第3話 夜の精霊と、夢の気配
その夜、森に雨が降った。
細く静かな雨だったが、山道はぬかるみ、下り道は滑りやすい。ソランは薬籠を抱えてしょんぼりと首をすくめた。
「……降ってきちゃった」
「下山は無理だ。今日はここに泊まれ」
当然のように言うパスカルに、ソランは目を丸くした。
「えっ、でも、そんな……!」
「塔には空き部屋がある。寝台と布団もある。人を泊める程度の備えはしてある」
「……そういう問題じゃないですっ」
慌てるソランの横で、どこからかふわりと風が吹いた。
暖炉にくべた火が、ぼうっと揺れる。
その揺らぎの中に、小さな光の粒が現れた。
まるで、青いホタルのような──でも、それよりももっと知性を感じる存在。
「……わあ……」
「見えるのか?」
ソランはこくりとうなずいた。
その青い光は、ソランのまわりをふわりと飛び、頬にそっとふれた。冷たくなく、むしろ、ほんのりとあたたかい。
「これは……精霊……?」
「ああ。風の小精霊だ。この塔には、かつての契約で残った精霊たちが多く棲んでいる。お前のような“気配を読む子”には見えるらしい」
ソランは、再びこくんとうなずいた。
青い光の精霊が、ソランの肩にとまり、くすぐったそうに舞う。
「ふふ……なんだか、友だちになれそう」
「……あいつらは気まぐれだ。気に入った人間にしか姿を見せない。お前は、珍しい」
パスカルの声に、わずかに優しさが混じる。
それに気づいたのか、ソランはそっと彼の方を見る。
「……パスカルさまも、昔はこうして精霊とお話してたんですね」
ぱち、と暖炉の薪がはぜた。
パスカルは、なにも答えなかった。
だがその背中は、ほんの少しだけ、遠くを見つめているようだった。
きっと、忘れられない何かがあるのだろう。
ソランは、小さくつぶやいた。
「……ここは、ひとりぼっちの塔なんですね」
風が、ひゅう、と鳴いた。
青い精霊がそっとソランの髪に宿るように、パスカルの胸にもなにかが、ふと触れたような気がした。