3話
カイルの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
目の前にいるのは、数時間前に冒険者ギルドで注目を浴びた少女だ。プラチナブロンドの髪がフードの隙間からこぼれ、店の魔石の光を反射して、この薄汚れた酒場には不釣り合いなほど白く輝いている。
彼女の瞳は、近くで見ると透き通るようなサファイアの色をしていた。しかし、その瞳はいま、見たこともないほど激しく揺れ、困惑に満ちている。
「あ……」
彼女は小さな声を漏らした。その声は、ギルドで見せた凛とした響きとは裏腹に、どこか幼く、そして震えていた。
「……え、あ。君は……さっきの」
カイルは言葉を詰まらせた。まさか、あの「次代の英雄」が、こんな場末の酒場で、しかも一人で、今にも泣きそうな顔をして琥珀色の酒と睨み合っているとは思わなかったのだ。
「……毒じゃないのよね?」
その言葉に強気な響きは一切なかった。ただ、知らない世界に放り出された者の切実な確認だった。
「毒じゃないよ。ただの……いや、この店で一番強い酒だ。」
彼女は、手元のジョッキとカイルを交互に見つめた。そして、意を決したようにカイルに問いかけた。
「……でも、教本に書いてあったの。『冒険者は酒場で交流を深めるべし』って。そして、『頼むべきは、その店で最も強いもの』……それが、強者の嗜みであり、周囲に舐められないための鉄則だって……」
「どんな教本だよ、それ」
カイルは思わず吹き出した。あまりにも大真面目な顔で、とんでもない勘違いをしている少女の姿が、先ほどの神々しい姿と結びつかない。
「笑わないで! 私は……私は今日、初めて冒険者になったのよ。形から入るのは、兵法においても基本でしょう? 舐められたら、そこから綻びが生まれるんだから」
彼女は頬を微かに赤らめ、ぷいと顔を背けた。その仕草は、圧倒的なステータスを持つ天才というよりは、背伸びをしたい年頃の少女そのものだった。
「ごめんごめん。でもさ、ここは戦場じゃないんだ。さっき店主も言ってたろ? 暖簾をくぐれば、ただの飲兵衛。レベルもギフトも、ここでは関係ない。……俺はカイル。今日冒険者登録した、才能も何もないEランクだ」
カイルは自分の銅プレートを指で弾いて見せた。
アルテミスはじっとそのプレートを見つめ、それから自分の胸元にある、まだ新品の輝きを放つプレートに触れた。
「……アルテミス。私も、今日登録したばかり。ランクは、あなたと同じEよ」
二人の間の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった。カイルは店主に向かって手を挙げた。
「親父、彼女に果実酒を。あと、こっちの劇薬は俺が引き取るよ。もったいないからな」
「おう、わかったよ。お熱いねえ、兄ちゃん。初陣の前に、まずは酒場での立ち回りから教育ってわけか」
店主がニヤリと笑い、手際よくグラスを入れ替える。
アルテミスの前に置かれたのは、淡い黄金色の、シュワシュワと泡立つ軽やかな酒だった。彼女は恐る恐るそれを口に含む。
「……っ! 甘い……。それに、鼻に抜ける香りが……とても、心地いいわ」
パッと花が咲くような笑顔。
それを見た瞬間、カイルの胸に形容しがたい感情が湧き上がった。彼女は、圧倒的なステータスという名の重圧に押し潰されそうになりながら、一人で戦っていたのだと。
「だろ? 美味いものを美味いと感じる。酒場では、それだけで十分なんだよ」
二人の間に、ゆったりとした時間が流れ始める。
外の世界では、ステータス値と階級が全てを決める。しかし、この『角杯亭』のカウンターの隅っこでは、レベル1の凡人と、レベル1の天才が、同じようにグラスを傾けていた。




