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第三話 どうちゅう

「外国語の予習課題がノート二十ページ分、それに数学のテキストが三十ページ、加えてAIについてのレポートを一万字も書かなきゃいけないんだぜ?気が触れてんだろ」


「オレはよく知らないけど、どこの大学もそんなもんじゃないのか」


「いいや違うね。アイツらはオレがスポーツ推薦だからってバカにしてるんだ。オレが高校三年間バレーボールしかやってこなかった脳筋だって、そう思ってるからこんなに大量の課題を寄こすんだ」


 Aは大きく舌打ちして道端の小石を蹴った。背後から冷たい夜風が木立の葉を揺らし、私たち三人を厳しく包んだ。


深閑。現在、私たち三人は根岸森林公園を目指して歩いていた。遡ること九時間、私の携帯に唐突に送られたAからのメッセージ『根岸のドラゴンを見に行こう』は、その詳細を聞かずにまんまと決行されてしまったのだ。それも私だけでなく、同じ部活だったBまでもが、この意味不明な深夜徘徊に付き合わされていたのだった。


「おいそろそろ教えてくれよ。『根岸のドラゴン』っていったいなんのことだ」


私が幾度となくしびれを切らしてそう聞いても、Aは真剣なのかふざけているのか判別できない表情で「だから何度も言ってるだろ。森林公園にいくことさ」


「だったらはじめっから『森林公園に行こう』って、そう言えばいいじゃないか。なんだよ『根岸のドラゴン』って。そもそもドラゴンってなんのことだよ」


不満げに語調を荒げても、「オマエはいちいちうるさいんだよ。黙ってついてくりゃいいんだから」と半笑いで返されるから、私は言い返す気力も失せて、隣を歩くBに(コイツ、おわってんな)と目配せで愚痴ることしかできないのである。そんな時Bは、いつもの穏和な微笑で、(まあまあ)となだめるような表情で、一向にAに反論しないのだった。


「そう慌てんなって。着いたら教えてやるからさぁ」


軽やかな足取りで先頭を行くAの大きな背中を眺めながら私は大きくため息をついた。こんなことになるのならわざわざ家を出て来るべきではなかった。久しぶりに幼馴染に再会できると期待してきたものの、待っていたのは近所の深夜徘徊だ。けれど深く心の底を探ってみると、私の内部に潜んでいるものは、何か良からぬことに巻き込まれるのではないかと危惧する気弱な感情と、予期せぬ出来事を待ち望む好奇心とで入り混じっていたのだ。私は彼に対する苛立たしさがほんの少し和らいでいくのを感じた。未だかつて味わったことのない緊張は、何か異様な出来事を生じさせてくれるような期待を孕んでいたのだ。どこまでも続く急斜面の坂をだらだらと登っていると、崖上の静寂な夜の住宅地に、乗用車の微かな走行音だけが遠くで響いて、私は胸を高鳴らせながら、電灯に照らされて小さくなるAの背をぼんやりと追っていた。


 ここで〈根岸〉についてもう一度記しておく。Aの語る〈根岸〉とは、私たちの住む町から二キロほど離れた丘の上に位置する総合公園〈根岸森林公園〉のことである。公園とは言っても、十九ヘクタール(東京ドーム四個分)の敷地に子供が遊べるような遊具はほんの少ししかなく、その広大な土地の殆どが樹木に囲まれた草原であり、春は梅にサクラ、秋はイチョウやカエデなど、公園の至る所に植えられた色づく木々の姿を季節を通して楽しめるようになっていた。横浜から南に三キロ進んだ高台にあり、市街地からそれほど離れているわけではないのだが、近くを通るJR根岸線の根岸駅は、平地である崖の下に位置していて、頂上にも広がる公園からは少し距離がある。そのため、住宅地を裂くようにして広がった草原は、崖の上を縫うようにできた住宅地の中に、まるで孤島のようにひっそりと存在していた。人家ひしめく一帯に、突如開けたその公園は、初めて来た人には異様で、どこか別の土地のような雰囲気を感じさせるのであった。


