、いただいたお野菜をさっそく今日使おうと思って」
「あの不思議な野菜ですか。確か根菜ですよね。でしたら今日は人参がたくさんありますよ」
「本当ですか、では人参をいただこうかしら」
どうやら同様に食糧庫へ向かうシスターと出くわして、同行することになった。
孤児院で一緒になったシスターではない。本当に申し訳ないがまだシスターたちの区別はついていない。名前も改めて聞くこともできないので、誰かがシスターの名前を呼ぶのをしっかり覚えておくという苦しい戦法で過ごしている。
「うちは人参のサラダと、あとミートボールと・・・明日はお肉食べられないからビーフシチューも作ろうかって言っているんですよ」
「そうなんですね・・・人参のサラダは私も作ろうかな」
「なら聖女様の分もサワークリーム取ってきますよ」
あぶな、明日はお肉食べちゃだめな日か。
この教会では全面的に肉食を禁じてはいないが、毎週一日か二日は精進潔斎の日みたいなのがあるようで、肉を食べない。明日うっかりお肉くださいと言いに行くと怒られるところだった。
シスターは気さくな性質なようで、クレイドとですか?きのこの塩漬けありますよ!と次々質問やおススメのレシピを教えてくれたりと忙しない。だが沈黙が落ちることがなくてありがたいことだった。
「サラダにはクルミもいりますよ、どうぞ!」
「ありがとう、是非入れてみるわ」
「・・・うふふ、マリアンジュ様とっつきやすくなりましたね」
そうニコニコと言われて、私は背筋が冷えた。だが別に悪印象というわけではなく、しっかりした聖女様だったマリアンジュに比べて私が少々間抜けだというだけのようで、喋りやすくなった、と彼女は嬉しそうに食材を抱えていた。
「ありがとう、そうだとしたら嬉しいわ」
少々複雑だが、致命的な失敗ではないようでひとまず安心した。
・・・安心して料理に取り掛かったものの、キッチンでは中々取り乱すこととなった。
「うわわわ火加減も魔法か!!」
人参のサラダは別に問題なかった。なんせ千切りにして塩もみ、サワークリームを和える程度で、あとはクルミも軽く炒ってまぶすだけだ。
問題は鶏肉と大根の照り煮もどきを作ろうと肉を焼き始めた時。
例にもれずキッチンのコンロも装飾に手を当てると自動で火がつくのだが、この火が中々激しい。火加減を調整する部分はないのか、と探すもよくわからない。仕方がないとフライパンを一旦離そうとすると今度は火が自動で消える。何その安全対策。不便。
「なんで・・・?もしかしてあっちのピザ釜のほうが使える?」
ちらりと目立つピザ釜をみるが、チャレンジする気にはなれない。もう一度コンロの装飾に手を当ててみて、ネオンのように光り輝くさまを観察する。フライパンを離したままでも火はついた。さっと手を離すと消える。手で触れる。つかない。触れたまま魔力を入れてみる。つく。気合をいれて魔力を一気に入れる。火柱が立った。
「・・・最初の魔力量で火加減変わるってこと?」
ほんの少しの魔力で触れてみると、小さな火がついた。
「弱火できた~・・・」
深くため息をついて私は料理を続ける。こういう事態を想定して簡単なレシピにしたのだ。ちゃんと作り上げねば、と気合をいれた。
「手伝うか?」
「ふぁい!えっクレイドさん、いつの間に・・・!」
「なんかジタバタしてるなって思って」
いつの間にか背後からひょいと現れたクレイドに心臓が止まりそうになったが、別に怪しんでいる様子は無さそうで、ひとまず落ち着いてから、大丈夫だと手伝いを断った。あとのスープは塩漬けの茸や野菜を入れるだけのシンプルなものにするので、失敗はしない。
「見慣れない料理だな」
そう言ってクレイドは大根をフォークで刺して食べた。私も食べてみて、やはりパンには合わないなぁ、と思いつつも久しぶりの味噌味に嬉しくなった。味噌があるなら醤油もある気がするが、やっぱりこれも尋ねるのには勇気がいる。
「・・・うん、美味いよ。なんか懐かしいし」
「本当ですか?よかったぁ~!・・・あ、お口にあったようでよかったです」
「・・・別に普通にしてくれていいぜ」
苦笑いでそう言われて、流石に取り繕うにしても限界か、と私は内心で焦っていたが、見つめたクレイドの表情に悪意や敵意が見当たらなくて、そろそろと力を抜いて頷いた。気を抜いていいならば、そちらのほうがありがたい。
