鷲の魔女3
ライナと、そしてライナの頭を一時の巣に定めたらしく離れていこうとしない鳥は、鷲の魔女が人間に戻る三週間後まで、しばらくこの場所でお世話になることになった。
「鷲の魔女さんは、鷲の姿でも正気を失ってはいないのですね」
「そうだね。彼女は冷静な人だから。流石に人間の時ほど意思疎通ができるわけじゃないけど、おかげでいろいろと助かってるよ」
次に鷲の魔女が元に戻るのは三週間後。
その間をずっとお世話になるのも気が引けるし、なによりそういえばクロダイという旅の同行者をひとり置き去りにしてしまったことを考えて、ライナは最初は出直すと言った。
しかし、二番目の兄はライナからそう聞くと、あっさりとこう提案した。
「いや、ここにいるべきだ。三週間もの長い間、妹を森に放り出してなんておけないよ」
「でも……」
「そのクロダイくんについては、彼女が探してくれるから」
ね、と話を振った二番目の兄にこたえるように、隣の鷲が羽を広げる。
ライナには鷲が何を思っているのかはわからなかったが、そうやって羽を広げながらうんうんと頷くように頭を上げ下げしている鷲は、その通りだと言っているように見えた。
かくして鷲の魔女と二番目の兄のお宅にお邪魔することになったわけだったが、そこでライナは毎日のように目を丸くしていた。
それはなんといっても、二番目の兄の特技によるところだった。
「今日のおやつは、焼きりんごだよ」
「……わあ」
二番目の兄は、料理がとても上手だった。
それは、普段は『お人形さんのよう』なライナが毎回飽きることなく新鮮にびっくりするほど、見事な腕前だった。
「焼きりんごはね、まず中心のりんごの芯をくりぬいて作るんだ。こうして指を一本立てて、その半分くらいの深さにね。全部くりぬいちゃだめ。りんごを器にするような形にするんだ」
ライナは一応は一国の姫だったので、料理をしたことはなかった。
ライナにとっての料理といえば、豆の入った薄いスープと、固いパンくらいで、食事を楽しいと思ったこともない。
だから、兄達を探すために城を出てからの、森で見つけた木の実や果物、一番目の兄と熊の魔女のところで出された料理も、ライナにとってはとても新鮮で珍しいものだった。
「くりぬいた穴に、お砂糖にバターに、スパイスのシナモンを入れて、お好みでちょっとだけラム酒を垂らす。オーブンにいれて、中でお砂糖たちがゆっくり溶けるようにじっくりことこと焼いたら出来上がり。あったかいうちに食べてね」
湯気の立ちのぼるりんごは赤々として、ぐつぐつと甘酸っぱい香りを漂わせている。
小鳥の装飾でふちが飾られたかわいいカップとソーサーのセットに、アップルティーが注がれて、銀のナイフとフォークまでどうぞと出される。
目が離せないまま、けれど、両手を膝の上に置いたままのライナに、二番目の兄が首をかしげた。
「……食べないの? 冷めちゃうよ。あ、りんご苦手だった? それともシナモンかな?」
「いえ。いいえ」
りんごは嫌いではないし、シナモンは、食べたことはないがこちらの香りも嫌な感じはしない。
首を横に振ったライナは、不思議そうにする二番目の兄に「……お母様が」と口を開く。
「……母上が?」
「『あんまり食べすぎると、おなかが悪くなりますよ』と、いつも」
「……ライナは、おなかが弱いの?」
「いえ。お腹を壊したことはありません。なんでも食べます」
ライナが答えると、二番目の兄は考えこむようにすっかり黙ってしまった。
あつあつのりんごに目を落としながら、ライナはぼんやりと思い出す。
『あんまり食べすぎると、おなかが悪くなりますよ』と王妃は言って、あまり食べさせてはくれなかった。
ライナは幸いにもいたって健康な子だったし、それが王妃の方便だということはあきらかだった。
なにせ『あんまり食べすぎる』ほどに食べるものはいつもなかったから。
だけどそれは、ライナだけではなく王妃も父王も同じだった。
みんな同じ豆の薄いスープと固いパン。
だから、森に入って、ひとつひとつ丁寧に摘んだ野いちごを口にいれながらも、ライナは考えていた。ライナだけがこんなふうにしていて『おなかが悪く』なることになりはしないかと。
二番目の兄と鷲の魔女のところへきて、しばらく経った。
城で食べていたものよりも森で拾って食べていたものとも比べ物にならないほど二番目の兄の作る美味しい食べ物を食べながら、ライナはこれでいいのだろうかとときどき不安に思うのだ。
