第2話 精霊の気配と、ひとりの塔
パスカルの塔の中は、外見よりもずっと広かった。
薄暗い石壁に、いくつもの本棚。天井近くまで積まれた書物の山。あちこちに木箱や薬瓶、古びた魔法具が転がっている。
そして何より、空気に漂う魔力の密度が濃い。
ソランジュ──いや、ソランは思わずくしゅん、と小さくくしゃみをした。
「魔力に酔ったか。慣れてないなら深く吸うな」
「うう、ちょっとだけ……。でも、へいきです」
薬師見習いとして、多少の魔力には慣れていたつもりだったが、この塔の中は別格だった。
パスカルはそんなソランに一瞥をくれると、黙って籠を作業台に置き、中身をひとつずつ並べていく。
「……この抽出液は、お前が作ったのか?」
「え? はい。煮詰め方、薬師さまに教わって……でも、ほとんど私の自己流です」
パスカルの手が、ほんの少し止まった。
「……なるほど」
それだけ言うと、また黙々と手を動かし始める。
褒められたのか、ダメ出しされたのか。よくわからない反応だったけれど、ソランの胸の中にほんのりとしたうれしさが灯った。
「……ねえ、賢者さまって、ここでずっと暮らしてるんですか?」
遠慮がちに尋ねたソランに、パスカルはふと顔を上げた。
「名で呼べ」
「……え?」
「“賢者”と呼ばれるのは、もううんざりだ。私はただの一人の魔術師、名はパスカルだ」
その声音は、かすかに痛みを含んでいた。
それ以上、ソランは聞かなかった。
たぶん彼には、いろいろな過去があるのだろう。
だけど今は、こうして目の前で薬草を丁寧に扱っている。
「わかりました、パスカルさま」
ソランは、にこりと笑った。
その笑顔に、パスカルは一瞬だけ、目を細めた。
まるで、懐かしい夢でも見たかのように。
「……その呼び方も、いずれ省略することになるだろうな」
「へ? な、なんですかそれっ」
「さあな」
無表情のままそう言って、パスカルは作業を再開した。
だけど塔の空気は、ほんのすこしだけやわらかくなっていた。