「そういえばクレイドの故郷で大根はよく食べられてたんですか」
「まぁ身近だったな。漬物って印象が強くて、炒め物だと新鮮だ」
故郷が東アジア系ってわけではなさそう?と思いながら可能な限り情報が欲しくて色々と質問をした。クレイドも面倒くさがらず丁寧に答えてくれて、その流れが途切れたのは皿も全て空っぽになった時だった。
暢気にご馳走様と手を合わせていた私に、クレイドは真剣な口調で尋ねてきた。
「・・・母さんの治療の日取りなんだが」
「え・・・?」
「まさか忘れてねぇよな、母さんの治療をする約束」
スッと眇められた瞳の鋭さに私は背筋を伸ばして、もちろんさっぱりそんな約束は知らないが、当然頷いた。本来ならば私が言い出すべきだった話だったのかもしれないと思うと胃が痛い気がした。
「ももももちろん!いつにします?!すぐのほうがいいですよね!」
「あぁ・・・よろしく頼む」
誤魔化すこともできないほどに動揺して、私はそそくさと逃げるように皿を無我夢中で洗った。たぶん魔法が使えたと思うけども頭が回らなかったので、泡まみれになってしまった。
◆
快晴、突き抜ける青空だ。
気分はいいが、正直心臓が痛い。
教会の人に探りを入れてみたのだが、どうもクレイドの母親の治療は定例行事だったらしく、二か月に一回は治療のため私はクレイドとともに通っていたらしい。それだけ定期的に通っているのにまだ治療が完了していないのは私の聖の治癒魔法でも緩和ケアしかできない不治の病だから、という事情を把握した。
いや不治の病は重いって。
そう思いながら馬車で勝手に気まずくなっていた。
(不治の病かぁ・・・大丈夫かなぁ)
治癒魔法を使っていて、重傷であればあるほど魔力がごっそり減る感覚はあるものの、魔力さえあればどんなであれ治せる、というのが今のところの感想。治せない病となると、どれだけの魔力が必要で、どんな手ごたえなのか、というのが気になった。
(クレイドのお母様のカルテとかないのかなぁ~)
「孤児院、月二回行くんだって?」
「あ、はい。風邪が流行り始めてるから」
ふと話しかけられたのはついこの間の件だった。あの後正式に来月から二回訪問すると決まった。それがどうかしたかと思ったのが顔に出ていたのか、クレイドは呆れたようにため息を吐いた。
「あまり目立つなよ、なんのために俺がいると思ってんだ」
「え?なんため・・・護衛?」
とぼけたような回答になったが、それ以外に思い浮かばず焦っていると、クレイドは命狙われやすいんだから気を付けろ、と低い声で言う。
「土色聖書派が嫌がることすんなって言ってんだ」
「土色派・・・!」
「あそこは聖女の存在に否定的だ、医者を飛び越えて治癒魔法を施す聖女が存在してることが耐えがたいってやつらなんだぞ、気を付けろ」
そうだった!と叫びたくなる口を抑えた。
派閥争いのことがいまいちわからず片っ端から資料などをみて、ある程度把握したのは、私たち金色聖書派は聖女という存在を重んじているということ。そして土色聖書派は聖女という存在は後から捏造された象徴的な存在であり実際にはなかった、という見解の人たち。
聖女など存在しない、としている人たちからすれば私という聖女を体現する人間が存在するのも気に食わないし、それが民衆に広く受け入れられ、金色聖書派になっていくことも気に食わないということだ。
なので私は土色派閥からひどく嫌われているらしい・・・!これを知ってから、そういえば精霊会で聖女と呼ばれずわざわざマリアンジュ神官、と呼ばれたりしたなぁ、あれって聖女なんて認めねぇってことかぁ、と理解した。
ここで問題なのは、なので聖女を殺してしまおうという人間が、多少なりとも存在するということである。その対策としての護衛である。
「今は大人しいけど、街の奴らを無償で治癒したりして変に支持率があがると・・・」
「無償で治したりしてないよ!でも、あの、気を付けます」
「来月から孤児院に俺もついていくことにするから」
私は小さくなりながら、はい、と返事をした。
お手を煩わせて申し訳ない、という気持ちで一杯である。
馬車が停止したのは大きなお屋敷の前で、これがクレイドの実家かぁ、と感心する。教会本部のような豪奢さとは雰囲気が違い、質実剛健さがある。門や堀でしっかりと囲われているのも堅牢さが表れていた。
