猫化症
『猫化症(カトルス症)頭からネコ科の耳が生える病。進行すると尻尾や髭が生え、最後は猫になって衰弱死する』
「は?死ぬん?」
「らしいよ」
「それどこ情報?」
「ウィ○ペディア」
教室の片隅、机を挟み椅子を向かい合わせて座る二人。
男はスマホを見つめ、女は横を向いて机に伏し、外のゲリラ豪雨を見ていた。
「終わった、死んだわ。バイバイ。」
「諦めんの早くね?」
病院行けばいいじゃん、と言って男は顔を上げた。
「こんな猫耳つけたかわいいJkが外出たら何処ぞのおっさんに襲われるでしょー?」
女は伏せたままゆらゆらと真白の尻尾を揺らした。
「お前、意外と自己肯定感強いよな」
「私くらいは私のこと褒めてあげたいもん」
男は再びスマホへと目を落とした。
「生える耳にもいろんなやつあるらしいよ。ライオンとか、チーターとか、ネコ科全般。しかもそれぞれ意味あるんだってさ。」
「そういう豆知識はいいから、原因とか書いてないの?」
「待てよ、順番に読むから」
『猫化症の発症の主な原因は、感情の抑制からのストレスによるもの。負の感情であることが多い。』
「心当たりは?」
「……さっき、彼氏に振られた」
「は?!一年の時に付き合ったバスケ部の奴?」
「そー。」
男は真白の耳がピクピクと動く様子を見ながら訊いた。
「何、なんかあった?」
「新しく来た女子マネと付き合うんだってさ」
「うわ、それ正面から言われたの?」
「ううん、さっきメイちゃんからメッセージきた」
「ふーん」
メイちゃんとは女の親友であり、一番の情報通である。
暫く、静かな時が流れた。
その間も雨脚が弱まることは無く、降り続けている。
「そっちは」
「なに?」
「彼女とかできたの?」
「いやいやこんな平々凡々な奴に彼女なんて無理だって」
「……嘘つき」
女は顔だけをあげ、男を見た。
真白の尻尾がパタパタと椅子の足を叩く。
「いつもすぐ帰るくせに何で今日は残ってるの?」
「そりゃあ、突然雨が降ってきたから」
傘持ってきてないし、と目線をうろうろとさせながら答えた。
「RHの時は降って無かったよ。急げば降る前に家に着けたんじゃない?近いんだから」
「……」
男は後頭部をガシガシと掻いた。
「あー、……見てた?」
「たまたま見ちゃっただけ。別にストーカーとかしてないからね?!すぐ離れたし!」
「わかったわかった、疑ってないって」
男は少し前、クラスメイトの女子に校舎裏へと呼び出されていた。理由は女が察した通り告白である。
「断ったの?」
「まあ、いろいろあって」
「そっか」
女は再び窓の外へ顔を向けた。
「でも、よく話しかけられたよね。全く連絡して無かったのに。」
「いや、猫耳つけた誰かが俺の席座ってたら誰でも気になるって。まさかお前だとは思わなかったけど。」
「……」
女が黙り込んでしまった。
不思議に思った男はスマホを下ろして女をみた。
真白の耳がペタリと伏せてしまっている。
その上、女の顔から細い何かが生えているのが見えた。
「ちょっ、待って!髭生えてる!!」
「はぁー?花のJKに何てこと言うわけ?!デリカシーってもんがあるでしょうが!」
「違う、その髭じゃ無いって、猫のやつ!」
女がパッと男の方へ向いた。
「ガッツリ生えてる」
「うっそマジか」
「大丈夫?ネズミ食べたくなってない?」
「そこまで尊厳捨ててない」
女は深くため息をついた
「もうダメだわ」
「諦めたらそこで試合終了だよ」
「今バスケの話題止めて」
「サーセン」
「いや、ふざけてる場合じゃねぇ」
男は真剣にスマホと向き合い始めた。
爪が画面を叩く音を聴きながら女はつぶやいた。
「猫になったら、私のこと飼ってくれる?」
雨音にかき消されてしまいそうなほど小さな声だった
「は?」
しかし男は耳が良かった。
「……猫好きでしょ?」
「いや……好きだけど」
真白の耳が忙しなく動く。
「……しょうがないなぁ」
「良いんだ」
女は、ふふふと笑った。
「あった!」
『猫化症の治療法
猫化症は感情の抑制によるストレスから来るものです。
なので一番良いのはストレスの原因を取り除くことです。
しかし、それは簡単なことではありません。