 それではなぜ、そんなところに公園なんぞ造ったのだろうかと、誰もがそう思うだろう。しかし、これには複雑な事情と長い歴史があるのだ。


 時は江戸時代後期、開港から数年で外国人の増えた横浜に次々と居留地ができるようになった。今の関内、新山下、山手辺りである。そんな日本にやってきた外国人の中には、西洋では日常的な娯楽であった「競馬」を切望する者が多く存在し、ないのならば造ってしまおうと、本格的な競馬場を建設すべく目を付けられたのがこの丘の上根岸の地であった。港から近く、丘陵で農業を営む小さな村だった根岸に、近代的な建造物の目立つようになったのはこの頃からである。


 日本で初めて建てられた洋式競馬場「根岸競馬場」は太平洋戦争まで開かれた。当初は居留地に住む外国人の間だけであった競馬への関心が、一般市民に浸透するのにそう時間はかからなかった。連日大盛況の競馬場には、近代技術を駆使した観覧席(馬見所)が造られ、主要人の社交の場としても使われた。戦時体制化になる前の根岸の地は、まさに人と馬とが触れ合う絶好の場所であったというわけである。


 太平洋戦争が開かれると、根岸競馬場は軍の手に渡り、敵国兵を収容する施設として観覧席などが使われた。開催中止に追い込まれた競馬場はその翌年に閉場し、その後、敗北を喫した軍は解体され、競馬場はアメリカの手に渡り、根岸の地一帯は接収されることとなる。


 それから二十年、競馬場はアメリカの元でゴルフ場や居住地として使われ、周辺の設備や町並みはすっかり外国色に染められて返還されることになる。今から半世紀ほど前のことだ。米軍は丘の上に兵隊の居住地とするべく「根岸住宅地区」をつくり、接収が解除された後も、米軍基地として厳重に管理した。一部の土地の接収が解除された根岸競馬場後は、後に市が整備を加え「根岸森林公園」として開かれる。一九七七年。ちょうど私の母が生まれた年に、根岸は今の森林公園として生まれ変わったのである。しかし、公園と隣接された米軍基地は、返還合意がなされたものの、未だアメリカ軍の手によって厳重に取り締まられており、鉄条網を張り巡らされた「根岸住宅地区」の街並みは、フェンス越しにアメリカの姿のまま、今も残されているのであった。


 そんな私が初めて公園を訪れたのは保育園の年長になった頃で、レクリエーションの一環としてクラス全体で行われた遠足に、保母さんと手を繋いで行ったことを鮮明に覚えている。確か、そのクラスにはAもいたはずだ。丘を上った私たちは、公園の北側を占めるドーナツ広場から園内へ入り、そのまま芝生広場をぐるっと周回して散策を楽しんだ。芝生を囲うようにして植えられた木々の下には、枯葉に混ざってドングリや松ぼっくりが沢山落ちていて、私たちは昼食が終わるとこぞってそれを拾い、投げ合ったり磨いたりしてひとしきり楽しんだ。


 芝生広場の外れには小さな蓮池があり、斑状に照らされた水面に大勢のカメが一斉に直進していて、そこに糸を垂らしてザリガニが釣れるのを待ったりもした。真南に位置した太陽が赤く染まるまで、私たちは普段住む町では味わえない自然の中で、思い思いの時を過ごした。公園を別れるのが惜しいくらいだった。帰り際に眺めた木々の葉から差し込んだオレンジ色の夕焼けが、私を何故か悲しい気分にさせたことも思い出のひとつである。市民の憩いの場としてながく親しまれてきた根岸との出会いは、そんな初々しい記憶の元で今もしっかりと、私の目に焼き付いているのであった。




 坂を登り切ると、屋根の付いた歩道にシャッターの下がった個人商店が幾つも続いていた。車の来ない横断歩道を渡り、私たちは夜のアーケード街を進んだ。人ふたりがぎりぎり通れるほどの幅を、明滅する蛍光灯の青白い光に照らされながら、カタツムリのようにゆっくりと歩いた。前も後ろも人の気配が一切ない夜中の商店街は、これから先起こるであろう出来事を暗示しているかのように、不気味な異様さを醸して私たちの背を優しく撫でているようだった。時折、年季の入った建物の軋む音や、微風で揺れる締め切ったシャッターの響きが私たち緊張の糸を曳き、朗らかだった三人の間に無言の空気が漂うと、左手に伸びた一般道に乗用車が勢いよく走り去っていった。