通された部屋の真ん中には大きな天蓋ベッドがあり、窓から陽光がしっかり当たるようになっていた。そのベッドで起き上がった体勢の女性がいた。彼女がクレイドの母親。褐色の肌と銀髪がお揃いで、しかし彼と違って目元がひどく柔らかく、温和そうだった。
「こんな状態での出迎えでごめんなさいね」
「いいえ、無理せず楽な状態でいてください」
クレイドが彼女の前へサイドチェアを持ってきてくれて、有難く腰掛けさせてもらう。その後はドア横まで下がり、クレイドはこちらから視線は外さないものの随分離れていった。代わりのようにメイド姿の女性が隣へやってきて、お母様の衣服を整えて、布団をめくった。
「・・・ひどいですね」
露わになった脚は全面的に痣が浮いており、内出血のように見えた。かさついて、瘡蓋になっている場所もある。ぱっとみて現代的な知識を持っていてもなんの病か思いつかない不思議な症状だった。
「先月ぐらいから急に症状が進行してしまって・・・もう脚が動かないの」
「痛みは?」
「痛いけど、ずっと痺れているような痛みだから・・・」
辛そうだ。もう随分歩いてはいないのだろう、脚は筋肉がすっかり落ちた細さだった。進行していくと、上半身にまで及び、命を落とすだろうことは予想がつく。そうではなくても下半身不随状態で、心臓にまで影響がいくことは考えられる。
(・・・異世界の病か)
この病がなんの病かは分からないが、分からなくても治療できるのが私の聖女としての治癒魔法なら、それはひどく得難く、嬉しいことだと思えた。
「さっそく治療をしましょう!」
彼女の両脚に手を当てて、魔法を使えば治癒の光が包み込むようだった。表面からじわじわと魔力が浸透していくような、そして同時にひどい抵抗を感じる。なるほど、これは長丁場になりそうだな、と魔法を当て続けた。
「温かいし、なんだか楽になって来たわ」
クレイドのお母様はひどく痩せてしまっているが、お喋りは好きなようで、光を当てたまま黙っていると、逐一現在の状態を報告してくれる。足先の痺れがなくなった、とか全身が温まって来た、とかだ。
「順調ですね、私の魔力も通りやすくなってきてる気がします」
「きつかったら休憩してちょうだいね。そうだ、御夕飯も食べて行ってちょうだいな」
「ありがとうございます。治療される側も疲労がたまりますので、眠ってしまっても大丈夫ですよ」
お母様が私の言葉に安心したのか、うつらうつらと眠った辺りで、片足の痣が全部消えた。嬉しくなって一度魔法を消すと、自分の顎から汗が落ちるのがわかった。びっしょりと汗をかき、指先が震えている。中々集中してしまっていたらしい。
「無理をするな、魔力枯渇で倒れるぞ」
「クレイドさん・・・あ、お水ありがとうございます」
「いいんだ、こちらこそ。打つ手のない不治の病なんだ。ここまで治療してもらえるだけで僥倖、また来月お願いしてもいいか」
すぐに飲めるお水と温かいお茶、軽いお茶菓子のようなものを用意してくれて、クレイドはひどく優しい瞳で私を見た。おそらくきっと、初めてそんな風な視線を向けられている。
とびきり優しい表情なのに、どこか諦めが滲むのが、どうしてか悲しくて、私は首を振った。
「ううん、来月来なくてもいいように治しちゃおう」
「・・・何を言ってるんだ、不治の病だぞ」
「もう少し頑張れば治る気がするの」
「・・・聖女が、かつて治せないと言ったんだ。無理しなくて」
「今なら、治せる気がする・・・じゃ駄目?」
保障はできないけど、と言えばクレイドは眉間に皺を寄せて、視線を彷徨わせた。
何かを我慢するように拳を震わせており、暫くして悪い、と小さく謝罪した。
「キツイと思う、でも・・・お願い、します」
「はい!頑張りますね」
頼られた!という気持ちで胸がいっぱいで、私は元気に返事をした。
片足が綺麗になったからもう後半分、と先ほどとは反対側へ椅子を移動して手を当てていく。治癒は私の魔力以外に患者の体力も奪っていくようで、お母様はすっかり眠ってしまい、少し熱っぽい。急激な治療はやはり負担か、と躊躇してしまうが、しかしここでやめてしまえば再び病は進行してしまう。
「すみません、頑張ってください」
正直これは私のエゴなので!私頑張りますので!と気合をいれてゆっくりと優しく、例えるならばホースが破裂しないように液体を流し込んでいくような形だ。魔法の光を見つめすぎて目もパシパシと乾燥する。
「・・・マリアンジュさん」
