蛇足・ある日の彼女の記録
ヒロイン視点の別の話です。
ある町の喫茶店で、私はばったりと再会してしまった彼女から話を聞き終えて、ため息をついた。
その装いは、垢ぬけてはいるが派手過ぎない――何も知らなければ、清純な女子大生ともいえるもの。
(まあ……相変わらず美人っちゃあ、美人だし。
見た目だけは随分大人っぽくなったねえ)
げんなりとした気分の中、思わず口にしそうになった皮肉を抑え込んで、相談された話へ、率直な感想を述べる事にする。
「いや……今更無理じゃないかな、それ。
というか真奈美……まだ諦めていなかったのかい?
私の記憶が確かなら、君の方が勇気を出して告白した幼馴染の彼の事をフったんじゃなかっけかな」
高校卒業以来になるのだろう、元友人に、こんな事は言いたくないのだけれど。
呆れ半分で私は、目の前の彼女に―――橋本 真奈美へと告げた。
しかしまさか、一度は自分から台無しにしたものを、未だに諦めきれずにぐだぐだやっていたとは、なんというか……呆れるしかない。
どこぞかの誰かが、女の恋は上書き保存、とか何とか宣ったのは、何だったのだろうか。
「確か……そうそう、男として見れないだったっけ。
やれキモオタだの生理的に無理とか、お友達と陰口を叩いてたりもしたよね。
その後に女癖の悪い、あのサッカー部のイケメン先輩に自分から―――」
「……あはは。相変わらず手厳しいね、亜朱香ちゃんは」
真奈美は苦笑いでこちらの言葉を遮り、誤魔化したつもりなのだろうけど、声が僅かにひきつっている。
――まったく、あの時私達がどれだけ手を焼かされたと思ってるんだか。
また、ため息をついてから、気を取り直し言葉を続ける。
「で……そこまでこき下ろした幼馴染君に助けられて……手のひら返しちゃったんだよね。
今だから言うけどさ、他の部員へ貸出とか受け入れるくらいラリってたのに……面の皮が厚いってレベルじゃなくないかい?
幼馴染君も幼馴染君で、うすら寒い言葉遊びでお茶を濁そうとしてたみたいだけどさ」
「…………」
正直あれは思いっきり空回ってたねえ、と当時を思い出して……なんというかしみじみとしてしまった。
ざっと一、二年くらいの前の出来事だけど、振り返ってみれば随分と懐かしい。
幼馴染君は、あれが軽妙な下ネタ面白トークだと思っていた辺りに若さを感じてしまう。
……いや私と同い年だし、中退とかしていなければ……まだ大学生だろうけど。
まさか今もあの調子だったりするのかな。真奈美に聞けば分かるんだろうか?
……それはちょっと痛すぎるし、流石にないか。
「何だっけ?あ、そうだ。
えーと、『あれから、ずっとさりげなくアピールしても気付いてもらえない』だったかな。
そりゃそうだよ。
あのさ……君、ちゃんと自分が幼馴染君に何やったか理解できてるかい?」
「わかって……るよ」
本当かなあ、とあえて大仰に反応を返しつつ口にする。
「本当に理解出来てたら、そんな舐め腐った真似とか出来ないと思うんだよね。
まあ多分幼馴染君から、あの時、お情けでかけられた言葉を真に受けちゃったんだと思うけど。
ねえ。君がやってる事は、自分が傷つけた人間の傷口を酷い形で抉り続けているだけだって、本当に理解できてる?」
「………………それ、は」
こちらから視線を逸らし、言い淀む真奈美の姿に……三度目の、深いため息をついてしまう。
――まあ、理解なんて出来ていないから、やるんだろうけど。
幼馴染君の誠実さを、一緒に過ごした時間を、自分から踏みにじりゴミの様に投げ捨てておいて。
助けられたから、と恥ずかしげもなく、まるで自分も被害者のような面をして、貶めた相手にすり寄れるのは、一種の才能と言っていいのだろうか。
ふと、博俊を裏切ったという別の幼馴染の事が頭に過る。
葬儀から気になって、少し調べてはみたけれど。
……碌でもない話が、上京してからたった一、二年程度の期間で出るわ、出るわ。
よくもあれで、死ぬ間際に博俊に縋れるものだと、怒りよりも先に呆れが来た。
馬鹿は死ぬまで治らない、とはよく言ったものだ。
目の前の彼女には、せめてそんな事になる前に気付いて欲しいものだと思いながら、気力を振り絞って言葉を続ける。
「どーしても諦めたくないっていうなら、駄目で元々。
土下座でも何でもして縋りなよ。
どうにも私には、真奈美が本気に見えないんだよね。
アプローチの方法も最悪だし。
『今の幼馴染君はキモオタじゃない?』……ねえ君、わざとやってるの?」
「……いや、その、だって本当に――」
だってじゃないよ、と心底うんざりしながら返す。
多分彼女からすれば誉め言葉のつもりだったのだろう。
あの事件が切っ掛けとなり……幼馴染君が奮起して、一皮むけた事への。
それにつられる様に、真奈美も一念発起して受験勉強に励んだ結果……一流どころの女子大に受かったところまでは、褒めてもよかったのだけど。
でも、これではっきりと分かった。
……大学に進学した後も、この様子では甘やかされるばかりだったのだろう。
多分周りのお友達には事情をぼかしているのだろうし、当人から聞いた――それとなく相談したらしい時に何を言われたか、というのも大体は予想通りの物。
曰く、
若い頃は誰でも間違える。
派手な男に惹かれるのはしかたがない。
処女にこだわるのは幼稚。
それらの言葉で、思い出すのは……別件で訳知り顔で知ったような口をきいた連中。
どれだけ誠実な男を……いや、女も馬鹿にして傷つければすれば気が済むのだろうか。
いろいろと、大概にして欲しい。
「……あのね。
君が言っているそれは、幼馴染君の過去の誠実さを踏みにじった事を、なーんも反省できていないって自白してるようなものだよ。
格好良くなったからキモオタじゃない、って、ねえ。
もし元に戻ったらまた陰で馬鹿にするのかい?」
「ち、ちが――」
「何も違わないよ。
結局見てるのは上っ面だけって事じゃないか」
もう、何度目になるか分からないため息を、大きくついて――席から立ち上がる。
ここまで言って何も理解できないようなら、無理だろう。
「私はもう行くよ、彼氏が待ってるから。
まあ多分……いや、きっと君と幼馴染君は、縁がないんだとは思うよ。
少なくともそのままでは……ね」
「あ、亜朱香、ちゃ――」
必死に何かを口にしようとして、それでも言葉が出て来ない真奈美へ、
「私達はまだ学生だけどさ。
それでももう、成人なんだから。
誰かに頼るな、とは言わないけどね」
少なくとも、私はもうあの頃の様に、常に傍にいて助けてあげる事はできない。
人生をずっと共にしたいと思える……博俊だって、出来たから。
私には、もう私だけの人生がある。
真奈美の迷走を、補佐し続ける事なんて、できないのだ。
だから、
「……最後は自分の選択に、責任を負えるようにならないと駄目だよ。
でないと、ずーっと同じことを繰り返すだけだから」
心の底から真奈美の自立を願って――そう口にする。
……この言葉が、いくらかでもその切っ掛けになってくれるといいのだけど。
真奈美はもう何も言おうとしない。
俯いて、沈黙したままだ。
「じゃあ……真奈美。縁があったら、またいつか」
それだけを告げて――返事を待たず。
私は自分の伝票を手に、会計へと向かう事にした。
今も待ってくれている……博俊のところに、帰るために。