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熊の魔女3



そういえば、森で出会った謎の男のことについて、一番目の兄に尋ね損ねてしまった。

ライナがそのことを思い出したのは、一番目の兄のところを出て数時間後のことだった。




あれから、一番目の兄はライナに『熊の魔女が戻ってくる前に逃げろ』と言ったが、ライナは首を横に振った。


王妃の望みは兄を連れ帰ること。


それが魔女にかけられた呪いとやらで叶わないのならば、ライナに呪いはどうしようもなくとも、せめて七日に一度元の姿に戻るという熊の魔女と話がしたい。


『わたしはこれから他の二人の兄様たちのことも探しにいきます。二番目の兄様も、三番目の兄様も、魔女にさらわれたそうなので、できるならなにか知らないかお聞きしたいです。呪いのことも、お話を聞いてわたしでお力になれることがあれば、お手伝いします』


とにかく思っていたよりも幸せそうに暮らしていてよかったが、兄が返ってくることを待ち望んでいる王妃に、このまま帰ってありのままを報告することもできない。


考えた末のライナの言葉に、一番目の兄は驚いたように目を見開いて、ライナをまじまじと見つめた。

そうして、どうしてか痛ましいものを見るような眼差しになり、苦々しい顔をした。


『お前、本当に七つ?』


唐突な問いかけに、きょとんとするライナに深いため息を吐く。


『……苦労かけたんだなぁ……ごめんな、俺たちのことで我慢させて。今まで大変だったろ?』


労りが滲む声に、ライナは驚いて、兄の顔をとっくりと見つめた。

母である王妃と似た、色の薄い茶色の髪。


ライナの前ではいつも厳しくきりりと目を吊り上げているか、ため息をつくばかりだった母とは違う態度。

今思えば、とライナは考える。王妃のライナや父王に対する態度は、いなくなってしまった兄たちのことがずっと頭から離れなかったからだったのだろう。


だけど、そんなふうに血のつながった家族から見つめられた記憶のないライナは、どうにもむずがゆく、すわりが悪いような、居心地の悪さと気恥ずかしさのようなものを感じた。


それがどういう気持ちなのかは、よくわからなかった。


かくして、ライナは一番目の兄の手引きによって、熊の魔女が七日に一度人間に戻る時まで隠れて匿われることになった。


そんなに時間をかけずとも一度ベッドの上に乗ればいいのでは、とライナは思ったが、妹の視線の先を見た一番目の兄が早口で『そっちを見るんじゃない』と言って口を挟ませなかったので、七日待つことになったのである。


魔女とその子がいつもは熊の姿でいるからか、彼らの家には地面に穴を空けたような貯蔵庫があって、体の小さいライナが隠れるには十分な広さだった。

ちょうど一家の使うベッドの下にある貯蔵庫だったので、音が気になるかと思ったが、幸いにもそういったこともなく快適に過ごした。


床下の貯蔵庫は、子どもが腹ばいになってやっと通れるくらいの穴によって外とつながっており、ライナは『七日に一度』のときをたまにその穴から訪れる子熊たちと遊んだり、すっかりライナの頭の上を新たな巣とさだめたらしい鳥をときどき外に出したりして過ごしていた。


幸いにも、ライナが訪れた時にはすでに『七日に一度』の半ばだったらしく、ライナは七日待たずして熊の魔女と顔を合わせることがかなった。


『まあっ! まあ、まあ、まあ! 妹様っ? はじめまして、わたくしが熊の魔女ですわ!』


人間の姿に戻った魔女は『こっちの名前のほうが通りがいいので』とそのまま自分で熊の魔女と名乗った。

興奮もあらわに、年の離れた義妹に近寄ると、両手をとって『なんて可愛らしいこと!』と声をあげる。人気のない城で暮らしてきて、普段あまり人から構われることのないライナは、その勢いに目を白黒とさせた。


ライナは一応、一国の姫である。

どんなに国の範囲がせまくなって、綺麗なドレスや宝石もなく、家来もほとんどいなくて、満足な食事にさえ事欠く毎日でも、その自覚だけは持っていなければならないと王妃にいつもこんこんと教えられてきた。