「あそこを右に曲がったらすぐだよ」


とAが口を開くまで、私たちは互いに顔を合わすことなく静かに歩き続けていた。コンビニを横切って少し進んだところに、二メートルほどの巨大な看板が立てかけてあって、青を背景に白文字で「YOKOHAMA DETACHMENT NEGISHI NAVY HOUSING COMPLEX」と書かれている。接収時代に造られた米軍基地の看板が、今もそのままの状態で置いてあるのだ。


「ここをまっすぐ行けばゲートに繋がるんだ」


「米軍基地の?」


「そうだ。基地の一部に公園も食い込んでいるからな」


看板の横は緩い坂になっていて、通行止めのように道路に三角コーンがまばらに置かれていた。進んだ先にゲートがあり、まだ米兵が住んでいた頃はジープや軍用車がしょっちゅうこの坂を上ったのだろう。私は倒された三角コーンをぼんやりと見つめながら、木々の奥に潜む闇の中に、キャップを被った米兵が住んでいる光景を思い浮かべた。


Aが先へ進もうとすると、後ろにいたBが「オレ、ちょっと喉乾いちゃった」と恥ずかしそうに答える。「ついでにタバコも買ってきてくれよ」と慣れた手つきで最後の一本に火をつけて、Aは道路の端で煙を吐く。「何か他に買うものある?」と聞くBに首を振って、私はポケットから携帯を取り出した。午前零時二十三分は横浜の天候と気温を示して光るだけで、なんの情報も伝えなかった。深いため息。疲労のような唸りが小さく口から零れ出ると、言いようのない虚しさが急に胸に込み上げてきて、私はBが去ってから、Aに向かって「そろそろ教えてくれよ」と弱々しく呟いた。


「公園はもうすぐそこだ。いい加減、なにをするのか話してくれよ」


「慌てんなって。これを吸ったら教えてやるからさあ」


Aはにやにや笑いながら前髪をいじくっている。


「オレ、何だか虚しくなってきたよ。こんな夜中にこそこそネズミみたいに歩いてさ」


「散歩だっていいじゃないか。こうして久しぶりにみんなと話せるんだから」


歯を剥き出しにして笑うAは、不満げな表情で腕を組んでいる私に、ポケットからしわくちゃの板ガムを取り出して手に載せた。お菓子で機嫌を取るなんて、子どもじゃないんだからと呆れながらも、私はAの心意気に感謝してピンク色のスティックを口の中に放り込んだ。


ガムは思いのほか甘かった。イチゴでもピーチでもない、不思議な甘味料の味が舌の上で跳ねていた。私はまだ味のするガムを容紙に包んでポケットに入れた。それを不思議そうに眺めていたAが、吸い殻を垂らしながら口を開いた。


「オレのじいちゃんのこと、オマエ覚えてるか?」


「ああ、石工職人のだろ」


 Aの祖父はなが年横浜で石材屋を営んでいた。工事現場で使う石材の調達から墓石の設計、庭に置く小さな燈篭から路の舗装まで、石に関するものの全てを請け負っていた。Aの両親は共働きだから、授業参観など学校行事に顔を出すのは決まってその祖父で、いつ見てもウールのニットシャツに黒地のスラックス、長く伸びた髭はハンチング帽の下と同じ乳白色に輝いて、左手に持った杖がより一層彼を気難しい職人気質に映していた。若い夫婦の多いクラスに、ひとりだけ腰を屈め授業を聞くその姿はかなり目立っていて、クラスメイトに陰で仙人とあだ名をつけられていた。


