#13 『陽は沈む』
圧倒的な存在の出現と異質な存在の消失により、村の要であった場所の平穏が取り戻された。
しかし、平穏が取り戻された一方、傍付き護衛の内心は穏やかではなかった。
滅多に出会うことの無い重要人物である『狂想なき楓』幹部ニゲラ・ガルミアをあと1歩のところで取り逃してしまったという事実が神社内に残ってしまった。
「今から追えば間に合う」、その自信がブレイブの心の中には存在している。
しかし一つの要素が邪魔をするせいで、葛藤が生まれ、この最大のチャンスに待ったをかける。
傍付き護衛の何よりも優先すべき任は、護衛対象の安全の優先である。
平穏が戻ったとはいえ、「創造者」の安全が完璧に保証された訳ではない。
――優先すべきは「創造者」様の安全⋯、しかしこの絶好の機会を逃すのも⋯
そんな葛藤の中、傍にいた「創造者」が答えを示すかのように口を開いた。
「ブレイブ、『狂想なき楓』の幹部クラス一人が罪なき人々に与える被害の具体的な数字は知っていますか?」
「「創造者」様⋯、そうですね⋯、例えでよく挙げられるのは、幹部クラス一人につき大体街二つ分の人口数の被害がでる、というものでしょうか⋯、それがどうかしましたか?」
「そうですね、その通りです。ならばあなたの介入があったとはいえ、そのような脅威を食い止めることに貢献したカエデくんを失う訳にはいかないと私は考えています。」
「⋯⋯、確かに彼がいなければ僕は今この瞬間、任を全うすることが出来ていなかったかもしれませんが⋯、しかし神使の存命は一般人の存命とは比にならないほどの価値があると僕は教わってきました⋯、僕にとってはあなた様を守る事が優先事項に⋯」
傍付き護衛という立場を考慮して本当に自分がしたいことを諦めようとする、そんなブレイブの心の底の思いに気づいた「創造者」は話を遮るように話し始めた。
「ならば神使としてあなたに命令します。カエデくんの安全が確保されるまで、あなたの護衛対象をカエデくんとします。加えて『狂想なき楓』幹部ニゲラ・ガルミアを拿捕しなさい。」
「⋯⋯、命令となれば仕方ないです⋯。その任、必ず遂行致します。僕の手が届かぬ間、どうかご無事で⋯。」
―――――――――――――――――――――
神社から少し外れた林の中、ニゲラとカエデは向き合っていた。
「取引ぃ?そんな胡散臭い話が通用するわけないだろっ!何を企んでんだよ、ニゲラっ!」
カエデのその言葉に、ニゲラは少し困った表情を浮かべた。
「だからそんな噛み付くなってぇ⋯、取引はちょっと過剰に言ったかもしれないね。ちょっと話がしたいだけだよ。」
「敵と話すことなんかねぇって言ってんだろっ!」
「もし僕が敵じゃないって言ったら?ちなみにこの場合の敵じゃないは保身じゃなくて、神使にも君たちにも協力するという意味も込められていると付け加えておこう。」
「―――――」
「いや、違うな⋯、正確にはどっちの味方にもなり得ないってところかな。」
「どっちの味方にもなり得ない?どういうことだ?お前は組織の幹部なんじゃないのか?」
カエデの返答にニゲラは安堵したような声色に変わっていった。
「やっと興味を持ってくれたのか⋯、まあそうだね、形式上は幹部だよ。ただ僕は組織の一員だと思ったことは一度もない。」
「じゃあなんでここを攻めてきたんだよっ!組織の一員では無いけど命令には従いますってか!?」
「⋯⋯、ここを攻めた事実は認めるし、申し訳ないとも思うよ。でもこの任務は僕にとって必要な事だった⋯んだけど、少し予想違いが起こってね。」
「予想違い?俺がいた事か?」
「いや、『剣聖』の姿勢と在り方についてだよ。」
予想もしていない答えが返ってきて、カエデは首をかしげ眉をひそめた。
ニゲラは真剣な眼差しで話を続ける。