「はい」
「ありがとう、とっても楽になってます」
気を失うようにして眠っていたお母様が、薄く瞼を上げて私を見つめてそう言った。時間を忘れて集中していたけれど、脚の痣はもう随分減って、今ある痣も薄い。あと少しなんだと分かる。
「あ、治・・・った」
最後は呆気ないほどで、一気に蒸発するように魔力が消えた。
もう治癒は必要ない、と自然と理解した。
痣はなく、白い綺麗な脚。安堵とともに襲い来る疲労感。思わず脱力してベッドへ突っ伏すと、母親といえど女性の肌を見ないようにと離れていたクレイドも、慌てて近づいて来た。
「治った、のか・・・本当に」
「はぁい、たぶん・・・」
「不治の病だと・・・」
「なんて、なんてこと・・・奥様」
メイドが涙ぐんで部屋を出ていった。医者か、執事か、誰かを呼びに行ったのだろう。私は襲い来る全身の怠さと眠気を深呼吸でなんとかしようとベッドでもがいた。傍にきてくれたクレイドが、まるでよくやったと言うように頭を優しく撫でてくれるのが心地よくて、私は抵抗できずに身を委ねた。ゆらゆらと歩調に合わせて揺れるのを感じながら、よかったなぁと満足感でいっぱいだった。
目を覚ますと、朝だった。
はて、クレイドの母親を治療したのは何時だったか。
服もいつの間にかゆったりとした寝間着に着替えており、また何か不可思議な現象に見舞われたのかと思ったが、窓に映った自分に、聖女マリアンジュのままであることは理解した。
「まぁまぁ目覚めましたか、マリアンジュさま!」
「はい、今は一体・・・」
「奥様の治療が完了してからもう二日も経っておりますよ、お体はどうですか?」
「あ、なんかぐっすり眠れて最高でした」
「それはよかった、奥様の不治の病が治ったと町中お祭り騒ぎですの!出店まででちゃって、帰りに是非クレイドと寄っていってくださいな」
呆気にとられる私を置いて年配のメイドはニコニコとご機嫌で、色々喋り倒して、クレイドを呼んできますね!と慌ただしく出ていった。それだけ女主人たるクレイドの母親を慕っているのだろう。私への対応も明らかに変わっている。
置いて行ってくれた水を飲んで一息つくと、再びバタバタとした足音がして扉が乱暴に開け放たれた。クレイドが駆けつけてくれたようで、息を切らせて立っていた。つかつかと私の下へ来ると、ベッドに座る私の前に跪いて手をとった。
「感謝している、本当に、ありがとう」
唐突な対応に、私は驚いて言葉も出ない。私の手に額をこすりつけるような、まるで騎士の誓いのようで、動揺した。
「あ、あの、そんな大げさな」
「アンタが何であれ、俺にとってはアンタが聖女だ」
「・・・どういう・・・?」
「誓わせてくれ、護衛として、婚約者として」
ぐっと眉間に皺を寄せ、険しい表情を作るその瞳から、ぼろりと涙がこぼれたのを見て、私は何も言えなくなった。
ただ、その忠誠というものを受け取るしかできなかった。
◆
聖女への誓いの光景、あの時のクレイドを見ていて浮かんだ疑念。
もしかして、私がマリアンジュでないと気づいているのかも、という考えが頭から離れない。
その癖私は問い詰めることができずに、何食わぬ顔で一緒にいる。
あなたの聖女じゃないし、婚約者でもないと気づいていて、それでも誓ったのか。
ぶんぶんと頭を振って余計な考えを吹き飛ばそうとする。
クレイドのお母様は暫くの安静ののち、医者の診断でも完全に治癒していることが確認されて屋敷の中は祝賀ムード。外でも不治の病が治った、奇跡だとお祭りムード。
私が暗い顔をしているのは雰囲気がよくない。
「是非もう一泊していってちょうだい」
「ですが、私が寝込んだのもあって予定より延長していますので・・・」
元気になって興奮気味のお母様が、溌剌とした様子で私とクレイドを引き留める。
「一応連絡はしたが、教会はきっと本部への召喚を希望するはずだ」
「なら尚更だわ、祭りにも参加してほしいし」
お母様は随分周辺の人から慕われていたのだろう。地元の名士として有名ならしく、その復活はもちろん、治療した私の名前も掲げてお祭りは盛り上がっているようだった。
顔色はよくなったものの、ずっと寝たきりだった細い脚で歩くことはまだ難しく、これからリハビリを頑張るらしい。メイドたちに支えられながらフラフラと私たちに近づいてくるお母様を無下にはできず、結局私たちはもう一泊、そしてお祭りの様子を見に行くこととなった。
