熊の魔女2
『いいですか、ライナ。あなたの一番目のお兄様は、いつも明るく、理不尽を恨まず、前向きで活発な利発な子でした。私と同じ色をした髪を、よくひとつにまとめて結ってあげたものです。七年前に生き別れになった時には『長い髪をそのままに、離れていても母上の面影を思い出します』と言って……ううっ、ううううっあンのクソミソ甲斐性なし男と森の魔女め私の息子をぉ……ッ』
途中から号泣していた王妃の言葉を伝えると、ライナの一番上の兄は「そんなこと……言っ……言ったような……言ってないような……言ったっけかなぁ……?」と首をひねった。
あれから、混乱していた一番目の兄様は、ものすごい勢いで追いかけてくる母熊の足音に、慌ててひとまずライナを隠してくれた。
ライナを追いかけてきた熊は、一番目の兄の前までくると、ぴたりと止まった。
隠れて見ていたライナには、熊の言葉はわからなかったが、どうやら一番目の兄に何か話しているようだと思った。
一番目の兄は『見てないよ』『こんな森の深くにくる人間なんて』『見間違いじゃ』『大丈夫だよ、みんないるんだろ?』『後で俺が見に行くから』と熊に話しかけていて、その様子をじっと見つめるライナの頭にはいつの間にかあの鳥が乗っていた。
『おまえはどこからきたの?』
小声でライナが尋ねると、鳥は応えるように小さく体をかしげた。
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「つまり………お前は俺が七年前にいなくなった後に生まれた俺達の末の妹で、母上に言われて俺達を魔女から救い出すために森に入ったと」
一番目の兄は、隠れさせた場所からライナを引っ張り上げて出した後、上から下までじっくりとライナを眺めた挙句に『確かに、言われてみれば妹みたいに思える』とよくわからない感想をこぼして、ひとまずライナを妹だと信じてくれた。
「そうかぁ。俺が婿に行った後、そんなことになってたとはなぁ……まさか俺だけじゃなく、他の弟二人も魔女に連れてかれてたとは……というか魔女ってそんなにほいほいいるもんなんだな」
ライナも一番目の兄様と同じ気持ちだったが、兄が考えをまとめる間、じっと黙っていた。
一番目の兄は、ライナとライナの頭に乗った鳥を、自分達の家まで招いた。
自分達のというからには、他にも住民がいる。熊の魔女と暮らしているのかと尋ねたライナに、一番目の兄は『おー。さっき見ただろ? あの母熊が俺の魔女だ』と答えた。
『うん? なんだその目……ああ、コイツらが気になるのか?』
二匹の子熊を眺めるライナに『母親は日中出かけてることが多いから、昼間は俺が見てるんだ』と、お腹を見せた子熊を転がしながら答えた。
そうしてライナの顔を見て、自分が肝心なことを飛ばしていたことにようやく気がついたのか『あー……その、俺と魔女の子どもたちね』と幾分かやや気まずそうに教えてくれたのだった。
「お前……ライナは俺を魔女から救いにきてくれたと。それであってるよな?」
「はい、一番目のお兄様」
今は母熊は留守にしていていない。
子熊はまだ人と接して危ない大きさではないからと、一番目の兄が『よかったら抱いてみるか?』と言ってライナの膝に一匹を乗っけたのを皮切りに、先程からかわるがわる膝の上に乗ったり降りたりしている。たまにライナについてきた鳥もそれに混じって、体の上を移動するので、ライナは自分が椅子になったような気分だった。
「お母様は、兄様たちを救い出すようにとわたしに言いました」
「それでまだこんなに小さな妹を魔女の森に……? 母上も何を考えているんだよ」
「お母様は、兄様たちのことをとても心配されて、いつか助けに行かせるように、わたしを産んだそうです」
「は……はあ!? 母上はそれをお前に言ったのか!?」
王妃が言ったことをそのまま伝えただけだったが、それを言うと一番目の兄が椅子を蹴倒しなねない勢いだったので、ライナは黙っていた。
結果的に、それが兄の考えを肯定することになってしまったらしい。
一番目の兄はどかりと椅子に腰を下ろして、はあ、と深い溜息を吐き出した。
「信じられん。いくら三人も息子を失ったとはいえ……こんな幼い娘になにを押しつけているんだ。父上も何をされているのか」
父王は王妃に両手両足を折られた、と伝えるべきか悩んで、先程の反応を思い出してライナはやめた。
