5
励はその部屋で目が覚める。ベッドの横の窓から日の光が差す。今何時だろうと励は思い、部屋をぐるりと見回す。しかし、時計が無いので今が何時か分からなかった。
スマホも探すが、それもないことに気が付いた。ポケットに入れていたと思ったが、それがない。もしかして、あの男がそれをポケットから抜いたのだろうか。小銭入れも無くなっている。
それから、まあいいやと励は諦める。
トイレに行きたくなったので、励は扉を開け、外へ出た。励は一階へ降り、トイレへ向かう。そこで用を足した後、玄関の方へ歩く。
励は扉の前に立った。ここから出られるだろうか。励は扉に手を掛ける。しかし、扉は鍵が掛かっていた。やっぱりかと励は諦める。
ふいに励のお腹が鳴った。
「腹減った……」
昨日の夜から励は何も食べていなかった。それに、喉もカラカラである。何か飲みたいし、食べたかった。
ふと、その階で賑やかな声が聞こえた。
何だろうと思った励はそちらの方へ行ってみることにした。
そこはダイニングのようであった。そこには、励と同じような子どもが三人いた。その中に、羽鳥さんの姿もあった。三人はそこでお菓子やアイス、ジュースを飲み食いしながらお喋りしていた。
励は彼らを見た。すると、羽鳥さんが励に気付いた。
「あ、小木曽くん、おはよう!」と、彼女は笑顔で挨拶する。
「お、おはよう……」と、励は応える。それから、励は三人に訊く。
「君たちは、ここで何をしているの?」
「何って、朝ごはんを食べているの」と、羽鳥さんは言った。
「朝ごはん?」と、励は不思議な顔で訊く。
「そう。小木曽くんも食べない?」と、羽鳥さんが言った。
「パンとかバナナとかはないの?」
励がそう訊くと、羽鳥さんが笑い出す。
「フフフ……ないよ。だって、ここ、小木曽くんの家じゃないでしょ?」
「そっか……」
「でもね、お菓子とかアイス、ジュースなんかはあるの! 夢みたいでしょ?」と、羽鳥さんは笑顔で言う。
「そうなんだ。でも、勝手に食べていいの?」
励がそう訊くと、
「ほら、この紙を読んでよ。食べていいって書いてあるわ」と、羽鳥さんはテーブルに置いてある一枚のA4サイズの紙を励に見せた。
励はその紙を受け取り、読んだ。そこには手書きで注意書きが書かれていた。
〈ダイニングの使用について〉
・冷蔵庫のジュースやアイスは食べてもよい。
・テーブルにある袋の中のお菓子は食べてもよい。
・ガスおよび調理器具の使用は禁止する。
・ダイニングの使用は、朝九時から夜八時までとする。
といったことが書かれていた。
「なるほど」と励は言って、その紙をテーブルの上に戻す。
「あいつは?」
励がそう訊くと、「今はいないぜ」と、一人の男の子が言った。彼は、黒髪短髪で背が高く緑色のTシャツに黒色の半ズボンを穿いている。
「え? そうなの?」
それを聞いて、励は驚いた。
「いないって、どこかへ行っているの?」
励が再びそう訊くと、うんとその男の子が頷いた。
「どこへ行っているの?」
「さあ?」と、男の子は首を傾げる。それから、「仕事にでも行っているんじゃない?」と、彼は言った。
「仕事か……」
なるほど、と励は思った。
「違うんじゃないの?」
もう一人の女の子が口を開いた。彼女は、三つ編みでピンクのワンピースを着ている。
「多分、仕事じゃないよ。また、誰かを誘拐しているんだよ」と、彼女が言った。
彼女のその一言に、励や他の子たちが目を丸くする。励は鳥肌が立った。
「ば、馬鹿なこと言うなよ……」と、その男の子が呟く。
「そうだよ、怖いじゃない!」と、羽鳥さんが言った。
「だって、あの男は誘拐犯だよ。現にこうして沢山の子どもを誘拐してるでしょ? だから、また新しい子を誘拐しているに違いないわ!」
少女はそう言って、自分のジュースを一気に飲み干した。
確かにその可能性もあるなと励は思った。
「ごちそうさま」
少女はそう言って、階段を上がっていった。
「はあ、何よ、あの子……」と、羽鳥さんがため息交じりに言う。
「あの子、名前は?」
励が二人に訊いた。