「うわぁ、本当に凄い」
「被ってろ、聖女だとバレたら面倒だ」
白い神官服に金髪となればすぐにバレてしまうため、お母様が貸してくれたドレスと帽子を身に着けたのだが、高そうな刺繍に華やかな色合いに、とイマイチ落ち着かない。最近ずっと白だったからな・・・濃い紺ってどうなのか。
「・・・似合ってるな」
「そ、そうですか・・・?どうも」
クレイドからの視線が、どうにも甘やかに思えて仕方がない。落ち着かないまま頬に熱がこもっていないか確かめて、俯いた。帽子で遮られたが、クレイドは腕を差し出してくれて、エスコートをしてくれる。
今までも何度かしてくれた仕草だが、なんだかより婚約者としての立場を知らしめるように思えて、指先が震えてしまう。賑やかな祭りなのに、妙に自分の周りは静かに感じた。
「とりあえず、何か飲むか」
「そ、そうですね!クレイドは何がお好きです?」
パッと顔を上げた瞬間に肩を引っ張られてバランスを崩してしまう。
何を、と思う間もなく目の前で赤い鮮血が舞った。
自らの腕を盾にして、ナイフから私を庇うクレイドの姿を理解したのは地面に投げ出されてからだ。
刺した男も、クレイドも、そして私さえ何も言えずにいた。周囲にいた祭りの参加者たちが状況を理解して悲鳴を上げたが、ひどく現実感がない。
クレイドの腕に刺さったナイフを襲って来た男が無理に引き抜けば、噴水のように血が飛び出て、私は息をのんだ。だが二人はまるで気にした様子もなく、サッと距離を取ったかと思えば素早くクレイドは己の剣を構え、男は追加でナイフを何本も見せびらかした。
そのナイフを私に鋭く投げて、クレイドの剣がはじいた。
その時ようやく、襲われているのは私か、と座り込んでいる情けない自分に気づいて無理やり深呼吸をした。立ち上がって逃げないと、周囲を巻き込んでしまう。だが、周囲の人たちは遠巻きにしているとは言え二人を中心に円形に取り囲んだままで、そこに飛び込んでいいのか。
その間も、キンッと刃物をはじき合う音が続き時折赤い雫が飛んでいる。
怖かった。心臓が掴まれているように呼吸が苦しい。
男はクレイドと対峙しつつも時折本命はお前だと言わんばかりに私へ刃物を向けた。
そう思うと私が逃げないとこの場は収まらないのだと、もつれそうな脚で人のいないところへと走った。
そんな私の無防備な後ろ姿を、男が見逃すわけもなく今までよりも力いっぱいナイフを投げつけられた。
「マリアンジュ!」
「クレイド?!」
その身を挺して庇ったのだと、彼の肩と胸に刺さったナイフを見て理解する。咄嗟に足は止まり、身体を反転させていた。治さないと、と思ったのだ。
倒れ込んだクレイドへ縋りついた私を見下ろすのは、襲撃してきた男。被り物をして、顔はわからないが体格や手足を見れば、男だと分かる。そしてそのマントの下が神官服であることも。
「聖女マリアンジュ?」
「何?そうよ!」
「聖女などいない、その名は原典にはない」
そうでしょうとも、土色の聖書に聖女の名前はない。
金色の聖書は歴史が浅い娯楽本。それが、土色派の主張だ。
さぞかし気に食わないでしょうとも、こんな不治の病を治した聖女の祭りだなんて。
男がナイフを私に振り下ろす間に、色んな推測や罵倒が頭に浮かんだ。
死んでたまるか、この身体はマリアンジュのもので、私は仮初であろうと聖女なのだと一丁前に出たプライドで目をそらさずクレイドを守るように抱きしめた。
別のナイフが、男の腕に刺さった。
そう見えた。
振り下ろされたナイフは勢いを弱めて、私の横へすっぽ抜けていく。
呆気にとられた間に私の腕の中にいたクレイドが勢いよく起き上がり、男は剣に貫かれて、素早く覆面を剝がれる。私はそのスピードについていけず、落ちていたナイフをクレイドが投げつけたんだ、とかそんなことを遅れて認識して、座り込んだまま見守ってしまう。その間に二人の戦闘はさらに進む。
「誰からの指示だっ!本部が関わって・・・げほっ?!」
男の腕を切り落とし、抑えつけて尋問していたクレイドは急に咳き込んで眩暈がするのかバランスを崩す。様子がおかしい。私には呼吸困難が陥っているようにしか見えない。
「クレイド?!どうしたの!」
「・・・」
意地をはるように男の拘束を緩めないが、そんなクレイドをただ無言で冷徹に見つめる男に、これは男が意図して引き起こしたことだと思った。