まずは誰かに話を聞いてもらいましょう。会話でなくても大丈夫。あなたの心を少しでも軽くするためのものです。猫化症を発症したのは我慢しすぎてしまったからです。
猫化症はあなたを少しだけ素直にしてくれます。』
『生えた猫の耳やしっぽは、あなたが抑えていた感情を示してくれています。最も多いのはイエネコです。
意味は―――』
「……」
「あったんでしょ?どうかした?」
「なあ」
「うん」
「アイツのこと、そんなに好きなのか」
「元カレのこと?」
女は伏せた姿勢から起き上がり背もたれによしかかった。
椅子の背面と座面の隙間から垂れた尻尾がゆらゆらと揺れている。男はスマホの電源を落とし、置いた。
女はすこしだけ悩んで、答えた
「別に。」
「え?」
「よく考えたらそんな好きでも無かった」
「はい?」
「もう吹っ切れたし、いいかなって」
「えぇー」
女はケロッとした顔でそう言った。
「原因は元カレじゃないのか?」
「多分」
「振り出しに戻ってね?」
「ほんとだ」
女はまたふふふと笑った。
いつの間にか、髭は無くなっていた。
「じゃあ耳生えた時、何考えてた?」
「そんなの覚えてない」
「なんとなくでいいから」
女は放課後にあったことを順番に思い返した。
部活前の体育館に呼び出され、流れるように別れを切り出された。
しかも「ごめん、別れよう」の一言のみ。
悲しみよりも強烈な怒りが湧き上がった。誰かに言いたい。吐き出してしまいたい。こんな時にいつも付き合ってくれたのは誰だっけ。ああ、幼馴染の彼。元カレが嫌がるからと自分から連絡を切ってしまった。
「もう、聞いてくれないかもって、思って」
「……」
『イエネコの意味は"さみしい"』
「しかも、告白されてるし……」
体育館の入り口からは、校舎裏がよく見えた。
丁度考えてた相手が見えて、女は咄嗟に逃げてしまった。
そのまま帰る気分にもなれず、教室へ戻り意味もなく彼の席に座った。空は暗く、今にも雨が降りそうだった。
曇った空を見つめながら頭がいらない事を考える。あれ、さっき、彼は誰かと一緒だった。スカートだったから女子だ。校舎裏で、二人。告白じゃん。彼女出来たんだ。取られちゃった、あたしの幼馴染。いつの間にか遠くへ行ってしまった。もう、あたしの事なんかどうでも良くよくなってるかな。
さみしい
「……て、考えたら耳が生えてた」
女はまた伏せてしまった。顔を下にして隠している。
「……じゃあ、髭が生えたのって」
「……全然名前呼んでくれないし……」
さみしくなって、と呟いた声を聞いた男は両手で顔を隠して深く、息を吐いた。
「つまり、原因はオレか」
「……ごめん、何も悪く無いのに」
「いいって、とりあえず顔上げてよ」
こっち見て、と男は言った。
女はおそるおそる男を見た。
「お前、ほんっとバカだよなぁ」
男はとても優しい顔で女を見ていた。愛おしいと、伝えるような暖かな瞳だった。
「鈍感め」
「……怒ってないの?」
「何で怒るんだよ」
「だって、自分から離れたくせに勝手に……」
「いーの!」
男は嬉しそうにニヤリと笑った。
「好きな奴にこんなに求められて、嬉しくない男はいないって!」
「……え」
「言っとくけどな、オレが告白断ったのはお前のことばっか考えてるのに付き合うのは失礼だと思ったからだし、いきなり名前呼ぶと嫌がるかと思っただけで良いなら全然呼べるし、あと、たった二年離れただけで嫌いになるほど短い付き合いじゃないだろ?幼稚園からの仲だぜ?」
女は驚いた顔のまま固まった。
「疲れてるだろうし、傷心に付け込んだとか思いたくないから今は言わないけど、オレ結構一途だから。」
「……本気?」
「本気と書いてマジ」
「あーー」
女は頭を抱えた。顔は真っ赤に染まっている。
「あんた、バカじゃないの……」
「バカには言われたくないな」
「うるさい……」
ハハハッと笑い声が響く。
「もう大丈夫だな?」
「……ん」
「じゃあそろそろ帰ろうぜ」
いつしか雨は止んでいた。
「送ってやるよ」
「隣なんだから変わんないでしょ」
「それはそう」
二人は並んで歩いた。空いた隙間を埋めるようにそっと真白の尻尾が男に寄り添った。
次の日の朝、真白の耳は無くなっていた。