「萌ちゃんって、言ったかな?」と、羽鳥さんが答える。
「萌ちゃん……か」と、励は呟く。
「あ、そうだ。君は?」と、その男の子が思い出すように励に名前を訊いた。
励は彼に自己紹介する。それから、彼も自分の名を名乗る。
「俺は我妻翔喜。五年生だ。翔喜って呼んでくれ」
「翔喜ね。よろしく」と、励は笑顔で彼に言う。
「俺は励って、呼べばいい?」
翔喜が励に訊く。励は頷いた。
「励は何年生?」
「僕も五年」と、励は答える。
「じゃあ、俺ら同じ学年か」と、翔喜は言う。
「あれ? さっきの萌ちゃんは?」
励が二人に訊く。
「萌ちゃんは四年生だって」と、羽鳥さんが言った。
「ふうん」と、励は頷く。「あ、ジュース飲んでいい?」
励は二人に訊く。「あ、うん」と羽鳥さんは言って、テーブルにある新品の紙コップを一つ励に差し出した。
「ありがとう」
励は彼女にお礼を言って、テーブルにあるオレンジジュースを注ぐ。それから、励はそのジュースを飲んだ。
「ぷはーっ」と、励は息を吐く。そして、テーブルに広げられたポテトチップスを一枚つまむ。「朝ごはん」としては少々寂しいが、空腹を凌ぐには十分だろうと励は思った。
「今、何時か分かる?」
励が二人に訊く。
「九時二十五分よ」
羽鳥さんが壁の時計を見て言う。
励もそちらを見る。確かに時計の針は九時二十五分を指していた。
「ああ、本当だ。ところで、あいつはいつも何時に帰ってくるか分かる?」
励がそう訊くと、羽鳥さんと翔喜が顔を見合わせる。
「うーん、夕方くらいかな……」と、羽鳥さんが言った。
「昨日は夜だったよね?」と、翔喜が言う。
励は昨夜のことを思い出す。塾が終わった午後八時頃。励は襲われ、ここへ連れてこられたのだった。
「じゃあ、帰って来るのはまちまちという訳だね」
励がそう言うと、「まちまち?」と、二人が首を傾げた。どうやら、二人は「まちまち」という言葉を知らないようだった。
「えーっと、色々というか……早かったり、遅かったりするってことだよ」と、励は言い直す。すると、「あー、そうそう」と、羽鳥さんは納得して言った。翔喜も頷く。
「そっか」と、励は頷く。
少しして、階段から足音がした。誰かが降りてくる。先程の萌ちゃんという少女かと思ったが、違った。ダイニングへ入って来たのは、男の子であった。
「うーん、よく寝た」
彼は背伸びをして言う。彼は黒髪短髪で背が低く、眼鏡を掛けている。グレーのTシャツに黒色の半ズボンを穿いていた。
「おはよう」と、翔喜が彼に声を掛ける。
「おはようございます。お腹空きました……って、あれ?」と、彼は励に気付く。「新しい人ですか?」
励はすぐに彼に自己紹介した。
「どうも、僕は猿渡健斗といいます」と、彼はペコリとお辞儀をする。
「猿渡くんね」
励がそう言うと、「健斗でいいです」と、彼は言ってにこりと笑う。
「健斗くんは何年生?」と、励は訊く。
「僕は四年です」と、健斗は答える。
「分かった。健斗くんね、よろしく」と、励は言う。
「はい、励さん、よろしくお願いします」と、健斗は言った。
健斗は空いている席へ座り、紙コップにジュースを注ぐ。ジュースを一口飲み、ポテトチップスをポリポリとむさぼる。
「励さんが来て、五人目ですね」
ふいに健斗がポテチを食べながら言った。
「五人!?」
励はその言葉に思わず驚く。
「そんな誘拐されているんだ……」
あまりの多さに励はビックリした。
「はい……」と、健斗は頷く。
「それじゃあ、もし今日、あいつが誘拐していたとしたら、六人……」と、励は呟くように言う。
「小木曽くんまでそういうこと言うの?」
羽鳥さんが辞めて欲しそうに言う。
「そうだよ……」と、翔喜も言う。
「五人も誘拐されたとなれば、警察もそろそろ本気で焦っていると思いますけど……」と、健斗が言う。
「そうだよね」と、励は頷く。
「すぐに見つけてくれればいいんですが。もし見つからなかった場合……」
健斗はそう言って、黙ってしまう。
「見つからなかったら何なの?」と、羽鳥さんが健斗に訊き返す。
「僕たちは、本当にあいつに殺されるんだと思います……」