「答えて、お前クレイドに何をしたの」
「・・・」
思わず傍にあったナイフを突きつけてそう聞いたが、男は腕の流血を気にした様子さえない。これはもう自分の命を諦めていて、ただ成果として私の護衛を奪っていこうという意志が見えた。
わなわなと震える唇をぐっと噛みしめて、私は周囲の人たちに呼びかけた。
「お願いします、誰かこの男を拘束できるものを!」
「せ、聖女さま?」
「はい、この者は私を暗殺しようとしました!私は護衛を助けねばなりません!手を貸してください」
乱れて露わになっていた金髪を、帽子を取り払い見せつけ、哀れっぽく声を上げた。気づいたものから次々と聖女さま、聖女さま、と呼びかけられ、彼らは血まみれの男を拘束し、警邏の人間を呼び寄せ、クレイドを横たえてくれた。
痙攣をおこしているクレイドの身体を撫でて、治癒の魔法を使用する。
(どう考えても毒だ)
傷の修復はできるが、治癒の魔法で毒の対処ができるのか考えたこともなかった。だが、わかっていればきっとできる。お母様の治療からぐっすり睡眠をとって、魔力も回復している。毒消しなどわけもないはず、と一気に魔力を追加していく。それに応じて散布される光は強く広がり、周囲の信者が跪くほどだった。
「・・・いい、別に治さなくても」
「クレイド!意識が戻ったんですね、一気に治してるので疲れるかもしれませんが・・・」
「・・・俺は、どうせ」
何て言うとしたのか、どうせ余所者だから、とかだろうか?なんでもいい。
私の手を拒もうとするクレイドの手を跳ね除けて、容赦なく治療していく。呼吸が問題なくなっているなら、毒は消えたはずだ。それでも流血した血は取り戻せない。
「あんたは、俺でいいのかよ・・・」
「よくわからないですけど、せっかくお母さんの病気が治ったのに、貴方が死んでどうするんです。最低ですよ!大人しくしててください!」
ぼそぼそとしたクレイドの譫言に腹が立って、私は一喝した。
それにどう思ったかはわからないが、少し表情を緩めて笑ったクレイドはそのまま意識を落とした。
焦った。まだ完治とはいえないし、死んだのかと思わず手を止めた。だがペタペタと首筋や心臓を確認したところ、おそらくは疲労などで気絶した可能性が高い。治癒を使いすぎて少々熱っぽくなっている様子もある。
私は周囲の方々にお願いしてクレイドを運んでもらい、警邏の人やら教会の人間にも説明、報告、連絡、事務手続き、事務手続き、と異様に目まぐるしい状態となった。その間クレイドは放置だったが、ほぼほぼ完治していたのもあって、一日経つか経たないかといった程度で目を覚ました。
クレイドのお母様が息子の無事を喜び、私へ一番に報告しにきてくれた。皆で目を覚ました彼を見舞えば、こちらのはしゃぎように逆にうんざりしたような態度をとった。
お母様とクレイド両者の体調を鑑みて人は掃け、部屋には私とクレイドの二人だけになった。沈黙は、重い。それは私だけが感じていることもかもしれない。私は、きちんと自分のことを話そうと決めたのだ。
「あの男、自害したんだろ」
「えっあっはい!」
先に口を開いたのはクレイドで、私は不意を突かれて肩をすくませてなんとも言えない返事をした。クレイドは凪いだ瞳をして私へ問いかけた。
「アンタが聖女として名を上げれば、また暗殺者は来る」
「・・・!」
ベッドの縁にかけた私の手を、握られた。ただそれだけなのに、嘘を許さないと言われている気分になった。
「マリアンジュじゃないんだろ」
「え・・・どうして」
「アンタがマリアンジュじゃないなら、聖女なんて危険な名前背負わなくてもいい」
「待って、私は」
「マリアンジュのことは、金で契約した」
懺悔するように、クレイドは強く私の手を握りしめた。祈るようなその仕草に、彼の手を包むように私も握り返した。
「母さんの治療のために、聖女の治癒が欲しかった。よそ者の俺が相手されるわけなくて、莫大なお布施で聖女に近づいて、マリアンジュ個人とも金で契約した」
「マリアンジュ個人と・・・?」
「アイツは質素倹約の共同生活を嫌って、個人的に使える金を欲しがってた。だからアイツは継続的な母さんの治療、俺はその間アイツの便利の財布と小間使いになることで了承した」
「・・・え?」
あの屋敷って聖女待遇っていうか、クレイドが買ってくれたってこと?まって?
