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5話

その時、酒場の扉が勢いよく開いた。 入ってきたのは、全身に返り血を浴びた三人組の冒険者だった。彼らの首元には、銀色のBランクプレートが光っている。


「親父! 出せる限りの一番強い酒を持ってこい! 祝杯だ!」


リーダー格の男が叫ぶ。店内がどよめきに包まれた。聞けば、彼らは王都郊外に現れた「はぐれワイバーン」を、死闘の末に討伐してきたのだという。


酒場全体が、彼らを称える歓声に包まれる。Bランク。それは、この世界の冒険者の9割以上が到達できない、努力の極致にある領域だ。


カイルも、その熱狂の中に身を置いていた。 これまでの彼なら、そんな英雄たちを見て、自分の惨めさに打ちひしがれていたかもしれない。しかし、今の彼の隣には、将来その英雄たちを軽々と追い越していくであろう天才少女が、林檎の酒で顔を赤くして笑っている。


「……凄いね。Bランクか」


アルテミスが、尊敬の念を込めて彼らを見つめる。


「アルテミスなら、すぐに追い越すよ。それこそ、瞬きする間にな」


「……そうかしら。でも、もし私がAランクになっても……カイル、あなたはこうして、隣でお酒を飲んでくれる?」


彼女の言葉は、酔いのせいか、少しだけ甘えるような響きを含んでいた。 カイルは、ドクンと鼓動が速くなるのを感じた。アルコールで火照った頭が、さらに熱くなる。


「……ああ。君がどれだけ偉くなっても、この店に来るなら、俺が隣を陣取ってやるよ。君が強い酒を間違えて頼まないように、見張ってなきゃいけないしな」


「ふふ、約束よ? 破ったら……Aランクになった私が、カイルにデコピンしちゃうんだから」


「勘弁してくれ、頭が吹き飛ぶ」


二人の笑い声が、Bランクたちの凱旋報告と混ざり合い、天井の煤けた梁へと昇っていく。


夜は、あまりにもゆっくりと過ぎていった。 カイルは、自分が何度も同じ話を繰り返していることに気づいていた。自分が育った田舎の村の話。不器用な親父の話。冒険者になろうと決めた、なんてことのない理由。 アルテミスも、自分のことを少しずつ話し始めていた。圧倒的ステータスを持って生まれたがゆえの孤独。周囲からの過剰な期待。そして、本当はただ、普通に街を歩いて、美味しいものを食べたかったのだということ。


やがて、酒場の床には酔い潰れた冒険者たちが転がり始め、店内の魔石の光も、夜明けを予感させるように微かに弱まってきた。


「……ん、カイル……もう、飲めない……」


アルテミスが、カイルの肩にコテリと頭を預けた。 彼女のプラチナブロンドの髪がカイルの頬を撫でる。 カイルも、視界がぐわんぐわんと回っていた。心地よい浮遊感。


「……俺も、限界だ。……親父、会計……」


カイルが震える手で財布を取り出そうとすると、店主が呆れたように鼻を鳴らした。


「……ったく、初日から随分と出来上がっちまって。ほらよ、会計はまとめて銅貨5枚だ。端数は負けてやる。……そのお嬢ちゃんを、ちゃんと宿まで送り届けてやれよ。天才だろうが何だろうが、今のアイツはただの酔っ払いだ」


「……分かってるますよ。……ほら、アルテミス、起きろ。朝が来ちゃうぞ」


カイルは、ふらつく足取りで立ち上がり、アルテミスの細い肩を支えた。 彼女は「むにゃ……」と小さな声を出しながら、カイルの腕をぎゅっと掴んできた。


酒場の重い木扉を押し開けると、冷やりとした夜明け前の空気が、二人の火照った顔を撫でた。 東の空が、うっすらと紫がかった白に染まり始めている。


エリュシオンの街は、まだ眠りの中にある。 石畳の道を、レベル1の凡人と、レベル1の天才が、互いに支え合いながら、千鳥足で歩いていく。


「……カイル。明日も、ここに来る?」


アルテミスが、眠そうな声で尋ねた。


「……明日は、初仕事だろ。……終わって、もし生きてたらな」


「……絶対に、生きてて。……これは、命令よ。Eランクの同期としての……」


「命令なら生きて帰ってくるしかないな。」


二人の影が、月明かりに照らされた街路に長く伸びていく。 これから彼らを待ち受けるのは、残酷な数値と、血生臭い戦いと、容赦のない格差の世界だ。 しかし、少なくともこの夜、この瞬間だけは、二人の間に「差」など存在しなかった。


ただの、酒を愛する不器用な二人の若者が、そこにいるだけだった。

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