「オマエのじいちゃんが何だって言うんだよ」


私が不思議そうにそう聞くとmAは少し恥ずかしそうな、ためらった表情を一瞬浮かべて煙を吐いた。


「死んだんだよ、去年の十一月に。心臓病でね」


私は無言で頷くと、米軍の看板をしばらく眺めた。風がまた強くなっていた。


「それでちょっと気が滅入っちゃってね。二週間くらい学校を休んだんだ」


「よく卒業できたな」


「マジでギリギリだったよ。一年の時みたいに、毎回赤点とってたら確実に留年だった」


 ちょうどその時ビニール袋を提げてBが帰ってきた。彼は緑色のタバコとコーヒーの他に銀色のアルミ缶を取り出して、不敵な笑みを浮かべながら黙ってAに差し出した。「確認されなかったのかよ」と驚いた口調のAに「留学生だったからね」と蓋を開けて口をつけるB。「この辺りは昔から多いもんね」と私が受け取った缶に鼻を近づけて眉をひそめる。アルコールの鼻を突く匂いが疲れ切った頭に響く。「アジア系は見た目が似ているからわかんないよ」と、缶をひったくって一気に飲み干すA。


「うちのバイトに新しく入ったコが二人とも中国人なんだけど、最初はオレもわかんなかったなあ。顔立ちもそうだけど、話し方なんかもまるっきり日本人なんだよ」


口に泡を付けたままのAは水を得た魚のようにハキハキと喋りだす。「オマエ、バイトしてるのかよ」と驚いた私は缶から手を遠ざけた。


「ああ、三月にこっちに戻ったから、まだひと月も経ってないけどな」


「何のバイト?」


Bはポテチを食べている。


「駅前にある居酒屋に週四。オレが来てから二週間後にその女の子たちが来てね。それで親睦会をやるって嘘ついてふたりを誘ったら、片方は私用でいけないけど、もう一人の方は空いているって言うんだ。ちょっと外れたところにある焼き肉屋、ほら、昔みんなで行ったところだよ。そこに入っていろいろ喋って酒も飲んで、気持ちよくなったところで向こうが言ってきたんだ『先輩、ワタシ中国人なんです』って具合にね」


「JKに酒なんて飲ませるんじゃないよ」


「酒はアイツが頼んだんだ。それで『いつから日本にいるの?』って聞いたら『十五歳でここに越してきたから、ちょうど二年前です』って。定時制に通いながら母親と弟と三人で暮らしてるみたいだけど、ちょっと諍いがあって二三日家に帰ってないって言うから、だったらうちに来る?って冗談半分で言ったんだよ。酒も入って酔っていたからね。そしたら『ほんとうですか!』って目を輝かせてくるもんだから、そのまま家に連れ込んで、今週はずっとオレの部屋で寝泊まりしてるよ」


 予想外の告白に口に含んでいたコーヒーが気管支に入り、私はむせ返ってせき込んだ。二缶目のビールに手を付けていたBは「ハハハハ」と上機嫌に笑っている。酔いが回ってきたのか上気した顔に赤みが増して普段よりも大人っぽく見える。どうせAも酔っぱらっているだけなのだろうと、缶を口にする顔をまじまじ覗くが、彼は顔色ひとつ変えず、飄々とタバコに手を伸ばしている。どうやら彼は酒に強い体質らしい。


「そのコ、どうするんだよ。まさかずっとオマエんちで暮らすってわけにもいかないだろ」


「さあな。帰りたくなったら帰るだろ。弟とは毎日会っているみたいだし」


「親父さんは」


「親父はなにも言ってこなかったな、母親は笑ってたけど。俺は一人っ子だし、家族は放任主義だから、その辺はみんな寛容なんだろう」


 遠くで犬の声がした。静まり返った夜の住宅地に響くその叫びは、断続してしばらく闇の中を走り、私たちの間にもしばらく沈黙が流れた。すると二缶目を飲み干したBが突如しゃっくりを上げ「ごめん」という声の後に茂みの方に背を向ける。嗚咽とともに、液体がしぶきとなってアスファルトに流れ落ちる。慌てて私が背を擦り、飲みかけのコーヒーを飲むように勧めた。「無理して飲むからだよ」と言う私に、「ごめん、いけると思ったんだ」と目を赤らせて息を切らすBは、やっぱりまだ幼かった。いつしか犬の声も止み、再び寝静まった深夜の時がゆっくり流れると、今日一番の寒風が路にたたずむ私たちに押し寄せた。酔いの入った身体に熱さと寒さが入り乱れ、私を夜の奥そこへと誘っていく。季節が変わるように、町も人も変わっていくものだなと、そうしみじみ感じながら、私はBの肩越しに夜空へ昇るAの煙の糸を目で追っていた。

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