「・・・お前がマリアンジュじゃないことなんて、とっくに知ってる」
「・・・え?え?」
情報量に私が思わず言葉を失っていると、クレイドがとんでもないことを言いだした。
「ば、バレ・・・?!いや、結構頑張ってたよ私」
「・・・頑張ってたのは見ててわかった」
クレイドの渋い顔に、頑張っていたけど上手くはなかったらしいことを悟って、気が抜ける。ついでに羞恥心がこみあげて、わわわ・・・と意味不明な言葉が纏まらずに飛び出る。
「待って、待ってください、あの、あの他の人は」
「他の奴らも変に思ってたが、俺みたいには気づいてない」
「なん、なんで?!」
「聖女さまもようやく打ち解けてくれたのねっていい風に解釈してたぜ」
「それはよかった!それはよかったけど!クレイドさんはいつ気づいたんですか?!ずっとこいつ偽物だなぁ~って思いながら一緒にいてくれたんですか?!」
私はなんだか拗ねてしまいたい気持ちになりながらクレイドへ詰め寄った。
「・・・一番最初」
「えっ最初?!」
なんとか乗り切ったぜって思ってたのに?!と私は衝撃を受けた。
クレイドは苦笑半分、意地の悪い笑み半分で言った。
「呼び捨てなんて自分の立場をわかってないの?マリアンジュ様でしょ?ってお前が言ってたら疑わなかったさ。いつもみたいにブチ切れながらソラの餌持って帰っただろうよ」
ぽかん、と間抜けに口を開いて私は首を傾げた。
それに対してクレイドがネタ晴らしをするように次々とマリアンジュ様の話を披露する。
「最初は影武者だと思ったんだよ、そっくりなくせに全然似てなかったから。謝罪の言葉なんて一つも知らないんじゃねぇかって女だぞ。なのにソラを相手に自分で肉茹でて必死に懇願してる情けない姿みたら、誰だこれってなるだろ。あれは笑った。マリアンジュの姿で面白いことしやがってって思ったな」
くくくっと喉を鳴らして笑う。
「飯だって全部俺が作ってた。たまに教会。あいつ聖女のくせに精進潔斎の日を守りたくないから屋敷で自炊って形にしてたんだよ。だからアンタがパンにジャムだけで済ましてるのも熱だからって粥だけで満足すんのも妙だった。信者や教会向けの外面の情報だけしか知らないのかと思った」
クレイドは心底面白そうに私を見つめて、まだ言い足りないのか、あぁそうそうと続けた。
「だいたいソラだって、自分に相応しいから、とかで信者に強請って貴重な白い妖精猫貰ったくせに、自分じゃ世話は一つもしねぇし、写真や外遊の時だけ無理やり連れて行くんだぜ。妖精猫って頭いいもんだから一つもなつきやしねぇ、それも気に食わないみたいで何かと八つ当たりしてきて、本当にうんざりするぜ」
イラついたように天を仰いで拳を握ったクレイド。
私はアップデートできない情報に、もはや涙目だ。
「なぁ、俺アンタが必死になって聖女さまごっこしてるの、結構好きだったんだぜ。可愛くて」
「か、かわいい・・・?!」
「日に日にさ、このまま影武者のままで本物戻ってこないで欲しいなって思って・・・」
握られていた手が離れて、私の頬へ触れる。ぐんと近づいた顔に、私はくらくらした。
「でも、アンタは本当の聖女だった」
「・・・うん」
「影武者だと思ったら、しっかり聖女の治癒魔法を使ってて・・・本物なんだって。なら、母さんの治療をしてもらえると思った」
何も知らないだろうアンタに、母さんの治療の話をしたのはそのタイミングだ、と囁くように言われた。罪悪感にまみれた声だ。額と額をくっつけて、お互いのまつ毛が当たりそうな距離が、ドキドキするよりも先に神聖で清らかな儀式のように思えた。
「今までなら、追加のお布施を寄こせとかこれ以上は治癒できないってよくごねられた。不治の病だから、仕方がないとわかってたけど、金を引き出すために母さんの命の期限を調整されてるみたいで、気に食わなかった」
「・・・うん」
「アンタが、一気に全部治すって言って・・・マリアンジュとの契約が終わるんだって思った」
そうだ、お母様は治ったから、婚約者という名の小間使いでも財布でもない。クレイドが護衛を続ける必要さえない。それに気づいた私は、ハッとした。前傾していた身体を起き上がらせて、クレイドから離れる。
「悪い、アンタの命と母さんの命を天秤に乗せた」
「・・・いいえ、誰ともしれない私とお母様では」
「だから誓いなおしたんだ。アンタがなんであれ、俺にとっての聖女はアンタだけだから」
金の契約も母親の病という重荷も全部なくなったから。とクレイドはベッドから立ち上がって私を見下ろす。私も思わず立ち上がって、二人で向かい合った。
「言っただろ、俺とマリアンジュの契約は終わった。影武者か何か知らんがアンタがどこの誰であろうと、俺は聖女の護衛で、アンタの婚約者でありたい」
「わ、私・・・どこの誰っていうか・・・」
「・・・アンタがいいって言ってる」
「そ、それは聖女だから?」
「聖女は命を狙われる。辞めて欲しいのが本音だ」
「・・・お母様を治したのは、マリアンジュがそうしてたからだよ」
「絶っっっ対してない」
さっき言っただろうが、あいつは毎回ごねてたって。クレイドがあまりに力強く言うので、私は笑ってしまって、その拍子に溜まっていた涙がぼろりとこぼれた。
「じゃぁなんで、あの時私の治療を拒もうとしたんですか」
「アンタが聖女なら、俺はなんだ」
襲撃してきた男に刺された際、俺なんかと言って治療を拒んだ。蟠りになっていたそのことを私は尋ねた。
「金で買った婚約者って立場で胸は張れねぇ、聖女を命がけで守った護衛のほうがいいんじゃねぇかって思った」
「・・・ば、ばかぁ・・・」
私はズルズルとクレイドに凭れかかりながら脱力して座り込んだ。お尻をつけて座り込む私に戸惑ったクレイドは、どうした?と嘆く私の肩を抱いた。
「馬鹿ですよぉ~私、全然聖女じゃないんですよぉ~」
腹立たしくてクレイドの胸を何度か叩くが、全然効果はないようだった。
「ただの浮遊霊なのにぃなんか本にも新聞にも載ってる凄い聖女さまになんかなっちゃって、全然意味わからないけど皆を失望させちゃ駄目だなって頑張って聖女っぽくしてるだけなのに、本物の聖女さまにいつか身体も生活も返さないといけないって思ってるのにぃ、クレイドのこと手放したくないなって思っちゃった私になんか命捧げないでくださいぃ~!」
祈りを捧げる聖女さまが悪霊みてぇな存在だったら嫌かなって!
