第九話 ファントム・メナス
ファントム・メナス。セシルが獲得したショボいスキルのことではなく、見えざる脅威って意味のほうです。
ラグナス王国の遥か西方、ウルド帝国ーー帝都エグザミアの中央に位置するドグラウス城砦。四代目皇帝ミカエル・ウルドが治めるこの国は元々、初代皇帝であるガブリエル・ウルドが各地にコミニュティを築いて争い合っていた蛮族をまとめ上げて出来た国であり、国民のほとんどは戦闘民族の血を引いている。しかし、土地の半分ほどは荒廃した大地で砂漠化や干ばつ化が進んでおり、農作物などの資源は一部の地域でしか栽培できず貧富の差が大きく開いていた。
そこで二代目となる皇帝のラファエル・ウルドの代で隣国の豊かな大地を有するラグナスを支配するべく進軍を開始した。二代にわたる戦争は今もなお続いているが、僅かな前進も見られないまま膠着状態となっている。
しかし、ここにきて彗星の如く現れた宰相であるディアマンテの手腕によって、その均衡が崩れようとしていた。
ディアマンテという男はもともと国の成り行きを占う占星術師として城に出入りをしていたが、占いの精度云々よりも多弁で切れ者である能力を買われ、皇帝の一存によって宰相として執政を任された。
そのディアマンテが今、ウルド帝国の主戦力である騎竜兵団を城砦の中庭に招集していた。
「ラグナスへの侵攻状況を報告せよ」
「はっ!ザイオン砦攻略を進めておりますが、未だ防衛網を突破できず、膠着状態であります。兵も疲弊してきており、一旦体勢を立て直すべく撤退を指示しようかと考え…」
兵団長が一歩前に出て報告している途中で、ディアマンテは自身の首の前で手の平で空を切るようにしてみせた。その瞬間、兵団長の首が宙を舞った。彼の背後にいた兵たちに緊張が走る。誰も手を下したようには見えなかったがーー
「君はクビだ。そこのメガネの君。散らかってしまったゴミをリザーディのエサにでも混ぜて処分しておいてくれたまえ」
リザーディとはウルド帝国に生息する大型トカゲの亜種で、最高速度は騎馬にも劣らない速さをみせる。そのリザーディに騎乗する兵士で編成された部隊が騎竜兵団と呼ばれている。
「さて。君たち騎竜兵団が不甲斐ないせいで、我が国の民は今も貧困に喘いでいる。そこで、軍備を強化するために私がスカウトした新しい兵団長に来てもらった。紹介しよう、アスタロトだ」
今まで誰もそこにいたことに気づけないほど気配を消していたのか、兵団の群れの中から1人、6フィートほどある背丈の屈強そうな男が前に出てきた。手にしている戦斧の刃には血が滴り落ちている。
兵士たちは戦慄した。何食わぬ顔で兵団に紛れていたこともそうだが、兵団長の首を飛ばしたのがおそらくこの男だと、戦斧の血が物語っていたからだ。
「そ、そんな…」
「という訳で、今からさっそくアスタロトと共にザイオン砦を攻め落としてきてもらおう」
元兵団長を粛清した非情な新団長に命を預けるのかと思うと兵士たちは青ざめた。しかし、ここで反論しても元兵団長の二の舞である。憂鬱な気分で兵士たちがリザーディに跨る中、アスタロトが指笛を吹くと、空からリザーディの2.5倍ほどの大きさーーおよそ17フィートほどあるドラゴンが灰色の翼をはためかせ舞い降りてきた。
「ド、ドラゴン!?」
「安心しろ。こいつが俺の"足"だ。だが、はしゃいでると喰われるぞ」
自分たちの紛い物のリザーディではなく本物の竜に騎乗するという騎竜兵団の名に相応しい見事なドラゴンに跨るアスタロトの姿に、戦慄は尊敬に、ため息は鬨の声へーーまるで魅了の魔法にでもかかったかのように鬱屈していた兵士たちの士気は一気に跳ね上がった。
アスタロト率いる騎竜兵団は今、ドグラウス城砦から東方のラグナス王国に向けて進軍を開始した。
そんな危機が迫っていることなど知る由もない学生のセシルは窓の外を眺めながら、浮遊魔法の授業を聞き流していた。
ーー早くリエリカの修行に行きたいな。
「おい!アーヴァイン!!聞いているのか!!」
教壇の前で実際に浮遊してみせていた教師がこちらを見て怒鳴りつけている。ようやく窓の外から教壇の方へと向き直ったセシルは教師を見つめた。