「『剣聖』にとある頼み事をするつもりだったんだけどね、あれにその頼み事は出来ないと判断した。これが予想違いの部分。そしてこの話は君の存在に繋がる。」
「ちょっと待ってくれ⋯?なんでそれが俺との話し合いに繋がるんだよ?」
「んー⋯、僕は君が英雄になり得ると思えたんだよ。ただ『剣聖』はもう英雄であって、さらに言えば僕の頼み事に乗ってくれないと思った。だから君に英雄になってもらうために取引をしようかなって。」
「英雄⋯?取引⋯?それを俺なんかに⋯?」
「僕の望む世界に君が必要だから⋯、だから、取引をしよう。」
カエデは少し俯き、考えて口を開いた。
「⋯⋯、分かった、聞くだけ聞く。」
「極力、君が助けを求める時以外は僕を見かけても干渉しないこと、『狂想なき楓』にもできる限り干渉しないこと、この二つだね。」
「それで⋯?俺に、俺たちにどんなメリットがある?」
「そうだね⋯、僕は君の周りには極力手を出さないと誓うよ。」
「⋯⋯、それは立場が同じような状況じゃないと信じることが出来ないだろ?自慢じゃないけど、俺はお前に対して圧力をかけれない。そっちが有利になりすぎるんじゃ、取引じゃなくて命令になる。」
「いやそんなことは無いさ。これは僕たちにとってウィンウィンの関係を築くための第1歩になる。そしてそれは君たちのためにもなる。」
「その言葉を俺が信じるって?」
「いや、君は信じるさ。それしか道がないからね。まだ今は。」
「お前の望む世界のために協力すれば、それが俺の周りのためにも、俺のためにもなるって?」
「うん、そうだね。君は僕のために、僕は君のために。」
「⋯⋯、分かった、まだ完全にお前を信じた訳じゃないけど、取引に乗ってやる。」
「そう言ってくれると思ってたよ。さて、そろそろ時間だね、あの化け物が来る前にさっさと⋯」
ニゲラがそう口にした瞬間、とてつもない衝撃と威圧感とともにカエデの目の前が砂塵に覆われた。
砂塵が晴れると目の前には、カエデを庇うように手を広げ、剣を突き立て、ニゲラを牽制するブレイブの姿があった。
「遅れてしまってすまない⋯。無事でよかった⋯。」
ブレイブのその言葉には、神社での戦いの時とは違って、どこか静かな怒りが篭っているようだった。
冷たく、鋭く、そして辺りを切り刻むようなプレッシャーを放つ彼に、ニゲラは徐々に覚悟を芽生えさせる。
しかし、そんな状況を良しとしないものがこの場にはいる。
拮抗した状況に水を差すように、ニゲラと取引した内容を知らない『剣聖』に事情を伝える為に、カエデはブレイブに告げた。
「ちょっと待ってくれブレイブっ⋯さん!こいつを見逃してやってくれないか?」
その言葉にブレイブは静かに、しかし驚きを表情に出すことなく、返事をする。
「⋯すまない、僕には君の言っていることの意味を理解できない⋯。何を吹き込まれたのかは分からないが、ニゲラに肩入れをしてしまえば、君も同罪ということになってしまう。君は僕が礼を言うべき人物であって、拿捕するべき人物ではない。馬鹿なことを言うのはやめてくれ⋯。」
「違うんだよ!肩入れしてるわけじゃないし、絆された訳でもない!ただこいつと話して、こいつら今ここで捕まえるべきじゃないって思っただけなんだよ!」
「⋯⋯、それを普通は「絆された」と言うんだよ⋯。君は惑わされているだけなんだ。よく考えてみて欲しい。先刻まで殺し合いをしていた相手の話を君は信用出来るのか?君ならば理解できない道理は無いはずだ⋯。」
「そういうことじゃないんだよっ!頼むっ!後で事情は全部⋯じゃなくて話せないこともあるけど、話さないといけないこととか、納得するように説明するからっ!だから⋯」
カエデが言葉を続けようとしたとき、ブレイブはカエデの言葉に割って入るように告げた。