婚約者が中身別人の化け物になってたら可哀そうだなって!
本物の聖女さまが救う人たちが私のせいで救われなかったら駄目だなって!
色々思ってたのに、私が聖女さまの力を使えるもんだから、すっかりその気になってしまった。
使命感なんて似合わないものを抱えて、クレイドという婚約者へ独占欲まで覚えた。
泣いて怒ってとする私を宥めるように背中を撫でられて、私は幼児のようにしゃっくりを起こしながらクレイドへ力いっぱい抱き着いた。よくよく考えれば、これだけ接触するのは初めてだった。
「・・・・なんか、すまん」
くしゃりと頭を撫でられて、私の金髪が乱れる。
そのまま顔を持ち上げられて、泣いている不細工な顔を見られたくないなと思った。
「・・・なんの肩書もない、ただの俺と、アンタでも」
「うん」
「俺の言う言葉は変わらねぇ。アンタは」
「わ、わたしも・・・好きだから、婚約者であってほしい」
綺麗な銀髪と同じ色のまつげ、眇められた瞳に見惚れている間に、唇が降ってきた。
◆
「ゴーストの時のこと、覚えてないのか」
ようやくお祭り騒ぎも落ち着き、お母様も元気いっぱいで、クレイドの体調も万全。私たちは牛飼教会へ戻って来られた。
これから教会本部へと向かったりしなければいけないが、ひとまずとソラを構ってやりながら私のことを説明すれば、私が異世界の浮遊霊であったことの話になった。
「ふんわーりとした記憶しかないですね。ぼんやり死んだなぁ、成仏しちゃうの嫌だなぁ、とかあの人陰鬱そうでいいなぁ、とか」
「ふわふわしてんな、とてもじゃないが悪魔ではなさそうだ」
「ただの浮遊霊です~!だから聖女様に憑依したなんて荷が重すぎて」
帰って来た途端二人の間を行ったり来たりして、座っている二人の間に割って入って挟まれることを選んだソラを、二人がかりで撫でまわしながら、そんな話をする。聖女ごっこの苦労をこぼせば、クレイドは沢山面白かった点を指摘してくれる。お互いにどっきりのネタ晴らしをしているようだった。
「本当に憑依なのか?元々お前の魂だったんじゃねぇの」
「元々私・・・転生ってこと?」
転生かどうかはわからん、と言われる。
「本来の聖女はお前で、あの性悪女こそが乗っ取ってた」
「わからない・・・」
「ただの憶測だ。確かめられないんだから、どこにも真実はない・・・アンタが不安になる必要はない」
いつか元のマリアンジュさまが戻って来るのではないか、という私の不安に対して、なんとも都合のいい辻褄をいくつか出して、私の心をほぐそうとするクレイドに小さくお礼を言う。その肩に凭れれば、間にいたソラが身をよじって私の膝に乗ってきてくれた。ふわふわとした毛並みに、留守中もしっかり誰かがブラッシングしてくれたのだと嬉しくなる。そうしてソラを撫でまわしていると、クレイドが私の頬へ触れる。
「ゴーストでなくなって良かった。触れられる」
「・・・うん、私も生きてるって気がする」
クレイドの手は、人より少し温かい手の気がする。
「なぁ、名前は?ゴーストより前のことは覚えてないのか」
ずっとアンタと呼びたくない、というクレイドは律儀な人だなと思う。
私の記憶は幽霊の時もさらに生前の時もふわふわとしていて、なんの役にも立ちそうにない。でも少しだけ思い出したことがある。それが名前。
「あのね、マリ」
「マリ?」
「そう、マリって呼んで」
クレイドは小さく笑って内緒話をするように耳元で囁いてくれた。
貴方がそう呼んでくれるなら、私いくらでもマリアンジュを演じられるわ、と私は思った。