「浮遊魔法とは風属性魔法の応用であり、術者の全身を薄い風の膜で覆い、その膜が足元に発生させた小さなつむじ風を消すことなく維持できることで浮遊が可能となる。また、進みたい方向に風を発生させることで、全方位に浮遊したまま移動が出来る。一つの呪文で幾つもの術式を展開させて同時に微調整しながら発動させる高等魔法の1つである。合っていますか?」
講釈を語り終えるとセシルは教師と同じく浮いてみせた。
「せ、正解だ。席に着きなさい…」
セシルは魔法を解除して席に着くと、皆が感嘆の声とともに拍手を送った。
ーーこんなことが出来ても、悪魔と戦うには何の役にも立たない。もっと実用的な魔法を教えてほしいよ。
その後、セシルを避けるように滞りなく授業が進み、終わると麻生が振り向いて早速絡んできた。
「お前ほんっと器用だな!んな簡単に出来るもんかよ?」
続いて、はしゃぐ麻生を押し退けて女生徒たちがセシルに詰め寄る。
「セシルくーん!私、浮遊魔法が上手くできなくてぇ…放課後、教えてほしいな?」
「ごめん、放課後は予定があるから」
「あ、ちなみに俺も予定あっから!」
「アンタには聞いてないわよ!」
差別という迫害を受けた麻生は静かにその場から捌けて後ろのワッツに縋りついた。
「オンナって、どうしてあんなに怖いんだろな…ワッツ、お前ならわかるよな?」
「え、ええぇ…そ、そうだね…」
セシルの放課後の予定が気になる女生徒たちを避けるように、セシルは早足でトイレへと向かった。
ーー面倒くさい。
こうして陽が傾き、授業が終わるとセシルはカバンを持って急いで教室を出た。それを追いかけるように麻生も教室を出ていく。
バルフレア宮殿前ーーセシルと麻生は衛兵にリエリカに会いに来た旨を伝えると、衛兵は露骨に不服そうな顔をしながら奥へと通してくれた。
「あの兵士、感情を一切隠さねぇのな…」
城門を潜り抜けると訓練場と思われる広場にリエリカと兵士たちが訓練を行なっていた。
「リエリカ。来たよ。よろしく。これは友達のアソー」
「これって!お前モノ扱いかよ!あ、麻生迅です!ジンって呼んでください!先生!俺も修行がしたいです!」
「ようこそ。ええ、構わないわ。ジン君も剣技を?」
「あ、いえ!俺は殴る蹴るが専門なんで、そんな感じの修行が出来れば嬉しいです!!」
麻生はリエリカの美貌を前に、完全に舞い上がっていた。そんな様子にリエリカはクスッと笑い、適任な先生を紹介した。
「ダン!この子の訓練、付き合ってもらえないかしら?」
リエリカに呼ばれてやって来たのは上半身から湯気のような蒸気を立ち昇らせた半裸の男だった。
「なんだ?訓練?俺がか?」
「ええ、この子、格闘家みたいなの。騎士団で格闘術が使えるの貴方だけだし、組み手も出来るんだからいいでしょ?」
麻生は青ざめていた。この美人に稽古をつけてもらえると舞い上がっていたのが遠い昔のことのように。見るからに暑苦しい同じ属性の男とマンツーマンの稽古。想像しただけでもこのバルフレア宮殿の気温が2〜3℃上がりそうな気配すらある。
「しょうがねーな。俺はダンだ。この騎士団の団長だ」
「ダン…団長…いやギャグかよ!!」
「ギャグではない!仕方ないだろ!ダンって名前の俺が団長になっちまったんだから!」
2人の会話はもはや漫才だった。セシルは暑苦しい男2人を横目に見ながら、リエリカとその場から去っていった。
「もうヤダよ〜どうして俺だけこんな汗くさそうな人なんだよ〜ってセシル!?あの野郎!!見捨てやがった!!」
「汗くさくなどない!嗅いでみろ!むしろ、お前の方が汗くさい顔をしているではないか!」
「はあっ!?誰が汗くせぇ顔だ、コラ!!やんのか!!」
「ああ、望むところだ!!来いっ!!」
こうしてセシルと麻生の騎士団による修行が始まった。
人物紹介〜今回はウルド帝国宰相のディアマンテです。
35歳、独身。センターパートの深緑色の髪で鋭い目つきをしており、冷酷で残忍、謀略家。東方文化に興味があり、黒い袴のような形のローブを纏っている。
元占星術師ということもあり、魔法にもある程度精通している。




