両想いだね
許されない恋、なんてものは陳腐な言葉だ。最近じゃ、私たちみたいな歳の子は誰も気にしない。
でも、まだ許されない恋はある。
例えば、お姉ちゃんに恋をするとか。
「お姉ちゃん、おはよ」
朝、学校の時間になったからリビングに降りてきた。お姉ちゃんは大学生だから、朝はゆっくり過ごしてる。たまに朝早く出る日もあるけど。
スマホで何かを見ながらお姉ちゃんは朝ご飯を食べていた。あんまりお行儀よくないけれど、外でやらなければまあいいでしょ――っていうのがうちのルールだった。
「おはよー。よく眠れた?」
私を見ないで声だけで返事をした。ハスキーなその声は、テレビから聞こえる甲高い声で半分くらいは掻き消される。
朝の貴重な姉妹の時間を邪魔してほしくなくて、テレビを消した。
「あ、消しちゃうの」
「見てたの?」
「見てないけど」
「じゃあいいじゃん」
お母さんが用意してくれた朝食を冷蔵庫から取り出して、お姉ちゃんの前に座って食べ始めた。チンした方が良いんだけど、時間があんまりないから。
お姉ちゃんがスマホに集中しているのをいいことに、私はその顔をじっと見つめていた。ちょっと灰色っぽい瞳と、ちょっと茶色が入った黒髪。ここまでは私も一緒。違うのは、長い睫毛。お姉ちゃんの切れ目はその睫毛も相まって、見つめられるだけでくらくらする。
「ん、どしたん」
私の視線にお姉ちゃんが気付いちゃって、一瞬だけ見つめ合う。すらりと一直線の鼻筋に柳のような眉。整った顔のラインは格好良いのに、唇は艷やかで少女みたいにあどけない。かっこよくてかわいいなんて、ずるい。
「なんでもない」
熱くなっていく顔を隠すように、私は自室に戻っていった。朝はあんまり時間もないし。
学校に着いてからも、考えるのはお姉ちゃんの事だった。別に、生まれてずっとそうだった訳じゃない。
恋に気付いたのはつい最近だ。だから、苦しい。
昼休みにスマホを見ていると、SNSでニュースが流れてきた。女優さんが同性と付き合っている事を公表したらしい。リプライ欄を見てみると、祝福の声が沢山だった。
自慢じゃないけど、昔から家にパソコンがあったから昔のネットも知っている。いい時代になったなって思うけど、結局、私の恋が許されない事には変わりない。
姉妹なんて、許されないんだ。だから、私の恋は成就しない。バッドエンドの失恋コースは確定事項。
家に帰ると、ちょうどお姉ちゃんが帰って来る時間だった。おしゃれな大学生って感じのよくある服装なのに、身長があるからか他の人よりよっぽど様になっている。お姉ちゃんならどんなモデルにも、どんなアイドルにも絶対に勝てる。
「お、良いタイミング。コンビニ行かない? お姉ちゃんが奢ってあげるからさ」
奢ってもらわなくても行くのに。そんな事を思うけど、私は表に出さない。ちょっとのことで気づかれちゃうかもしれないから。
「いいよ」
努めて冷たく私は言った。
「そんじゃ行こっか」
帽子を被り直してお姉ちゃんは歩き始めた。その少し後ろを歩くと、香水の香りがする。私の学校で使ったら怒られちゃうから香水はまだわかんない。それに、お金もないし。名前は知らないけど、お姉ちゃんの香りって感じがする。
「今日の学校はどうだったよー」
「普通だよ」
素っ気なく答えると、お姉ちゃんは興味無さげに次の話題へと移っていく。
「ほーん。彼氏とかいないの?」
「……いないよ」
いるわけ無いじゃん。好きな人は目の間にいるんだから。――全部投げ捨てて、そう言っちゃいたい衝動に駆られる。
「お、怪しい間だなあ。言ってもいいんだよ? お母さんみたいに口軽くないし」
「そういうお姉ちゃんはどうなの」
言ってから、あ、しまった。って思った。売り言葉に買い言葉で、つい言っちゃった。聞きたくない。
「前はいたけどねえ。最近はいないな」
返事をしようとして、声が出ないのに気が付いた。いや、今はいないなら安心できるんだけど、前はいたって……でも当然か。私がこの気持ちに気が付いたのはちょっと前なんだから、嫉妬する必要もない。けど、駄目。
