幼馴染は詐欺女
とりあえず二話くらいの短編です。
(――随分……馬鹿な死にざまを晒したもんだ)
故人をあまり悪くいうのもどうかとも思うのだが。
焼香を終えて、一人、電車に揺られながら帰路につく途中での素直な感想がそれだった。
子供の頃からの腐れ縁だったあいつの末路は、一言で纏めてしまえば……自業自得としか言い様がないもの。
高卒で、駆け落ち同然に男と家を出て――同棲していたそいつ共々、めった刺しにされて殺された。
何でも、下手人は上京して就いた夜の仕事の色恋営業で、数千万程引っ張って揉めていた客だった、とか。
よくもまあそこまで搾り取れたものだ、と呆れてしまう。
金銭絡みのトラブルというのは、怖いものだ。
この十分の一どころか、百分のー……いや千分の一であったとしても人間関係にひびが入ってもおかしくないし、刃傷沙汰にさえなりうる。
ましてや、四桁万円ともなれば……命さえ危ぶまれる額だ。
多分。もう完全に金銭感覚も危機管理意識も壊れていたのだろう。
(おばさんもおじさんも久しぶりに会ったが、随分やつれてたな。
……無理もないが)
それこそ、物心ついたころからの――家族ぐるみのつきあい、という奴があった相手だから、いくらか贔屓目で見ている事もあるとは思うが。
少なくとも、あの二人は本当にいい人達だった……と今でも思う。
娘の死を心から悲しんではいたが……同時に、それが仕方がない事だと受け入れてもいた。
俺と再会した際にも、こちらが気の毒に感じるくらい、何度も何度も頭を下げられた。
(ある意味じゃ……俺以上にトラウマ抱えてたのかもな)
確かに中学時代まではべったりだったし、高校に上がってからも、しばらくは上手くやれていると思っていた。
それだけに、関係が破綻した当時は酷く落ち込んだものだが、それももう過ぎた話だ。
幼馴染といった所で付き合いの長い他人に過ぎないのだと――あの変わりようについても、今は割り切れるが……
実の親子ともなれば、また違うものがあるのだろう。
(私とは釣り合わない、中途半端、つまらない男――だったか)
ふと、昔に別れ際に投げつけられた言葉を思い出す。
あいつが色気づいて変わり始めたのも……確か、高校時代だったか。
見た目だけは驚くほど綺麗になっていったが、中身の方はどんどんとろくでもない方向へと転がった挙句……
俺だけではなく、まともな人間はあいつとどんどん距離を置くようになり、残ったのはいろいろとお察しな連中だけ。
で、結局最後にはあの様だ。
(――ま、今更どうでもいいが)
おじさんとおばさんには悪いが、焼香を上げに顔を出したのも、里帰りした際に実家の親から頼まれたからで……それ以上の意味はない。
上京してからのあいつの人間関係がどんなものだったのかは、葬儀に顔を出した人間が碌にいなかった、とあの二人がこぼした事から想像はつく。
学生時代の知人にしたところで……俺ぐらいしか姿を見せなかったのだと。
……随分と荒稼ぎしていたようで、羽振りは良かったようだが。
それも死んでしまえば意味はない。
何せ、あの世にまで金は持っていけないのだから――
と、物思いにふけっているうちに、気が付けば目的の駅についていた。
ここまでくればあと少しか。
やや足早に歩き、駅から出てアパートへと向かう。
俺が入居する少し前に建て替えを行ったらしく、建物自体も比較的新しい。
ただし交通の便がいい事も合わさって、家賃はそれなりにするのだが。
ドアノブに手をかけると……鍵が開いている。
それに、中に人の気配もするが――まさか?