顔や名前どころか、存在さえ知らなかった末妹のためにさえ怒ってくれる兄ならば、自分が理由の母と父の不仲を知ればさらに衝撃を受けるかもしれないと考えた。
「それで、一番目の兄様。熊の魔女と、今までどう暮らしてきたのですか。お二人は結婚されているのですよね」
膝の上からはみ出した小熊の一匹を撫でながら尋ねると、一番目の兄はぐうっと喉がつっかえたような声を出した。
「い……一応、そういうことに、なるか……」
「……赤ちゃんもいますし」
「う、うん、まあ……そう、だな……」
一番目の兄は、魔女にさらわれるように婿に取られて今まで暮らしてきたことにか、熊との間に子をもうけた事実にか、何に対してか謎ではあったが、問いかけに頷くのに気まずさがあるようだった。
しかし、ライナが撫でている小熊を見やると、否定しようもなくなり、最終的には妙に歯切れ悪くではあったが、認めて頷いた。
「兄様が望んでの結婚ではなかったことは聞いています。兄様は帰りたいですか?」
「そりゃあ……七年会ってないからな。死ぬまでに母上と父上に子どもの顔もお見せしたいとは思っているが……」
息子たちのことを語る王妃の様子を思い出して、ライナは、一番目の兄が子熊たちを母に紹介する想像をした。きっとお母様は倒れてしまうだろうと思った。一番目の兄も同じように思ったのか、溜息を吐いて言う。
「呪いがかかったままじゃな……きちんと人の姿に戻らないことには、会いには行けない」
「え?」
「うん?」
「呪い?」
驚いて聞き返したライナに、一番目の兄はしばらくなんのことかわからないような顔をしていたが、ふいに「あっ」という思い出したような表情をした。
「そうか! 言ってなかったな? 知らないのも当然だ」
小熊の一匹を捕まえて持ち上げると、ライナによく見せるように向き直る。
そうして、とても嘘とは思えない真剣な顔をして、重々しく告げた。
「実は、熊の魔女は本当は熊ではなく……呪いのかかった魔女なんだ!」
ライナは首をかしげた。
なにか重要なことを告げられたような雰囲気だったが、だからなんだというのかはよくわからなかった。
だからなんですか?と兄に対して聞いてもよいものか、ライナが出してもらったミルク入りのコップを触りながら考えていると、幸いにも先に兄が言葉を続けた。
「熊の魔女いわく、熊の姿は呪いにかけられたせいで、七日に一日だけ元の姿に戻れる。それ以外の熊の間は、俺や子熊たちのことはわかるが、本来の魔女ではなく熊そのものの考え方になってしまう」
「え? では、好きで熊なのではないのですか?」
「そうらしい。呪いにかけられて今の姿になったのだと、七年前にここにきた時に教えられた」
七日に一度、人の姿に戻ったときに元の姿と性格に戻り、正気も取り戻す。
「そうじゃないと、コイツらが生まれるのもおかしいだろ? どうやって子をつくるっていうんだ」
両手で抱えた子熊をゆらゆらと揺すって言った兄に、てっきり熊の姿のまま、と考えていたライナは、しかし賢明にも言わないということを知っていた。
代わりに、ライナがここにきた目的に話を戻す。
「それなら、一番目の兄様は同意の上でここにいらっしゃるのですね」
「同意っていうかまぁ……そりゃきっかけは致し方なくだけど、最初に覚悟してたよりはまあまあ普通に暮らしてるよ」
熊の魔女は、と言いかけて、別の呼び方をするべきか考えてライナは一度口を噤んだ。
だが、結局他の呼び方が思いつかなかったので、とりあえず敬称をつけることで失礼ではなく聞こえるようにした。
「熊の魔女さんの呪いを解くには、どうしたらいいのですか?」
「それがよくわからないんだよなぁ……とりあえず、確かなのはこの呪いは『七日に一度、一日だけもとに戻る』ってことくらいで……あ」
何かを思い出したように一番目の兄が声をあげたので、ライナは首をかしげて見つめた。
一番目の兄は、少々気まずそうな顔をする。
「……七日に一日って言ったが、一応呪いに影響されない期間もあって……」
「はい」
「……ベッドにいれば、呪いは適用されない……」
ライナはつい、無言で部屋のベッドのほうを見てしまった。
ライナは幼かったが、物心ついた頃からなんでも自分で学ばなくてはならなかったため、七つにしてはいろいろなことを知っていた。
膝の上に寝そべったころころとした子熊たちを見つめる。
なるほど、通りで子だくさんなのだな、とライナは納得した。