お姉ちゃんが誰かと付き合ってたっていうその事実が。美麗で孤高で気丈で清廉で妖艶なお姉ちゃんを誰かが独り占めしていたなんて――
「ていうか最近冷たくない……え、大丈夫?」
最悪だ。タイミング悪く振り返ったお姉ちゃんは、勝手な想像で真っ青になった私の顔に気付いてしまった。
心配して、顔を近づけてくる。気分は最悪なのに、心臓は勝手にどくどくと高鳴る。勘違いするな、勘違いするな。それ以上が来ることなんて無いんだから、期待するな。
「へいき」
「なわけないじゃん……お家戻ろっか」
べたべたになった私の手を握って、お姉ちゃんは先を歩き始めた。ああもう最悪。私の体調じゃない。汗まみれの手が握られたことが。
「ちょい寒いかな。ブランケット取ってくる」
家に着いたお姉ちゃんは、私をリビングのソファーに寝させて色々とお世話を焼いてくれようとした。優しい。自慢のお姉ちゃんだった。
「いらないよ。違うから」
「だとしても、だよ。ポカリとかいる?」
今はお姉ちゃんの優しさがあんまり優しく感じられない。嬉しくないわけじゃないだけど、一人にして欲しいっていうか、放っておいて欲しいっていうか。
「いらないって。もう平気」
「本当? なんで急にあんなん……」
その事を聞かれると、私は答えに困ってしまう。何を言っても間違いになるから。
「……秘密」
「秘密って。……急な体調不良、まさか妊娠!?」
「違うよ!」
前言撤回。その勘違いだけは辞めてもらわないと!
「じゃあなんなの?」
「……それは……その」
でも、だからと言って本当の事を言えるわけでもない。急に言われたら困るだろうし、今の関係が崩れてしまうのが何よりも怖い。
私が黙ってしまったのを見て、お姉ちゃんは笑いながら言った。
「冗談だよ。元気出て良かった。お姉ちゃん部屋戻ってるから、なんかあったら言ってな」
すく、と立ち上がってお姉ちゃんは歩き去ってしまう――けど、今が最大のチャンスな気がする。ここを逃したらずっと先まで――それこそ、恋が冷めるまで何も言えない気がしてしまった。……勇気を出せ!
「お姉ちゃんに……」
「ん?」
「お姉ちゃんに彼氏が居たっていうのがすっごいショックだったの!!」
「……ん?」
私が叫ぶと、お姉ちゃんはぴたりと止まった。首に汗が一筋、浮かんでいる。
「お姉ちゃん?」
「あー、ごめん。見栄張っただけ。ほら、妹の前では経験豊富でいたいじゃん。そもそも女の子しか好きになれんし……あ」
早口で言い訳を重ねていたお姉ちゃんは、やっちまった、って感じの顔になっていた。失言だったみたいだけど、私にとっては祝福のような言葉だった。
「え、それって」
気分が昂揚するのをどうにか抑えつけながら、できる限り平坦な声を作った。心臓がばくばくうるさい。千載一遇のチャンスを捉えて、更にその先まで進むきっかけを掴めたから、もう、頭が沸騰しそうだった。
「まあいっか。隠すことでも無いな。今日ニュースになってたじゃん? あれと一緒。嫌だった?」
「そんなわけ……」
「だよなあ。ていうかさ、なんで私に彼氏がいたら体調悪くなるん? え、もしかしてぇ」
ニマニマ笑いながら、お姉ちゃんは私のことを見つめてくる。こんな表情をしても美人なんだから、ほんっとにずるい。
お姉ちゃんのことを睨みながら、私は言ってやった。どんな反応になるかな!
「……わかってるくせに! お姉ちゃんの事が好きなんだよ!」
――抱きつかれた。勢いよく。ちょっと痛いくらいに。
「えへ、どのくらい好き?」
「世界でいちばん」
「お父さんより?」
「当然」
「お母さんより?」
「……お姉ちゃんのがちょっと上。でも、お姉ちゃんにはラブだから。家族とは違うから」
私がそう言うと、お姉ちゃんの唇が重ねられた。
「知ってた。お姉ちゃんの気持ちは知ってる?」
同じ匂いがした。家族だから当然だけど。
「知らない」
「昔っからたくさん告白されたけど、不思議と誰にも惹かれなかった。だって、大好きな人が家族にいたからね」
「お姉ちゃんも?」
「そ。両想いだね」