2話
夕闇がエリュシオンの街並みを包み込み、石畳に街灯の魔石がぼんやりとした光を灯し始める頃。ギルドでの選別という名の現実に打ちのめされたカイルは、重い足取りで一軒の酒場へと辿り着いた。
『角杯亭』。カイルが緊張しながら重い木製の扉を押し開けると、熱気と騒音が彼を迎え入れた。
「……だから言っただろ!ああいう時は、左から回り込むのが定石だって!」
「うるせえな、頭じゃ分かってても体が動かねえんだよ。おかげで自慢の盾がベコベコだ。親父、こいつの口を塞ぐために一番強い酒を注いでくれ!」
「ガハハ!盾を新調する金があるなら、俺にも一杯奢れよ!」
カイルは、入り口で呆然と立ち尽くした。信じられない光景だった。
盾がベコベコだと笑っている男の首元には、銀のプレート(Bランク)が揺れている。選ばれし強者だ。一方、その肩を叩いて酒を強請っているのは、鉄のプレート(Dランク)を下げた、見るからに普通の男だった。
外の世界では、ランクの差は絶対だ。格下の者が上位者に気安く話しかけることさえ、本来なら憚られる。だが、ここでは誰もがランクという公的な鎧を脱ぎ捨てていた。交わされているのは、攻略の自慢でも名誉の話でもない。ただの、下らない失敗談と笑い声だ。
戸惑いながらカウンターの隅へ滑り込んだカイルに、店主が声をかける。
「……なんだ、妙な顔をして。」
「あ、いや……あんなにランクの違う人たちが、ただの友達みたいに騒いでるのが、その、信じられなくて」
カイルの問いに、店主は鼻で笑いながら、並々と注がれたエールのジョッキを置いた。
「ハッ、無理もねえ。外に出りゃ嫌でもランクやステータスに支配される。強い奴が生き残り、弱い奴から死んでいく。それがこの世界の、神様が決めたクソッタレな決まりだからな。レベルが上がればランクも上がって、プレートの色も豪華になる。だがな、そんな格付けを二十四時間背負ってたら、どんな英雄でも心が摩耗して死んじまう。だから冒険者の間には、昔から暗黙の不文律があるのさ。――『暖簾をくぐれば、ただの飲兵衛』。居酒屋ではプレートの素材も、魔水晶が弾き出した数字も、なんの意味も持たねえ。ただのゴミだ」
カイルは、店主から突き出されたジョッキを一口、大きく喉に流し込んだ。
麦の苦味が、強張っていた全身を解きほぐしていく。
(……救われるな、それは)
ふと、フードを深く被っている隣の客の首元が目に入った。
自分と同じ、まだ馴染んでいない新しい革紐。その先には、自分と全く同じ、安っぽい銅のプレートが揺れている。
カイルと同じ、この街に来たばかりの「ひよっこ冒険者」の証だ。
その客は、店主が「火竜の息吹」と呼んで差し出した琥珀色の液体を、まるで見慣れない劇薬でも見るかのような目で見つめていた。
「……あー、それ。あんまり一気に行かない方がいいと思うよ」
カイルは、つい声をかけていた。さっき店主が「喉が焼けるぞ」と笑いながら出していたのが聞こえたのだ。同じ銅プレートを下げた「同期」が、そうとは知らずに劇薬を飲み干そうとしている姿が、他人事とは思えなかった。
「店主がさっき言ってたけど、それ、相当きついらしいからさ。……最初は、少しずつ舐めるようにした方がいい。俺もさっき、別なので死にかけたところだし」
お節介だとは思った。だが、店主の「暖簾をくぐれば、ただの飲兵衛」という言葉が、カイルの緊張を少しだけ解いていた。
声をかけられた人物が、ビクリと肩を跳ねさせた。ゆっくりと、こちらを振り向く。
フードの奥から現れたのは、昼間のあの天才少女だった。