部屋へと上がると、ベッドの上で見覚えのある女が、うつぶせに寝っ転がりながら、片手でポテトチップスを齧りながら手にしたタブレットで動画を見ていた。
全身から活力が滲み出るような力強さを宿した、すらりと引き締まった体。
凛々しさを兼ね備えた中性的な整った容貌。
髪型は、サイドパートのレイヤーボブ……という奴らしい。
ただ、童顔というか、実年齢よりは幾分若くも見えるが……こいつは、一応(飲まないし、吸わないが)酒や煙草も窘める齢ではある。
免許証やら何やらで幾度も確認したから間違いはないはずだが。
――ああ、やっぱりこいつか。
こめかみを抑えつつ、あえて大仰にため息を吐くこちらに、そいつは顔を上げて悪びれた調子もなく、しれっと宣う。
「や、お邪魔してるよ――おかえり、博俊」
「いろいろと言いたい事はあるが、まず一つ。
今日来るとか聞いてないんだが……その格好は?」
Tシャツとスウェットパンツ姿のそれは……部屋着なのだろうか。
俺の言葉に、ああこれかい、と笑って彼女は、
「今日はここに泊まろうと思ってさ。
ちなみに新しくおろしたやつなんだけどね。どうかな、似合ってるかい?」
「……はいはい。お似合いですよ」
世辞や皮肉で言っているわけではない。
実際、こいつはこんな簡素な格好でも様になってしまう。
「……というか、何しに来たんだお前」
「いや、幼馴染ちゃんの一件でおセンチな気分になってるんじゃないか、ってね。
慰めに来たのさ。
というか何度も言うけど、ちゃんと名前で呼んでくれないかな、亜朱香、って。
……恋人なんだしね?」
火乃上 亜朱香はぴんと指を立てつつ、ウインクを決める。
……恋人。まあ、こいつ――亜朱香と俺はそういう関係に落ち着いたのは、つい最近の事なのだが。
初めて顔を合わせたのは、大学に入って間もない頃だったか。
振り返ってみれば、随分とどたばたとした出会いだったとは思うが……
その慌ただしさがいろいろと、まだ引きずっていた当時の俺には有難かった。
「昔の……義理で顔を出しただけだ。
正直、もうどうでもいい」
「ん、そうは言うけど……君は優しいからね。
溜まっているものがあったら、私に吐き出しておきたまえよ。
いろんな意味で、ね」
とんとん、と細い指先で自らの頬を叩く亜朱香へ、下ネタかよ、とぼやきつつも。
ほんの少しだけ……心にひっかかり続けていたものを口にする。
「……幼馴染が刺されて病院に運ばれた時にな。
傷の方はもう手遅れだったそうだが――最後に、意識が朦朧とした状態で俺の名前を呼んだんだそうだ」
訃報と同時に『勝手な事を言っているのは判っているが、それでもどうか娘の事を許してやって欲しい』、との嘆願と共に伝えられた、幼馴染の最後。
……当然、それをおじさんとおばさんもその場に居合わせた訳ではなく、運び込まれた病院関係者からの又聞きだったそうだが。
俺自身も、警察からその辺りの事情について尋ねられたことがあったので、故人の印象を良くするための嘘と言う訳でもないようだ。
「何のつもりだったんだろうな、今更」
幼馴染への憤りはない。同情もしない。
そんな未練はとっくに擦り切れている。
ただ、単純に疑問だった。
俺にとっても。幼馴染にとっても。
とっくに終わった黒歴史だと思っていたのだが。
走馬燈というやつを見ていて、記憶の再体験で口にしただけ、なのだろうか……それとも。
「博俊は……それを気にしてたのかい」
「強いて言うなら……だな。
どうでもいいって思ったのも、嘘ではないんだ」
「……ふうん」
亜朱香は、ぱり、とポテトチップスを一齧りしてから、
「多分――幼馴染ちゃんは戻りたくなっちゃったんだろうね。
こんなはずじゃなかった昔に。
人間、どうしようもないくらい手遅れになってからじゃないと気付けない事もある」
表情を動かさず、乾いた声音で淡々と呟いた。
対して俺の方は……なんだそりゃ、と意識せずに口から自然に言葉が漏れた。
それは流石に穿ち過ぎではないか……とも、思うのだが。
もし仮に、それが当たっていたとしても。
やはり、今更何かを感じる事は無い。
強いて言えば、尚の事おじさんとおばさんが不憫くらいのものか。
……自分でも薄情かな、とも思わないでもないが。
あいつのしたこと思えば同情する気も起きない。
そもそも縁を切ってきたのは向こうからだし、時間も経ち過ぎている。
「個人的には随分勝手な話だ、とも思うし……腹立たしいけどね。
今際の際に泣こうが、叫ぼうが、懺悔しようが――彼女自身の手で積み上げてしまった現実は何一つ変わらない。
やり直しの効く分岐なんて、とうの昔に潰されてるのにさ。
それを最後の最後で――」
と、言葉を止めた亜朱香の語尾には、珍しく苛立ちのようなものが見て取れる。
いや……というより、これはひょっとしなくても、
「亜朱香、お前怒ってくれてるのか」
「ああ、うん……そりゃ怒るよ。
好きな人を馬鹿に、いや虚仮にされてるんだしね」
「……悪い」
思わず口をから出た言葉に、なんで博俊が謝るんだい、と呆れたようにぼやく亜朱香。
何でと聞かれれば、余計な心配をさせてしまったから……なのだが。
素直に答えるのは少々気恥ずかしいし、情けない気もする。
――とりあえず着替えてくるか。
一旦仕切り直すべくその場を離れようとすると、くい、とズボンが引っ張られ……いつの間にか亜朱香にすそを掴まれていたことに気付く。
それに対し、なんだよ、と返すと彼女は少し笑って、
「ほら。最初に言った通り慰めてあげようかと思ってさ……気分じゃないかい?」
「……いやここに来るまで汗もかいたし、何だ、ほら」
「私は気にしないよ」
やはり、気を使われているようだ。
だが……まあ。
(乗っちまっても……いいか)
幼馴染の事で僅かばかり燻ぶるものはあるが、今は目の前にいる亜朱香のほうが、ずっと大事なのだと――そう思えるから。
今日ばかりは差し出された手を取って、少しばかり甘えてみる事にした。