「そっかぁ。でも、おれはライナに食べてもらいたいな」
しばらくじっと黙っていた二番目の兄は、やがて、笑顔で言った。
にこにことした顔を見つめながら、ライナはフォークとナイフを手に取る
「……いただきます」
「めしあがれ~」
ライナがそれだけでひとつのケーキのようなりんごを切り分けている姿を、二番目の兄はにこにこと眺める。
その横に、開いた大窓から鷲が舞い降りてきて着地した。
「あ、おかえり」
「おかえりなさい、二番目のお義姉様」
鷲の魔女の家は、空の上にあるツリーハウスだ。
出入口となる場所は空にしかなく、あまりにも高いところにあるため梯子で行き来することもほとんどないのだという。
唯一の出入口は、いま鷲の魔女が降りてきた天窓だけで、自由に行き来するにはそれこそ翼がないとむずかしい。
『一応真下に井戸があるから、滑車のロープで引き上げてるんだ』
二番目の兄はいまの暮らしに特別不満はないようで、にこにこしながらライナに教えた。
『地面に遠い代わりに、空に近いから、綺麗な雨水も溜められるし普段の生活に困ることはないよ』
鷲の魔女は、出迎えに応えるように頭をゆっくりと上下させる。
見事な扇のような羽根を畳むと、巣に戻ってきたときの定位置――二番目の兄の隣に並んだ。
「きみもなにか食べる?」
二番目の兄が鷲の魔女に尋ねるのを聞いて、ライナも自分の肩に向かって話しかける。
「……あなたも食べたい?」
ぴちち、とライナの肩の上に止まった鳥が鳴く。
小首をかしげるような仕草で、何度か飛ばずに羽ばたきをすると、ちょこちょことちょっとだけ横にずれた。
なんとなく、大丈夫、結構です、というような雰囲気を感じた。
「いらない?」
「こっちもいらないって。じゃあ、おれら人間どもだけで食べようか」
あっさりと二番目の兄が言うのを、ライナはぼんやりと頷きながら考える。
鷲の姿の魔女の言葉を、『なんとなく』でもどうして二番目の兄はわかるのかと思っていたが、いざライナにもライナの鳥ができるとやはり『なんとなく』わかるものだったので、そういうものなのかもしれないと。
もっとも、ライナも、そして二番目の兄も、鳥全部の考えがわかるわけではなく、自分達の鳥のことだけだったが。
「クロダイに再会したら、二番目の兄様のお料理を食べさせてあげたいです」
図々しかっただろうか、と思って、とてもおいしいから、とそっと付け加える。
「それはいいね。おれも嬉しいな」
ライナと離れ離れになってしまったクロダイは、鷲の魔女が探してくれている。
まだ見つかっていない自分が名付けた男のことを思い出したライナは、二番目の兄の言葉に、首をかしげた。
「どうして二番目の兄様も、うれしいのですか?」
「だって、おれの料理を食べて、大事な友達にもあげたいと思ってくれたんでしょう。それはおれにとっても、嬉しい誉め言葉だよ」
「ともだち……」
オウム返しにくり返したライナに、それまでにこにことしていた二番目の兄が目を丸くする。
「あれっ、友達じゃなかった? じゃあ、大切な人……まって。でもまだそういうのは早いような気がするっていうかお兄ちゃん的にはなんかちょっとウワッブッ」
早口でなにやらまくしたてはじめた二番目の兄に、焼きりんごで口がいっぱいのライナがびっくりしていると、鷲の羽根が二番目の兄の顔面に激突した。それにまたライナはびっくりして、その拍子にごくんと口の中のりんごを呑み込む。
「……えぇ~? でも、だってさぁ……ライナはまだ七つだっていうし……もお。ハイハイ。わかったよ」
ライナにはわからない鷲の魔女の言葉に、二番目の兄は仕方なさそうに頷く。
しかし、次に起きたことに、ライナは驚きすぎて髪が逆立ったようになった。
「え? なに……あ、餌? あ~……うん、ありがとう……う、わかった、わかったから、あとで何かに……保存食とかにするからっ」
鷲の魔女が、嘴を近づけたかと思うと二番目の兄の口に大きなミミズやネズミを差し出した。
流石のライナも動転して、いつもとは違う意味で『お人形さんのよう』になってしまった。
二番目の兄は慣れているのか、さりげなく距離を取りながら礼を言っていたが、顔色はあまりよくない。鷲の魔女はどこか得意げだった。ライナから見てもそれはわかった。
「……これはね、鳥の給餌行為で……まあ愛情表現だから」
二番目の兄が必死に嘴から遠ざかろうとしている向こうで、ライナはそっと自分の肩を見る。
そこに止まっている鳥は、無言でライナを見つめ返した。