「――そもそも、僕は『国威剣聖』という立場を任されている。今の僕は『傍付き護衛』としてではなく、騎士団の一員としてこの者を連行する義務がある。それにこの者の連行には組織の情報を掴むためのチャンスになるという重大な要素も含まれているんだ。すまないが、恩人の頼み事といえど、任を外れた行為は了承しかねる。」
その言葉にカエデは反論することが出来なかった。
そもそもブレイブの言っていることが全て正しい。
どれだけお互いに協力し合う取引をしていたとしても、一騎士団員、ましてや『剣聖』にとっては関係の無いことである。
この場では、騎士団員であるブレイブの判断が絶対である。
しかしどれだけ理屈が通っていてもカエデは諦められない。
だがこの小さく大きな争いは意外な形で終わることとなった。
「――もうお手上げ、降参だよ⋯。そいつなら『剣聖』を上手く説得できるかなと思ってたけど無理そうだしね。」
今まで言葉を発していなかったニゲラがついに口を開き、白旗を掲げたのだ。
相も変わらず驚く素振りのひとつすら見せない『剣聖』と、両手を挙げ、笑みを浮かべながら佇む『希望の守護者』と、何の変哲もないただの青年と。
しかしながらブレイブがもう躊躇する必要は無い。
この瞬間、二者の間で右往左往していた主導権は確かにブレイブに移り、この場を掌握したと言っても過言ではなかった。
「――連行するにはいくつか準備を整える必要がある⋯。」
ブレイブはニゲラに近づいていき、ブレスレットのようなものを自身の内ポケットから取り出した。
「これは権能を無力化する拘束道具になっている。今からこれを君の腕に付けさせてもらう。」
ブレイブは手馴れた様子で準備を始める。
この瞬間にもブレイブは油断のない立ち振る舞いをしながら鷹が獲物を睨むように、警戒を怠らずにいる。
「――その必要は無いです、『剣聖』⋯。」
突如として声が響く。
ブレイブの前方30mほど先、夜の闇のなかから二つの影が姿を現した。
後ろでただ見守っていたカエデは、その影の姿を見て心臓の鼓動が段々と速くなっていくのを感じた。
フードのようなもので顔を隠し、その衣服はボロボロであった。
しかしながら流石は騎士であり『剣聖』。ブレイブはその姿を視認しても一切の動揺を見せなかった。
それどころかカエデを気遣う余裕すらもあった。
「カエデくん⋯!少し下がっていてくれるかい⋯、君を巻き込む訳には⋯」
ブレイブが振り返りながら言葉を続ける、が、その言葉は予想もしない出来事を目の当たりにして詰まることとなる。
背から腹へと貫く赤の塊。
存在感の無い物体が、貫いた瞬間、色を放つ狂気を握りしめ、カエデの身体の中心を突き刺していた。
遅れてやってくる感覚と、それを感じる暇もなく、意識はどこかへと飛び去っていった。
微かに覚えていたのは、小さく響く声のみ。
「カエ⋯デくん⋯?」
―――――――――――――――――――――
とある一室、夜も明け、光が差し込む窓が明るい空と平和な土地を映している。
窓の外、見えるか見えないかほどの傍には、のどかな雰囲気に似合わぬ綺麗なすみれ色の髪をした男が、物寂しそうに佇んでいる。
傍らに座る女の子と、よく見知った青年と。
そこに眠る何の変哲もない――包帯を巻かれた青年。
――⋯⋯、知らない天井⋯、俺は転生でもしてしまったのか⋯?んんん⋯?なんだろう⋯?ものすごく騒がしいような⋯?
「――カエデっ!」
そのいつもよく聞いていた声に、自分は転生した訳ではないと気付かされる。
泣きじゃくるカリンと、心配そうに見つめるガルドラと、勢いよく窓から顔を覗かせるブレイブと。
何があったかを頭が理解するまで、
ずっとそんな――、
「いつも通りであって、いつも通りより少し変わった日常に戻っていた。」