そのため、自分が姫であることは理解していたが、熊の魔女を見てまっさきにライナが思ったのは『お姫様だ』という自分の身分を忘れた純粋な感想だった。


人間の姿になった熊の魔女は、熊の姿とも、魔女といわれて想像していた姿とも違った。

背丈はライナとは頭一つ分くらい違って、一番目の兄とは二つ分以上も違った。

小柄な体はライナより五つか六つばかりはなれているくらいの少女といった様子で、とても子が二人いる母には見えない。

どこからどう見ても、ライナよりもよほどお姫様で、思わず向けてしまった困惑の目に、一番目の兄はいたく気まずげに『俺より年上だから』と聞きようによっては言い訳がましく聞こえないこともない言葉を発した。


熊の魔女は、少女のように楽しげな性格をしており『熊になっている時のことはよく覚えていなくて。追いかけまわしたみたいでごめんなさいね』とライナに謝り、親切にいろいろと教えてくれた。


『他の二人の弟さんのことは私は知らないけど、鷲の魔女と鯨の魔女については心当たりがありますわ。どちらもわたくしより年上ですが、やっぱりわたくしと同じように呪いにかけられています。わたくしが七日の後に一日だけ人間の姿に戻るところを、鷲の魔女は七週間の後に一週間だけ、鯨の魔女は七ヵ月の後に一ヵ月だけという違いはありますが!」

『お前、やけに詳しいな……』


一番目の兄も初耳だったのかびっくりしていたが、ライナも同じ気持ちだった。


『いろいろご親切にありがとうございました、義姉様。二人の兄を探しながら、きっと呪いを解く方法を見つけてまたかえってきますね』

『わぁーい! かわいいですわ~! わたくし、妹が欲しかったんですのよね~!』


呪いについては気長に構えているからと、呆れる一番目の兄の横で楽天的な様子だった。


『熊の魔女と呼ばれているからには、わたくしもまったくなにもできないというわけではありませんわ! きっとなにかの役に立つと思いますので、どうぞこれを持っていってくださいまし』

