雲と一緒に流れて届いたらいいのにな
「あー……また流れてっちゃうよぉ」
私は今、自宅のベランダで大の字に寝転がりながら春の青空を見上げている。その青空を、綿菓子みたいな真っ白でもこもこした雲が、ゆっくり、ゆっくり西へ流れていく。
「そっちは……アイツ、今頃何してるんだろ」
雲が流れていく方角には、幼馴染の晴希──ハルがいる高校がある。昔からよく一緒につるんで遊んでいたんだけど、中学校を卒業して高校が別々になった。名前を思い浮かべただけで、胸の奥が少しだけ忙しくなるって気づいたのは、それからしばらくしてからだった。
「雲に乗れたら、すぐ行けるのにな……」
ぽつりと呟いてから、自分の言葉に恥ずかしくなる。
何言ってるんだろ、私。
ポエムかよ。
顔の熱を誤魔化すみたいに足をばたつかせたら、勢い余ってコツンと壁にぶつけてしまった。
「いったぁ……。もう、今のなしなし。誰も聞いてないよねー」
「……乗れるわけないだろ。物理的に」
「ひゃあっ!?」
その声を聞いた瞬間、時間が一拍止まった気がした。
「ハ、ハル!?」
跳ね起きて振り返ると、側に立っていたのは、見慣れた無愛想な顔。
「な、ななななんでここに……!?」
「美空の兄貴に借りてたゲーム、返すの忘れてたんだよ」
それだけ言って、当然みたいに私の隣に座る。
待って!距離、近いー!
さっきまで広かった空が、急に狭くなった気がするよ!
やっば……心臓が勝手に速くなってる。
「で? 雲に乗ってどこ行くんだよ」
横目でニヤッと笑うハル。
ううっ、その余裕が腹立つ!
「べ、別に! どこでもいいでしょ! ただ……ちょっと、いいことありそうだなって思っただけ!」
ほんとは違うけど。
「ふーん。その『いいこと』ってさ」
ハルが少しだけ体を寄せてくる。
ちょっと待って!平気なフリするのも大変なんだってば!もう!
そしたらハルの奴ったらニッと笑ってこう言ったんだ。
「……俺のことだったりする?」
「――っ!?」
やばい。突然すぎて言葉が出ない。
否定しなきゃって思うのに、喉の奥で引っかかる!
代わりに出てきたのは───
「じ、自意識過剰! ハルなんて、ただの……ただの……!」
――そっから先なんて、言えるわけ、ない。
「ただの、幼馴染でしょ!」
少しだけ、声が震えたのが自分でも分かった。
ハルは一瞬だけ黙って、それから肩をすくめて見せた。
「ひどいな。せっかくこれ持ってきたのによ」
そう言って差し出されたのは、小さな包み。
駅前の超人気のいちごみるく大福だ。
「……え、それ……!」
「たまたま寄ったら、余ってたんだ。美空、食べたがってたろ?」
嘘だ。絶対。
だってあのお店、いつもいっぱい人が並んでるの、私知ってるもん。
包みを受け取ると、まだほんのり温かかった。
出来たてを買ってすぐ持ってきてくれたんだって、分かってしまう。
「あ、ありがと……」
小さく呟くと、ハルは何も言わずに隣で空を見上げた。
二人で並んで、いちごみるく大福を食べる。
甘くて、少しだけ酸っぱくて。
その味が、胸の奥にじんわり広がっていく。
こういう時間が、一番好きだ。
言葉にしなくても、隣にいられる時間。
「ねえ、ハル?」
その時の私は、多分どうかしてたんだ。
「空見ててさ……私のこと、思い出したりする?」
「………は?」
聞いた瞬間、後悔した。
でも、もう遅い。でも、だからこそ怖い。
この関係が壊れたらって、考えてしまう。
ハルはしばらく黙ったまま、流れていく雲を目で追っていた。
その横顔は、少しだけ真剣で。
「……毎日見てる」
ぽつりと落ちた言葉にドキリとする。
「雲がそっちに流れるたびにさ、『あー、あいつ今ごろまたアホなこと言ってんだろうな』って思ってる」
「それ悪口!」
思わず返したけど、心は少し軽くなる。
でも、次の言葉でまた揺れる。
「……でも」
ハルが少しだけ声を落とす。
「逆に流れるときは、ちょっと安心する」
「え……?」
視線が合う。
その目は、いつもよりまっすぐだ。
どうしよう、逃げ場がないよ。
「俺さ――」
言いかけて、ハルは口を閉じた。
ほんの一瞬だけ、迷ったみたいに。
「……いや、なんでもない」
「なにそれ! 気になるんだけど!」
思わず身を乗り出す。
するとハルは、小さく息を吐いてから、また空を見上げた。
「俺の気持ちがさ」
ゆっくり、言葉を選ぶみたいに。
「そのまま流れて、お前のとこまで行ったら――」
そこで、言葉が止まった。
続きが来ない。
「……行ったら、なに?」
我慢できなくて聞いてみたけど、自分でも分かるくらい、声が小さくなる。
ハルは少しだけ笑って、ごまかすみたいに立ち上がった。
「続きは、また今度、な」
「ずるい!」
ハルがポケットに手を突っ込んだまま、振り返る。
耳が少し赤い。
多分、私も。
「明日は、西から東に風吹くらしいぞ」
「……だから?」
「……待っとけよな」
ハルはそれだけ言って、手を振りながらさっさと階段へ向かった。
「ちょっと待ってよ! それってどういう――」
呼び止める前に、ハルの姿は消えてしまった。
私は一人でベランダにまた寝っ転がった。
でも、さっきまでとは、何か世界が違って見える。
空を見上げると、雲がゆっくり動いている。
「……明日は、ハルの方から、か」
胸の奥が、じんわり熱い。口の中に大福の甘さが、遅れて広がる。
「たまにじゃなくて……毎日でも、いいのに」
私はスマホを手に取ってメッセアプリを開こうとしたけれど、スマホに映った自分の顔を見て、ベッドに放り出してしまった。
あーあ、なんて顔してんのよ、私。
まだ、「次の一言」を言う勇気は……ないな。
それにさ。こっちから言うのも、なんだか悔しいし。
でも、明日?
……待って明日ぁ⁉噓でしょ?
空の上では、次の雲が形を変えながら西へ進んでいる。
熱くなった頬っぺたを、流れる風が優しく冷やしてくれてる気がした。




