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7話

ギルドの重い扉が閉まる音が、今のカイルにはひどく冷たく感じられた。 手には、端が少し折れ曲がった『スライムの駆除依頼』の紙。アルテミスを囲んでいた熱狂が、扉一枚隔てただけで遠い異世界の出来事のように思える。




(……やるしかないんだ。今は、これしか)




カイルは一人、西門へと続く石畳を歩いた。行き交う冒険者たちは、期待が寄せられるアルテミスとは違い、カイルには見向きもしない。 門を抜け、街道から外れてまどろみの森の入り口へ着く頃には、朝の冷気は湿った森の匂いに変わっていた。




カイルは短剣を抜き、慎重に草むらを掻き分ける。 湿った土の匂いと、腐った葉の不快な感触がブーツ越しに伝わってきた。 その時、足元の泥が不自然に盛り上がり、粘り気のある音を立てて半透明の塊が姿を現した。




「……っ、この、野郎……!」




不意を突かれ、カイルはぬかるみに足を取られて膝をついた。慌てて短剣を突き出すが、なまくらな刃はスライムの弾力ある体表にヌルリと滑り、核まで届かない。まともに斬りつけても、肉厚のゼリーに刃を吸い込まれるだけだ。逆に組み付かれれば、酸で皮膚を焼かれる。カイルは泥にまみれ、膝をつきながら、必死にスライムを観察した。



(どこだ……核はどこにある……!)



蠢く粘液の奥、不自然に光を屈折させている小さな球体を見つける。 カイルはあえて自分を餌にしてスライムをぬかるみへと誘い込み、奴の動きが鈍った瞬間——。



「そこだ……っ!」



斬るのではなく、体重を乗せて突き刺した。 短剣の先が核に触れた瞬間、嫌な抵抗感が手に伝わる。カイルはなりふり構わず、その核を何度も、執拗に抉った。



「キュゥ……!」と嫌な音を立ててスライムが霧散し、小さな魔石の欠片——「核」が地面に転がった。



「……はぁ、はぁ……これで、やっと一体目か」



全身、スライムの粘液でベタベタだ。安物の革鎧からは酸で焼けた嫌な臭いが漂い、指先は疲労で震えている。たった一体を倒すのに、命懸けだ。




「あいつなら……今頃、もっとスマートにやってるんだろうな」




カイルは顔に付いた泥を拭い、次の獲物を探して暗い森の奥を睨みつけた。




一方、同じ刻。 東門から数キロ離れた草原では、乾いた破砕音が響き渡っていた。




「……はぁっ!」




アルテミスの放った細剣が、一閃。 たった一撃で、三体のスライムが同時に弾け飛んだ。彼女の銀色の刀身には、魔力の余韻が青白い火花となって散っている。




「素晴らしい! 初陣で複数の獲物を同時に!」 「おい、今の斬撃すげぇな」




周囲を囲むベテラン冒険者たちが、賞賛の声をあげる。 アルテミスの装備には、傷一つついていない。泥も、返り血も、スライムの粘液さえもついていない。




「……ありがとうございます」




アルテミスは礼儀正しく頭を下げた。 けれど、その心は冷めていた。 どんなに絶賛されても、どんなにステータスに見合う成果を出しても、彼女の胸に宿るのは達成感ではなく、ひどく乾いた虚無感だった。




(……昨日のあの、喉が焼けるようなお酒の方が、ずっと『生きてる』感じがしたわ)




彼女は、自分を褒めそやす大人たちの向こう側、カイルが向かった西の空をそっと見つめた。




夕暮れ時。 カイルは、ボロボロになった身体を引きずるようにしてギルドへ戻った。 手に入れたのは、スライムの核が五個。 報酬は、約束通りの銅貨10枚。




「……お疲れ様でした。」




受付の職員は、泥まみれのカイルを前にしても表情を変えず、淡々と報酬を差し出した。カイルはそれを受け取ると、重い足取りでギルドを出た。 ちょうどその時、アルテミスのパーティとすれ違った。




彼女は、大量の戦利品を持っていた。 目が合いそうになり、カイルは咄嗟に顔を逸らした。 泥まみれの自分と、光り輝く彼女。その差を突きつけられるのが、今は少しだけ怖かったからだ。




カイルは宿の外にある水桶で、最低限の泥と粘液をバケツの水で洗い流し、宿で休憩をした後、あの酒場へと向かった。




(……あいつは今頃、今日一緒に行動したパーティーの人と高級な店で肉でも食ってるんだろうな)



夕暮れ時に見た、輝く彼女の姿が脳裏をよぎる。 朝の約束なんて、今の彼女にはもう価値のないものかもしれない。わざわざ俺と会うために、『角杯亭』へ来るはずがないんだ。



「……無駄骨、だったかな」




自嘲気味に呟きながら、煤けた提灯の下を潜る。 店の扉を開けた瞬間。




「遅い。……結構待ったわよ、カイル」




カウンターの隅。 そこには、昨日と同じ席で、果実酒のグラスを手に不満げな顔をしたアルテミスが座っていた。




「……アルテミス。君、今日一緒に行ったパーティーの人と食事をせずに、こっちに来たのか?」




「当たり前でしょう。私は、『同期』と飲むって決めてるの」




彼女はそう言うと、カイルの隣の席をポンポンと叩いた。 カイルは呆れたように笑い、彼女の隣に腰を下ろした。




「親父、エールを。……あと、今日はこっちの嬢ちゃんの奢りで。俺の何倍も稼いでそうだからな」




「ちょっと! ……ふふ、いいわよ。今日は私の完勝だもの」




二人の笑い声が、酒場の喧騒に溶けていく。 外の世界がどんなに残酷でも、この場所だけは、二人の「格差」を笑い飛ばせる場所だった。

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