『これは……?』


旅の道中のお土産としてたくさんの食べ物を持たされたライナは、熊の魔女から最後に渡された贈り物に首をかしげた。

子熊からかわいらしい人の子の姿に戻った子ども達を、あっちこっちで忙しそうに面倒を見ていた一番目の兄も、子どもを抱えたまま覗きこんでくる。


『はい! 熊の状態のわたくしの毛の三本セットです!』

『え?』

『え?』


一番目の兄とライナの声がそろう。

熊の魔女が『さすが兄妹ですわね!』と喜ぶ声が楽しげに響いた。





「お嬢さん、お嬢さん」


謎の男のことをやっと思い出したのは、一番目の兄と熊の魔女の家を出てしばらく歩いていたところ、また後ろから声をかけられたときだった。


「お嬢さん、どこへ行かれるんですか?」


吟遊詩人のように謡う声。

一番目の兄に会う前と同じように、聞こえないふりをするかどうかライナは迷った。


知らない人についていってはいけない。

知らない人の言葉に耳を傾けてはいけない。


それらは、おとぎ話のお約束。

そういうお約束を守らない悪い子は、いつも怖い目にあうものだ。


絵本をくれた王妃はそう言っていた。

父王は、ライナに絵本を読んでくれたことはない。


「……あなたは?」


ライナは立ち止まる。

振り返ると、ライナが振り返るとは思わなかったのか、きょとんとした顔をした男がいた。


「……えっ、あっ」


ライナと目が合うと、みるみるうちに頬がりんごのように赤くなる。

近くで向き合うと、ぐんと伸びた若木のような長身がある。

一番目の兄も背が高かったが、謎の男もまた一番目の兄と同じくらいか、それ以上に上背があった。


さらさらとした白銀の髪。すらり伸びた足。

相変わらず森に似つかわしくない白い服を着ている。


王子様のような容姿をした男は、自分よりはるかに背の低いライナを見下ろして、ぱくぱくと魚のように口を開いた。


「あ、あの」

「あなたは誰ですか? どうしてわたしについてくるんですか?」

「……あっ、え、えーと、あぅ」


謎の男は急に日差しが熱くなったのか、汗をだらだらと噴き出していた。

泳いでいる目はライナと視線が合わず、ライナはじっと男を見上げた。


「……あなたのお名前は?」

「ボクは……」


しどろもどろの男をライナはじっと見つめつづける。

やがて、その視線に根負けしたように、謎の男は口を開いた。


「覚えてないんだ」

「え?」

「……自分の名前。もう随分呼ばれてないから」


そんなことがあるのだろうか、とライナは心のなかで首をかしげた。

確かにこんな魔女の森の奥深くを歩いている可笑しな男ではあったが、身なりは立派だ。

ライナよりも、もっといえば父王よりも、よほど王族に見える。


「……知らない人と話をするなと、お母様が言っていたの」


だから、名前もわからない男と話すのもきっとよくないことなのだ。

自分が男を相手にすることができない理由を伝えると、男はますます困ったように考えこむ。


「それは確かに、その通りだね。うん。キミのお母様は正しいよ。キミは小さな女の子だし、小さな女の子にわざわざ声をかける立派な男がいれば、それだけで立派でなくなる振る舞いだ。女の子は親切だから、困りごとがあるとつい声をかけてしまうのだけど、よくなかったね。うん。そういえば、妹達にも以前言われたことがあった。『今はまだその立派な身なりでギリギリ不審者の印象を免れる年頃ですが、お年を召したらそうもいきませんから、いまのうちに女の子に頼る癖はやめなさいよ、兄様』ってね」


突然たくさんしゃべり出した男は、まるで今まで会話をする相手が誰もいなかったかのように一息に言った。

それはよく父王がお酒をたくさん飲んだ後に一人でしゃべっている時の様子に近い。

ほとんど独り言というか、つぶやきに近い、つまりは語りかけるものではないものだ。


だから黙ってライナは待った。

案の定、男はしゃべっているうちに、だんだんと本当に言いたいことを思い出してきたらしく、少しずつ口調がゆっくりになる。


「うん……キミのお母様の言葉も、ボクの妹達の言うことも正しい。だけど、困ったたな。ボクは今、本当に自分の名前が思い出せないんだ。だけど、それをキミに信じてもらおうにも、信じてもらえるための名乗りもできないから、名前を思い出せないということも信用に足りないということだよね」


男は真面目に考えている。

だが、ライナのほうはだんだんとこんがらがってきた。

このままではもしかしたら、お日様が沈むころになっても話が進まないのではないかと思いはじめたとき、男がこぼした言葉がライナの耳に届いた。


「覚えているのは『黒の食卓』という言葉が、自分とよく一緒に呼ばれていたということくらいで……」

「『黒の食卓』?」


それはまた変わった呼び名だ。

ライナはそう思ったが、ライナがよく読んでいたおとぎ話には変わった名前の人物がまま出てくることを思い出して、変なことではないのかもしれないと考えをあらためた。


「うん。『黒の食卓』だったか、『黒の台』だったか忘れてしまったけれど、そんな感じだったと思う」


たぶん本当の名前でもないのだろうが、覚えているのがそれだけならば、そこから考えるほかない。

ライナは少し考えて、言った。


「『黒の食卓』だとややこしいから、『黒の台』から取って、『クロダイ』さんと呼んでもいいですか?」


はたしてライナのこの考えは、のちのちにこの呼び名を聞いた他の人たちみんなをきょとんとした表情にさせたが、言われた当の本人だけは違った。


「いいね。それじゃあ、ボクのことは『クロダイ』と呼んで」


ライナの言葉を聞くと、ぱっと笑顔を浮かべて、それからずっとにこにことしていた。


いっぺんに春がきて、花が咲いたような笑顔だった。


それで結局、『クロダイ』が何者かはわからないまま、彼はライナのとなりに並んだ。

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